「ブラックパンサー」 ブラックパンサーのヒーロー性に着目した感想

はじめに

映画「ブラックパンサー」を鑑賞してきました。
マーベル映画の中でも突出してメッセージ性の強い映画でした。
ネタバレ感想になります。
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ブラックパンサーのヒーロー性

メッセージ性の強いシナリオだった為、様々な視方があると思います。
ここでは、「ブラックパンサーのヒーロー性」に主体を置いて書いてみます。

今作を述べる時、やはり「シビル・ウォー」の存在は無視できません。
「シビル・ウォー」にて、父親であるティ・チャカ王を殺害されたティ・チャラは、父の敵討ちを決意。
監視カメラの映像からウインター・ソルジャーが暗殺犯だと推定したティ・チャラは、ブラックパンサーとなってウインター・ソルジャーを追います。
憎しみに駆られ正義に悖るような行動を続けるティ・チャラ。
やがてウインター・ソルジャーを追う内に、事件の真相を知ります。
黒幕であるジーモは、復讐鬼となり、アイアンマンとキャプテン・アメリカの同士討ちを目論んでいました。
復讐の愚かさを悟ったティ・チャラは、父の復讐を止めます。

ここから今作の物語はスタートします。
正義とは何か?
今作のテーマも「シビル・ウォー」も投げかけられている問は同一のものなのかなと感じました。

そう感じたのは、ヴィランであるキルモンガーの存在ですね。
彼はワカンダ前国王であり、ティ・チャラの父であるティ・チャカの実弟の息子でした。
ワカンダを裏切った彼の父は、ティ・チャカによって命を落とします。
復讐に燃えるキルモンガー。
そう。
彼は、「復讐心を持っていた”シビル・ウォー”の時のティ・チャラ」そのものなんですよね。
もし、あの時ティ・チャラが復讐心に最後まで囚われていたら。
キルモンガーと同様に、アメリカをも凌ぐワカンダの武力を悪用していたかもしれない。

ヴィランであるキルモンガーをただの悪役にせずに、同情できるバックボーンを用意した。
単純な善対悪の構図を取っ払っていたことが、今作もまた「正義とは何か」を問うていたように感じた理由です。

そんな「かつての自分」であり、「悪そのもの」とも呼べないヴィラン相手にティ・チャラことブラックパンサーはどう対峙していくのか。
そこにブラックパンサーのヒーロー性が。
今作が答えた正義感が垣間見えました。

王としてのティ・チャラ

ブラックパンサーは、2つの貌を持っています。
先ずはワカンダの国王としての貌。

ティ・チャラは、ワカンダの王として、キルモンガーを許しています。
正義の使者として悪役をねじ伏せずに、あくまでも「国王候補」としてキルモンガーと最後まで相対していたからそう感じました。

ワカンダという国が、その国に暮らす国民性が、全て「国王を定める為の決闘」に集約されていたと思います。
5つの部族からなるワカンダ国。
かつては争っていた5つの部族ですが、4つの部族は調停を結び、1つは山へと閉じこもりました。
そんなワカンダでは、代々国王(ブラックパンサー)を決める為に決闘の儀式が行われてきました。

この決闘、端的に言えば「殺し合い」です。
相手が降参するか、死ぬかするまで5つの部族の代表同士が争うというもの。
そこに正義感が介在する余地はなく、一番の強者が国王になるという寸法です。

一見すると、これは大いに危険を孕んでいるように見えます。
力のある悪が世界最高峰の武力(ヴィブラニウム鉱石)を牛耳れる可能性があるからです。
それは、今作で描かれていました。
「完全なる悪」では無いものの、しかし、世界に侵略を仕掛けるという行為だけ切り取れば「悪」であるキルモンガーがこの決闘で勝利してしまった。
これは世界から見れば、脅威です。
今までキルモンガーのような人物がいなかったことが不思議にさえ思えます。

しかし、ワカンダの国民性を考えれば、今まで世界的な脅威にならなかった理由が見えてきます。
ワカンダで暮らす5つの部族にとって、ワカンダこそが世界なんですよね。
外の国々は見えておらず、恐らくですが、外からの侵略が無い限り介在してこなかったのでしょう。
どこまでも閉鎖的な国民性であり、故に、ワカンダ内での統治こそが全てであった。
歴代の王、つまりは、歴代のブラックパンサーは「正義のヒーロー」などではなく、「ワカンダの王」であったと。

ティ・チャラは、キルモンガーに一度決闘で敗れながらも、まだその決闘は有効だとして、決闘の再開を宣告しました。
それは、キルモンガーを「正義のヒーローに歯向かう悪」としてではなく、「国民の1人」として見做しているに等しい宣告です。

こうして、ティ・チャラは、キルモンガーを決闘の末に破ります。
新たにワカンダの王として即位した瞬間でした。

ヒーローとしてのティ・チャラ

ワカンダの王となった、ティ・チャラは、しかし、「歴代のブラックパンサー」像の否定をします。
どこまでも閉鎖的であり、国外の人々を「見殺し」にしてきた「歴代のブラックパンサー」。
救える力を持ち得ながらも、それを行使してこなかった歴代の王。
自分の父を含めた「歴代のブラックパンサー」を否定します。

アメリカに、キルモンガーの父が殺された場所に、「ワカンダの力を平和利用する施設」を建設。
世界に対してもワカンダの王として、「平和的な力の行使」を宣言します。

エピローグで描かれたこれらの事実が、ティ・チャラが「歴代のブラックパンサー」を否定した事を物語っています。
ティ・チャラ扮するブラックパンサーは正義のヒーローとして出発する事を宣言した訳ですね。

復讐は決して褒められることではありません。
憎しみは新たな憎しみを生み、負の連鎖が続くからです。
しかし、同情は出来ます。
誰だって肉親が殺されたら、犯人を恨むでしょう。
単純に「悪」とは呼べない、然しながら、「正義」とも呼べない曖昧な存在。

ティ・チャラはそれを許す事で、彼なりの正義感を示していたのかなと。
「大切なモノを奪った存在を許せる度量」こそが彼の正義感なのかなと感じました。

終わりに

ブラックパンサーは「アベンジャーズ インフィニティ・ウォー」で帰って来ます。
その前に、彼の正義感を示す必要があったと僕は思います。
「シビル・ウォー」での印象がヒーローとはかけ離れていたからです。

彼の正義感は何なのか。
改めて主演に据えることで、問うて、答えを示す。

今作で示されたブラックパンサーの正義感は、「シビル・ウォー」でのブラックパンサーを踏まえた上での最適解でありました。
そう言う意味で鑑賞して満足出来た一本でした。

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