弱かった冒頭の印象を覆す至高の結末 「僕だけがいない街」 総括

この記事は

「僕だけがいない街」の感想記事です。
ネタバレありますのでご注意下さいませ。

はじめに

最終第8巻が発売されました。
公式では5月2日売りとなっていますが、KADOKAWAのコミックスは基本「書籍扱い」。
入荷したら即(公式発売日を待たずに)販売しても良いよという本なので、明日からのGWの絡みもあって今日(28日)だったのでしょうね。
たまたまヨドバシカメラのコミックスフロアを覗いてみたのが奏していました。

という訳で感想ですよ。
8巻の感想というよりかは全体を総括したものです。

弱かった冒頭の印象

僕がこの漫画に出会ったのは6巻が出る数か月前。
ネットカフェで既刊5冊を何気なく手に取り、一気読みした時です。

その時の興奮は今でも忘れません。

ゾクゾクするサスペンス感。
先が気になるストーリーテリング。
ページを捲る手を止められず、瞬く間に読み切った5巻のラストの衝撃度たるや、筆舌に尽くし難いものがありました。

ここで終わりかよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお

ネカフェの薄暗いブースの中、一人魂の叫びを挙げそうになりました(笑

そこからの行動は早いものです。
僕は気に入ったものはすぐにでも手に入れたくなるという少々困った”悪癖”を持っています。
新刊書店で既刊全て買い揃え、6巻以降は発売日すぐに買いに走る。
そうして、今日まで来たのです。

何故にこんな作品の感想とは無関係な僕の感情ばかりを書いているのかと言いますと…。
1巻の第1話。
その冒頭を読んだ時の僕の気持ちは、こういう気持ちになるとは想像出来ない程真逆だったということを示す為です。

正直に申しますと、冒頭数ページは僕の琴線にフックする点が殆ど無かったんです。

唐突にモノローグから始まる出だし。
決して明るい訳では無い。
いや、寧ろ暗く重苦しい始まり方。

主人公の悟が漫画家として全否定されるシーンからは、この後に待ち受ける展開への期待感は中々持てません。
少なくとも僕は持てなかったのです。
1巻の表紙である「表情も無く1人雪の中佇む少女(加代)」のイメージ通り「ただただ暗い漫画」なのかなと。
読むのしんどそうだな〜と思ってしまったのですね。

さて、特に小説でよく聞く言葉ですが「冒頭は滅茶苦茶大事」と言います。
有名な小説の冒頭部分って、本編を読んだことが無くても聞いた事がある・知っているという事も少なくありません。

何故小説で良く聞く言葉なのか。
映像作品や漫画よりも歴史が古いからというのが全てなのでしょう。
けれど、それだけじゃなくて、やっぱり僕ら読み手側にパワーが必要だからだと思うのです。

漫画や映像作品は、人にも因る筈ですけれど、読んだり見たりするのにパワーは然程使いません。
漫画を読む前に「よし読むぞ」と気合い入れる事って滅多にないですよね。
苦手なジャンルだったり、または長時間に及ぶ大作映画とかを見るとなると相応のパワーは必要ですけれども、そうじゃなれけば割と気軽に見たり読んだり出来るんじゃないでしょうか。

小説の場合、活字が好きという人は別として、1冊の小説を読もうとするとある程度の「覚悟」が必要なのかなと。
ラノベだとサクサクッと読めちゃうのかもですが、純文学とかなると読み切るには時間を要しますしね。
余程好きでない限りは、気合いが必要なのかなと。

そうやって気合い満タン、いざ読書に入り、然しながら冒頭部分で嗜好が合わなかったり、興味を惹かれなかったならば…。
読者はそんな作品の続きを読んでくれるかどうか?
多くの人が、冒頭を読んだだけで本を置くのではなかろうか。
だからこそ、冒頭が大事という「格言」が小説には付いて回っているのではないか。
僕はそう考えています。

冒頭の1ページ、ないしは数行でいかに読者の心を掴むか。
それが全てと言っても過言ではないのかもしれません。

これは何も小説だけではありませんよね。
前評判とか情報とか事前に仕入れていない真っ新な状態で、初めて手に取った漫画や映像作品に触れれば。
やはり最初の入り方は大事になりますよね。

そこで興味が持てれば続きに自然に入るし、そうじゃないと止めてしまう。
気楽に触れる媒体であれ、そこは共通してるんじゃないかな。
(こう考えると、最近の深夜アニメの「3話切り」は、随分と忍耐強い方なのかもしれませんね)

話を戻しますと、僕にとって「僕街」の冒頭は、そこで読むのを止めてもオカシクナイものだったのです。
作品内容は知らなかったけれど、「評判の良いミステリ漫画」という評判だけは聞いていたので続きを読み進められたというのが実のところです。
もし、その評判すら知らなかったら、どうなっていたのか。
僕はこの傑作を冒頭部分だけの評価で読まなかったという非常に残念過ぎる「今」があったのかもしれません。

「冒頭に惹かれる物が無かった」。
一見ただのネガキャンです。
最低です。
いや、違うんですよ。

最終巻を。
最終回までを読んだ今、改めてこの冒頭部分を振り返って、そして僕が愚かだったと気付かされたのです。

「僕だけがいない街」の始まりとして、これ以上無い程大事な要素が詰まった凄い冒頭だったんだなと。

心の中に空いた穴を埋める物語

ミステリとかサスペンスとか。
この作品を既存のジャンルに当て嵌めると相応しいのはこの辺りでしょうか。

確かにそういった要素はあるんですが、根っこの方にあるもっと大事な部分は主人公悟の物語ですよね。
“僕だけがいない街”というタイトルの意味そのものとでも言いましょうか。

最終回でケンヤが悟に謝罪します。

失われた時間をもう戻って来ない

冤罪によって長い間牢に入れられていた被害者達の人生も、15年間眠り続けていた悟も同じだ。
ケンヤはそう言い、「損な役割をさせてしまった」と悲しみとも懺悔ともつかない涙を流します。
これに対して、僕の方が皆に救われたと逆にお礼を述べる悟。

リバイバルによって「信じあえる仲間」を沢山作った悟が、彼らに支えられて眠っていた15年を過ごした。
愛梨に救われ、ケンヤ達に励まされ、多くの人に支えられて前へと進んできた。
八代でさえ、悟の力になっていた。
悟だけがいない15年の街は、だからこそ、悟にとって掛け替えのない大事な宝物となった。

タイトルの意味にこういった答えを与え、それに見合った物語を紡いできたのです。
だからこそ、この漫画は傑作と呼ぶに相応しく、また、作品の冒頭部分が際立つんですよね。

では冒頭はどんなだったか。
一言で表すと、「悟の顔が見えて来ない」。
これでしょうね。

悟の漫画を通して、編集者が伝えたメッセージの全て。
空っぽで、他人の意識に踏み込めない悟の人生そのものを表した端的な感想であり、それを執拗に読者に植え付ける。
そういう意図があったのだなと漸く気付けたのです。

悟とはどういう人間なのか。
“最初の2005年”では、そういう人間だったと印象付ける冒頭になっています。

“2度目の2005年”の悟は、どうなったのか。
最終回。
第1話で悟の漫画を全否定したのと同じ編集者が、「アニメ化作品を持つ程のプロの漫画家となった悟」の担当編集者として”再登場”しています。
彼の再登場そのものが 「漫画を通じて、作者・藤沼悟の顔が見える」。
そういう人間になったというのがダイレクトに伝わってくる演出となっています。

物語には始まりがあって終わりがある。
始まりと終わりでどう変わったのかを克明になるような「始まり」と「終わり」があると、綺麗に纏まった印象を持てます。
終わりに繫げる至高の始まり。
初読時には気づけなかった素晴らしさに最後まで読む事で気付けた。
そして一層好きになった。

「心の中に空いた穴を埋める物語」
テーマがハッキリと浮かび上がるとても読後感の良いラスト。
愛梨とのこれからも妄想出来ますし、作品全体の印象も良くなった。

最後まで読む事で、改めてその構成力の高さに唸らされました。

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