「青春ブタ野郎はディアフレンドの夢を見ない」感想【青ブタシリーズ第15巻】 そうして思春期は終わり…

この記事は

「青ブタ」シリーズ遂に最終巻!!!
ネタバレありの感想です。

思春期の終わり

高校生編と大学生編を繋いでいた「霧島透子」と「ランドセルガール」。
常に隣り合わせのように存在していた2つの不思議。
その答え合わせとなったシリーズ最終巻。

綺麗に終わってはいる。
終わってはいるんだけれど、どこか飲み込み切れないもどかしさ。
感想です。

ランドセルガールの正体

作中で明言されていた訳では無いので、散りばめられていたピースを自分なりに組み合わせたものでしかありませんが、個人的には腑に落ちた正体。
「子供時代天井の模様がお化けに見えていた」というのが、麻衣にそっくりなランドセルガールの正体だったのだろうなと。
大人になりきれていない咲太が生み出した咲太にしか認識できない存在。
咲太の「思春期」、「子供時代」を象徴した存在。

常という訳では無いけれど、透子と同時期に、ほぼ同じ場所で出現していたので、「同一の思春期症候群」による現象かと思っていたのですが、ミスリードだったのかな。
咲太自身が生み出した存在という答えには、なるほどなぁと深く納得できました。

咲太の思春期症候群の具現化(のような存在)ならば、咲太を正しく導けるのは道理だし、咲太にしか見えないのも当然。
ランドセルガールが見えなくなること、即ち、「大人になること」という表現を可能にしていたのかなと。

「大人になる」ってなんだろうなと考えてみた時、拓海が言っていたように親からの自立とか、即物的には、酒やタバコをやるようになったり、結婚だったりとあるのかもしれない。
成人を迎えたなんていうのも勿論そうで、実際咲太は最終巻において、20歳の誕生日を迎えている。
(2022年以降は、成人年齢は18歳だけれど)

ただまぁ、こういったことを以て「大人になったので思春期症候群から”卒業”しました」と描写されると、作品の持つ空気感的には「そうじゃないよね」って思ってしまう。
もっと、この作品らしい、切なさとか瑞々しさを覚えるような情緒のある表現が欲しいと絶対に考えていたはず。

このように考えてみると、ランドセルガールを用いた「咲太が大人になる描写」は、実に作品らしい描写であったと感じます。

 

咲太の「初恋相手」が誰であったのかと言えば、それはやはり翔子さんで間違いは無いんでしょう。
けれど、咲太自身認識していないところで、まだ幼かった咲太はテレビの中の麻衣を好きだったのかもしれない。
だからこそ「思春期の象徴」が「ランドセルを背負った麻衣」として表現されていた。
間違った解釈であるだろうと思いつつ、このような解釈だと、より感慨深いなぁと思った次第です。

シリーズ完結として

最後の最後に主人公である咲太を思春期症候群の中心に据えた物語。
故に、最後に相応しいエピソードであったとも思う。
一方で、やはりタイトルが示すように「美織の物語」としての側面も強かったこともあって、どこか最終巻らしさを欠いていたとも。

じゃあどうすればいいのよと突っ込まれてしまうと、何も言えないんですが。

エピローグもしっかりとあったし、1から10まで書かずに敢えて想像に任せる的な書き方も「らしい」から、やはりこれで良かったのかなとも。
その一方で、巻末の増井監督の言葉のように、もうちょっと描写が欲しいとも…

やっぱりまだまだ読み続けたいというのが、僕の偽らざる感想なんだろうな。
せめてもう1巻、なんらかの形で読みたいな。

 

無いものねだりしても建設的では無いので、これ以上はやめておきます。
ともあれ、個人的に滅茶苦茶嵌ったシリーズでした。
優しさに溢れた筆致にとっぷりと浸かり、幸せな時間を過ごすことが出来ました。
この作品に出会えて最高に幸せだった。

最新情報をチェックしよう!