この記事は
2018年冬アニメの感想です。
備忘録。
はじめに
オッサンになると、記憶力がダメダメになります。
昔はこれでも物覚え良かったんですよ。
一度読んだ漫画のことは細部に亘って覚えていて、新刊を読む時はえらい重宝したものです。
学校の勉強を覚えるのは苦手だったけどな!!
「漫画やアニメの話題に限り完全記憶能力を有する」という世界にも誇れる能力を持っていた僕。
気付いたら「家族友人の名前しか覚えられない能力」に劣化してました。
Oh.
何が言いたいのかと言いますと、僕自身の為の備忘録です。
年末に1年間のアニメ総括記事を書いてますが、内容を忘れていて書けない事がしばしば。
これはアカンということで、ちゃんと記憶が鮮明なうちに記録に残しておくことにしました。
はじめます。
「からかい上手の高木さん」
総括
原作既読。
シリーズ構成のお仕事って凄いなと改めて実感しました。
原作では、時系列バラバラなんです。
夏のお話の直後に冬のお話があったり、その次に春のお話をやったり。
時間に捕らわれないで描かれているのが1つの特徴だったりします。
アニメでは、アニメ1話の中で原作3~4話ほどを消化。
別作品の「あしたは土曜日」のエピソードも絡めて、原作を丁寧に取捨選択して「バラバラの原作エピソード間に縦糸を施す」作業がされていました。
エピソードごとにきちっとした独立性を持たせつつも、前後のエピソードとの関連をさりげなく見せることで、アニメ1話という大きな括りで話を構成している。
自転車2人乗りのエピソードとかちゃんと時系列順に並んでいて、回も跨いでましたしね。
…説明下手糞か。
すみません。
表現力・語彙不足ですが、察して下さい。
声について
アニメって声は凄く重要ですよね。
「声優」でも「声優の演技」でもなく、「声」です。
キャラクターの外面とイメージが合致した声だと、とても良い感じになります(語彙)。
特報の段階で、高木さんの声に関して、次のような意見を見かけました。
「幼すぎる」「可愛らしすぎる」。
西片君を常にからかっているからなのか、Sっ気を感じる声が良いという意見ですね。
でも待って欲しい。
結局、キャスティング側のイメージこそが正義なのです。
幼くて、可愛らしい。
スタッフがそういうイメージを高木さんというキャラクターに抱いているから、この声がついたのかなと。
なんて、僕のイメージ通りだったので正当化するようなことを書きました。
高木さんは明らかな好意でからかっています。
Sな訳では無くて、感情表現がちょっと幼い感じなんですよね。
僕の中のイメージがこんな感じなので、可愛くて幼い声がピッタリに思えたのです。
イメージで言えば、西片君の方が隔離してましたね。
女性声優が出すような少年声で脳内補間していましたので。
ただ、そこはプロでしたね。
声のイメージの隔離を演技力でカバーして、中学生らしさをしっかりと感じさせてくれました。
凄いなぁ。
まとめ
ともかく、大変良かったという話です。
原作ファンも大満足のクオリティの高いアニメ化作品だったと思います。
原作9巻DVD付き特装版の購入を迷いなく決意したほど良かったですね。
不満はありませんでした。
まぁ、強いて挙げれば、最終回最終エピソードにちーちゃんを出して欲しかったって点ですかね。
アニメオンリーの視聴者にもあの驚きと嬉しさを知って欲しかった。
これについては、前知識なしで是非原作5巻を読んでください。
悶え必至です。
「恋は雨上がりのように」
声について
4話のあきらの可愛さが尋常じゃ無かったなぁ。
加瀬に付き合わされて、みなとみらいにある横浜ワールドポーターズ5階のイオンシネマに行くあきら。
映画鑑賞後、同5階のレストランフロアで店長から電話が掛かってきて…。
店長からの電話に浮かれて、嬉しくて、足をバタバタさせてるところがメッチャ可愛い。
このシーンの可愛さはアニメーションに依存してました。
あの動きは可愛い。
そこに、声の可愛さがミックスされていて。
女の子らしい甘い声音で言葉にならない喜びを噛みしめる演技。
ああ、素晴らしいなぁと。
さてさて、声について言えば、僕はあきらにはもう少しクール系をイメージしてました。
(原作既読です)
見た目がクール系だからですね。
高木さんとは反対に、実際の声とイメージにギャップがあったんです。
違和感という程のものはありませんでしたが、「そういう解釈なのか~」と。
結論を言えば、うん。
最高に合ってた。
可愛らしい女の子女の子した声のあきらの方が可愛いわ。
4話でもそうだし、2話の店長との初デート(?)でのシーンもそう。
ペディキュアを血豆と表現した店長に思わず素が出ちゃったあきら。
母親の前とかのあきらって、声が少し高くなって、喋り方も女子高生然としたものになるんですね。
こういうのは漫画からは伝わってこないアニメならではの演出で、スタッフの「あきらというキャラの解釈」が端的に出てるところ。
この解釈は良いなと素直に想ったし、これならばクール系より可愛い系の方が似合うなと感じました。
総括
原作既読ですが、コミックス派です。
10巻(いつ発売かも知らんけど)読んでません。
故に原作準拠なのかどうかは不明ですが、納得出来る終わり方でした。
1クールしか無かったので、原作を結構端折ってましたが、この終わり方にするのなら問題無かったのかなと。
店長は最初からあきらと付き合うのは無理と言っていたし、とはいえ、全く靡かなかった訳でも無い。
約束を叶えた後にという含みを持たせつつ、あきらに「復帰」を促している。
結局陸上という夢破れたが為に出逢った恋なので、陸上に戻れたことでその恋と一旦離れても自然に思えたのかな。
恋愛モノとして、付き合う訳でも失恋する訳でも無い、「話の先送り」という中途半端な答えではありましたが、始まりが始まりだっただけに納得出来たんですよね。
うん。
素敵なアニメでありました。
まとめ
雨が上がるまでの雨宿り。
あきらにとっては、そういう恋だったのかもですが、最後晴れを見せたことで、この先の恋に光が差したような気がしました。
陸上に青春の全てを捧げて、再び戻った時、きっと店長が優しく迎えてくれるんじゃないかな。
「宇宙よりも遠い場所」
総括
主演4人の女性声優さん全員好き。
どうしようもない理由で見始めた本作ですが、久々にBDマラソンを決意した作品となりました。
最初は舞台が舞台だけに、シリアスで暗い感じのお話になるんじゃないかと危惧していましたが、キマリのアホの子要素と日向の太陽みたいな明るさがそれを良しとせず、基本的には明るいコメディタッチで展開。
非常に清々しい気分で最後まで視聴出来ました。
じゃあただ明るいだけの話かと云えば、否。
報瀬の母のことを軸にして、しっかりと地に足のついたシリアスな話が描かれていました。
12話は流石に泣いた。
人生を狂わせる程報瀬にとっては大きな喪失。
それを仲間に助けられて乗り越え、決別した。
親との死別は耐え難いほどの苦痛に違いありません。
それはとても悲しいこと。
でも、「しっかりとした別れ」が出来ないのはもっと悲しいことだと思うの。
ちゃんと「さよなら」するのは、死を受け入れなければならないので辛いけど、「さよなら」できない方がよっぽど辛いです。
報瀬は突然南極が引き裂いた死別だったから「さよなら」が出来てなかった。
それと向き合ってきた苦労が・決意が報われたのだから、辛く悲しくも感動的でした。
他のメンバーにも「辛いこと」が描かれていて、キマリは親友との擦れ違い、日向は人間関係の確執(よくあるやつ。つらい)、結月は「友達とは何かという悩み」とあり、悩みと真剣に向き合い乗り越えていく様が青春してました。
特に結月の件は共感しちゃいましたね。
読む必要のない自分語り
少し自分語りになりますが、僕も似た経験をしたことがあります。
小学校6年生の時、当時一番仲の良かった友達が骨折してしまいました。
1人では日常生活がやや困難だった為、学級会で先生が彼をサポートしてくれる子を募ったのです。
「黒沢くん(仮名)を手伝ってくれる、彼のお友達はいませんか?」と。
わざわざ「お友達」という語句を使って、呼びかけました。
僕が真っ先に手を上げるべきだったのでしょう。
友達だと思っていたから。
でも、手を上げませんでした。
黒沢くんが僕の事を果たして友達だと思ってくれてるのだろうか?
それは僕の一方的な思い込みなんじゃないか。
友達ってなんだろう…。
思考の迷路に迷い込み、恐くなって手を上げられなかったのです。
当然クラス中からバッシングされました。
「お前、友達だろ。最低だな」。
黒沢君も傷ついてました。
「友達だと思ってたのに…」。
そう呟かれた時は流石に自分の愚かさに嫌気がさしましたね。
…あれ?涙が……。
話変わって、中学時代の話。
僕は野球部に所属しました。
タメは僕含めて6人。
まぁ、それなりの間柄にはなりました。
2年生の時、タメの1人と後輩数人が固まって打席に立つ僕の方見て、何か話してました。
「nuruta(笑)なにあのへっぴり腰w」
「なw」
「フォームwww」
笑い合うタメと後輩達。
聞こえてる聞こえてる。コロスゾ^_^;
その後も葉山隼人みたいな態度で接してくる生徒会長(タメ)。
欺瞞ってこういうこと言うのだろうね。今にして思えば。
端的に言って大嫌いでした、生徒会長(タメ)。
友達ってなんだろうね。
2話の疾走感に釘付け!!
毒吐けた。(スッキリ)
閑話休題。
僕が今作を見続けていこうと決心したのが2話でした。
キマリのセクシィポーズから新宿追いかけっこまでの一連の流れが凄い好き。
特に追いかけっこ時の疾走感と青春してる感。
今年のベスト話数に推したいくらい好き。
作画枚数使って、カットを工夫して、印象的なBGMを用いて高揚感を刺激してくる。
力入っていたし、魅了されたシーンでした。
コントと友達
日常生活でちょっとした漫才的なやりとりをすることって少なくありません。
特に友達関係にあるとそういうことが起こります。
誰かがボケて、誰かがツッコむ。そうして笑いが起こって話が弾む。
友人間でのコミュニケーションの1つですね。
僕はこれ大変苦手です。
ボケるのは簡単なんですよ。
面白いかどうかは別として、自分がボケ役に回るのは抵抗がありません。
問題はツッコミ役です。
芸人のコントとか漫才見てると分かると思いますが、ツッコミにはキレが必要です。
言葉に切れ味が無いと面白くないし、ボケを殺しちゃうんですよね。
ところが、このキレというのが厄介。
遠慮なくタメ口でツッコむのが肝要なのかなと。
丁寧語だとキレが鈍るというのが僕の見解。
僕は年上の友達が多いので、仲が良くても丁寧語で喋ってます。
そんな友人に対してツッコミとはいえタメ口を使うのは躊躇しちゃうんですよね。
だから苦手。
ツッコミは一歩間違うと、相手を怒らせたり、傷つけたりします。
それなりの信頼関係を構築してないと成り立たないコミュニケーションなのかなと。
(考えすぎかな…)
無駄話が多いですね。すみません。
話し戻して、2話時点でまだ出会って日が浅いキマリ、報瀬、日向の3人。
日向の人懐っこさが多分に影響してるのでしょうが、3人の間でコントが出来る間柄になってる。
ある程度の信頼関係が既に築けていたのかなと。
ここに結月が加わって、当初は遠慮が見られた結月も、年上3人に対してツッコミ役が出来るようになってました。
コメディ部分に目を向けても、4人の良好な関係性が出ている様に感じました。
まとめ
4人の関係が真に友達だと言える。
彼女達の歳では大きな壁であろう年齢差という問題を易々と乗り越えて、厚い友情がそこにはありました。
考え方も育った環境もバラバラなのに、確かな友情を育んだ。
傍から見てるだけで心の底からそう思える関係性が描かれていたと思います。
非常に素晴らしい青春群像劇でした。
「三ツ星カラーズ」
原作既読。
放送前のイメージを良い意味で大きく裏切ってくれたのが本作でした。
僕と同じくらいの世代に限ってかもですが、本作に初めて触れた時に「苺ましまろ」を想起しちゃった人もいるんじゃないでしょうか。
勿論それを嫌うファンがいるのは存じてます。
知ってる上で敢えて書かせてもらえば、連想しちゃっても仕方ない面はあるのかなと。
作風も似てて、キャラクター構成もどこか彷彿とさせるものがある。
掲載誌が一緒なのも大きい。
読者(の層や趣向)が同じなので、コンセプトが似通っているように映ります。
今作が「苺ましまろ」を意識して作られたとは思ってませんが、読者としてはどうしても重ねてしまいます。
僕自身最初に読んだのが、3話だか4話。(当時の「電撃大王」)
似てるなぁと思っちゃいました。
それからコミックスを買って、読み続けて…。
んで、「ああ、やっぱり違うな」と感じたのですよね。
最大の違いは、「一番可愛いキャラクター」でした。
「苺ましまろ」は「かわいいは正義」を標榜し、その通りの作品です。
ぶっちゃければ、笹塚ちぃちゃんがかわいい。
小学生が一番可愛いのが作品として正しい在り方だと思うのです。
それに比べて、「三ツ星カラーズ」ですよ。
カラーズよりも「ののか」がぶっちぎりで可愛い。
主人公3人よりも脇キャラの方が可愛いので、「あれれ?」ってなりました。
小学生が一番じゃないから、「面白いけれど…」という玉虫色な評価でした。
さて、アニメです。
ののかはアニメになって、声も超可愛くて破壊力マシマシ。
4話のののか可愛すぎですよ。
盤石の独走態勢!!と思いきや、カラーズ3人が怒涛の勢いで猛追してきたので驚き。
結衣にゲームが下手だと指摘される琴葉が良い。
琴葉に頭踏まれるさっちゃんが尊い。
2人に雑に扱われる結衣が可愛い。
特に結衣が神。
4話が絶品だよね。(画像は4話じゃないけど)
「はらはらはらせー♪」ってとこの結衣ヤバい。
ぴかーしてる結衣ヤバい。
ヤバい(語彙)
原作準拠だし、キャラデザの再現性も高い。
なのに、ここまでキャラの魅力が跳ね上がる。
声優さんパワーもありますが、全スタッフの情熱なのかな。
原作の魅力を、特にカラーズの魅力を最大限に引き出していたのかもですね。
とても面白かったです。
「りゅうおうのおしごと!」
シリーズ構成について
以前もこの論点で僕は今作を擁護しました。
nuruta.hatenablog.com
全話見たので、改めて。
「そのTVアニメ単体で、一つの作品として成り立っているか」。
僕が原作付きのアニメの中で最も重きを置いている評価基準です。
昔は長らく原作準拠が全てだと信じ込んでいました。
けれど、今はその意見を違えてます。
簡単に言えば、「続きは原作でネ」的な終わり方のTVアニメはダメという判断を下しています。
アニメとして続きが見込めているのならば、そういう終わり方も1つなのでしょう。
けれど大抵の作品は、分割で無い限り、続きは未定です。
続きをあてこんで(原作準拠で)中途半端なまま終わるのは愚の骨頂です。
言い過ぎました。
僕的にNGなんです。
例えオリジナルの締め方をしてでも、1つの作品としてしっかりと終わらせる。
語弊を恐れずに書くならば、それがアニメを見てる視聴者に対する最大級の礼儀なんではないでしょうか。
原作既読者ばかりが視聴者である訳ではないからです。
この観点で言うならば、「りゅうおうのおしごと!」は現時点で続きの制作が決まっていません。
(分割であるならば、既に公式発表があって然るべきなので)
であるならば、作品としてしっかりとした終わり方をすべきであると考えます。
以前も書きましたが、原作は当初5巻で終える予定であり、実際に5巻で一区切りついています。
「分かり易く綺麗な締め方が出来る原作」なので、アニメも5巻までを映像化するというのは納得出来る判断です。
こうなると、当然原作を大きく再構成する必要があります。
最終回まで見たから言えますが、原作を忠実に再現するのであれば、原作1巻当たりアニメ4~5話必要となるでしょう。
1クール全12話は最初から決まっているのですから、1巻あたり4話使って3巻までをアニメ化するとすれば、割りと忠実に原作を再現できそうです。
が、そうしてしまうと、アニメ作品としては中途半端な終わり方となります。
3巻は桂香のエピソードがメインだからです。
桂香が主人公の作品ならば問題ありませんが、そうではない以上、中途半端と言わざるを得ません。
最後に主人公が活躍しない作品を「綺麗に終われた」とは普通は評価しませんからね。
もし3巻が八一メインのエピソードだったのならば問題無かったけれど、そうではない以上、この構成は僕の考えでは無しです。
となれば、原作のエピソードを大きく削ってでも5巻までを映像化することは、妥当だったと思います。
(因みに4巻終了はもっと有り得ません。原作が「続きは5巻の竜王戦で」で終わってる為、アニメでやると文字通り「俺たちの戦いは~」になりますので。)
原作ファンの1人として、「原作の良さを十全に描けていたか?」と問われれば「否」と答えます。
ですが、「TVアニメとして面白かったか?」と訊かれたら「YES」と返します。
物語に一区切りつく綺麗な終わり方であったし、その終わりに向けて最低限のエピソードを取捨選択されていたと感じたからです。
今回のアニメの構成がベストとまでは言えないですが、1つの作品としてしっかりと纏まっていたのではと思いました。
まとめ
極論ですが、TVアニメは、原作未読の視聴者が楽しめればそれで良いんですよ。
時には原作を無視してでもしっかりと終わる。
そういう作品が好きです。
「覇穹 封神演義」(1クール目)
終わりに
最後となりましたが、冬アニメは物凄く充実しておりました。
毎週楽しみで仕方ない作品で溢れていて、3か月間幸せであっという間に終わっちゃいました。