はじめに
オープニングで、集英社の建物が「ジャンプ」に塗り潰され、まるで「ジャンプ」で出来てるかのような描写がありました。
あの流れのまま、服部さんを登場させたのですから、はじめに
「この会社は、漫画家さんの仕事で出来ている」
と言わせてほしかったですね。
勿論、手にはジョー○アの缶コーヒーを持たせて。
感想です。
感想
見終わった直後は消化不良感がありました。
話として纏まってはいたんだけれど、しっかりと締められていないんじゃないかなと感じたのです。
最近2部作、3部作の映画が多くなっているからか。
はたまた、原作のラストまで知っているからなのか。
どこか続きがあるような終わり方。
当然「続編」を想定したような終わりの映画はごまんとあるんですけれどね。
それにしても「決着」が一切着いてない様に見えてしまったのです。
恋愛面もそうだし、漫画家としてもそう。
かといえば、エイジとの勝負も結末が無く。
結果はあったんですが、その結果に対する反応とでも云うのかな。
負けたエイジのリアクションが無く、どうも「敵を倒すシーンがオミットされて、結果だけ見せられた気分」。
直後にサイコー達も「ジャンプ」の厳しい壁に遮られ、「無職」になりましたという流れだったので、余計に…。
このように鑑賞直後は消化不良感は否めなかったのですけれど、純粋に「漫画家としての2人」をドラマの中心に据えていたのだとしたらと考え直したら、妙に納得出来たのです。
原作は割りとリアルでシビアな漫画家ライフを描き出していました。
(と言っても、僕自身実際の漫画家の人生を知る由も無いので、どこまでリアルなのかは分かりませんけれど)
漫画家漫画としては過不足ないというか、しっかりと漫画家漫画ですと言える内容。
その一方で、サイコーと亜豆の恋愛をも主眼としていました。
2人の夢が叶うまでの物語が大事に描かれていたんです。
この物語は、2つの夢を柱としていましたよね。
1つは、サイコーとシュージンの夢。
プロの漫画家になろうという2人の夢。
もう1つは、サイコーと亜豆の夢。
サイコー達の漫画がアニメ化された折は、声優を目指している亜豆がヒロインを演じ、その後結婚しようという夢。
この2つの夢の象徴がサイコー達のペンネーム。
「亜城木夢叶」。
「亜豆と真城と高木の夢を叶える」という意味が込められたペンネーム。
漫画家の物語と夢を追う若者の恋愛。
これが原作の骨子だったと思います。
それに対して、この実写版はやや「サイコーの漫画家への情熱」を強めたように映りました。
亜豆との夢(恋愛)は、話を転がすため、漫画家になる為の切欠としては作用していましたけれど、それ以上でもそれ以下でも無く。
それよりも川口たろうとサイコーのドラマを前面に押し出した構成となっていて、亜豆との夢を叶える為というより「ジャンプ」で1番になるんだという気持ちの方が強く出ていたかなと。
ならば、亜豆とのことがやや中途半端だった件も納得出来ます。
エイジとの勝負に勝った際にエイジ側の描写が無かったのも、サイコーの目的を達した瞬間の喜びを描けていることで無くとも良いかなとなる。
「エイジに勝った」ことではなく、「(一瞬とはいえ)ジャンプの一番になれた」ことが嬉しかったのだろうから。
恋愛面よりも、より漫画家としてのサイコーとシュージンのドラマを重視していたとするこの考えだと、「亜城木夢叶」が”登場しなかった”のも合点がいくんです。
この共同ペンネームを作中で出してしまうと、込められている2つの夢を同じ位大切に描かないといけません。
サイコーと亜豆の夢もサイコーとシュージンの夢のどちらもおざなりに出来なくなるんですよね。
1つの作品として、2つの夢それぞれにそれなりの結末が必要となっちゃいます。
何らかの理由でそれは避けたのかもしれません。
今回は、サイコーとシュージンの夢に主眼を置いて、故にペンネームは出せなかったのかなと妄想しています。
でも、これが恋愛面でも良い感じに作用していたのですよね。
ペンネームでは無く、本名でデビューしていたサイコー達。
原作の石沢のように彼らの過去の関係性を知らない名も無いキャラ(亜豆のマネージャーが当たります)でも、サイコーと亜豆の関係に気づけるというのは納得出来ちゃいます。
ここから、事務所に恋愛を禁止されたという「ありえそうな」話に繋がって、2人が会えない理由付けも自然と描けていて。
正直、原作のサイコー達の恋愛観には共感も理解も出来なかったのですね。
本気で夢を諦めない為とか色々と理由は思い浮かぶんですが、それでも理解出来なかったんです。
ちょっと謎の恋愛観という印象を持っており、こと恋愛面に関しては、リアリティを欠如していたなという想いを拭えないのです。
この辺、実写ならではの自然な処理の仕方でしたね。
恋愛面については、もう1つフォローとして、印象的なシーンについても書いておきます。
サイコーと亜豆が病室で分かれる際の会話。
サイコーが「夢は生きているか」訊ねると、亜豆はこう返してました。
「いつまでも待ってられない」と。
一瞬「凄まじいキャラ崩壊だな」と想ってしまったのは内緒(笑
「原作の亜豆はそういう子じゃないでしょ、全然違うじゃない」と。
でも違ってました。
「先に行くわ」…でしたっけ…。
そんな感じの台詞を付け足していて。しかも笑顔で。
カメラがサイコーの持つ「ジャンプ」に移動するまで意味を解せなかったのですが、「ジャンプ」が映った瞬間誤解が解けました。
サイコー達の漫画の亜豆がモデルのヒロインの台詞を”アフレコ”してたのね。
亜豆なりに声優として「夢は生きている」とヒロインを演じる事で返したのですね。
意図を汲み取ったであろうサイコーが燃えて、クライマックスへと突入するという流れは非常に良かったです。
楽しいCGの使い方
映像にも言及しておきます。
「漫画家」としての側面を強めた以上、どうしたって2人が漫画を描いているシーンは大切になってきます。
それなりの分量が必要にもなってくると考えます。
とはいえ、漫画を描いている絵面って、やはり地味ですよね。
ドラマや漫画、アニメではOKかもですが、映画となると話は別。
見ていても、どうしても動きが欲しくなっちゃいます。
結論を申しますと、漫画を描くシーンの量・質ともに「大満足」・「凄かった」としか言えませんね。
充分な時間割かれていたと思いますし、なにより見せ方が飽きさせない工夫に満ちていて、本当に楽しかった。
漫画を漫画的に動かすとでも表現すればいいのかな???
アニメーション的な動かし方では無かったです。
コマを動かすとでも云うのか。
とかく、僕の拙い文章力・表現力では言い表せないのですが、CG処理で画面全体を縦横無尽に漫画が動きまわる演出は、楽しく「2人の漫画が出来上がるまで」を追えました。
終わりに
笑いとか明るさの面が物足りなかったですね。
原作のようにどこかカラッとした明るさがあった方が、見やすかった気がします。
脚本に関しては、やはり「恋愛」よりも「漫画家」の方に比重を置いて、「2人の漫画道」に焦点を当てられていたかな。
それでいて、「恋愛」は少ないながらも印象に残るようなシーンを組み込んでいて、なんだかんだで「バクマン。」を描いていたと思います。
映像も楽しかったですし。
総じて楽しんで鑑賞いたしました