この記事は
「千歳くんはラムネ瓶のなか」第3巻の感想です。
ネタバレあります。
ガガガが殺しにきてる
ガガガ文庫の4月のラインナップが恐ろしいことになってます。
「俺ガイル アンソロジー」の3巻と4巻。
「友崎くん」の8.5巻。
そんで「チラムネ」(正式な略称らしいですので使っていきます)の第3巻。
今日からGW明けまで強制自宅待機という地獄が始まったので、まったりと読ませていただきます。
(と言いつつ、今までにないペースでブログに感想をアップする予定ですがw)
第1弾として、「チラムネ」を選んでみました。
この略称は、あれでしょ。
ダブルミーイングでしょ。(意味違うか)
「千歳くん」の頭の「ち」と「ラムネ」をくっつけた略という意味が1つ。
もう1つが、ヒロインの「胸」が「ちらっ」とするという意味。
あ~。そんなそんな。
やらしい意味じゃないですよ。勿論。
明日姉のバスローブ姿を一目見た瞬間に、「おやっ、胸元に黒子があるのね」と気づくくらいではありますが、そうじゃないですよ。
ヒロインの胸の裡。
心に秘めた想いがチラッと魅せてくれるという文学的な意味での「ちら胸」。
主人公・朔くんの周りのヒロインズとは年齢的にも立ち位置的にも隔たった場所に立っていると思っていた明日姉の印象がガラッと変わった物語でした。
同時に朔くんの印象も変わって見えたから、改めてヒロインを通して主人公を描く物語なんだなと感じた第3巻でした。
感想になります。
どんどんキャラが好きになるよ
今回なんだか朔が「普通の青年」に見えていました。
これまでのようなスクールカースト頂点にいるリア充という一面は鳴りを潜め、どこにでもいそうな一般的な青年に思えたのです。
印象が変わったという意味では、今回のメインヒロインを張った明日姉も一緒。
物静かでクールで知的。余裕を感じさせる「女性」。
大人のお姉さんとした空気を纏って見えたのに、今回はどこまでも「少女」でした。
隙だらけ、ポンコツまっしぐら。
あどけなさの残る少女に映りました。
なんでそういう風に見えたのか。
勿論、朔というフィルターを通した明日風という少女が描かれていたからと解釈するのがベターなのですが、それだと朔自身の印象が変わった理由にはなりません。
もっと別の要因があるんじゃないかと考えて、真っ先に思いついたのが「大人の視点」が入ったからというものでした。
蔵センでもニッシーでもどっちでも良いんですが、どちらか1人を選ぶとするならニッシーかな。
理路整然とした理屈で子供を見る視線が、朔を、明日風を「子供」に見せていたのかなと。
ま。ただの僕の勝手な考え。
これが合ってようが外れてようがどっちでもよくて。
間違いなく正しいのは、こういったこれまでとは違う印象を持ったことで、彼彼女により親しみを覚えられたという事。
明日姉なんて、滅茶苦茶可愛かったですからね。
年相応の少女らしい一面、東京でポンコツ化したところ。
いちいち可愛らしくて、もう彼女とくっついてくれよと願ってしまうほど。
2巻の時は「悠月かわいいいいい、朔もらってあげてえええええ」と悶えてましたので、つくづく勝手ではありますが。
朔も朔で、ようやく彼の過去が判明して、これまでの行動の点と点が繋がっていったのは大きかったですね。
普通の青年らしいというと、明日姉の言う通り「色々ありすぎた」過去でしたが、実に等身大の悩みや葛藤があったのだなと。
今作がこの先どこまで続くかは分かりませんけれど、3巻はまだまだ序盤と呼んで差し支えないと思うのです。
そこで朔にとってのキーパーソンとなっていた明日姉を中心に据えてきたのは納得しました。
明日姉を語らずして、朔の真実を描けないのだとしたら、この段階で彼女の物語に触れるのは必然と言えそうです。
2巻時点でも十分主人公として立っていた朔ですが、やはり落ち込んでいた時期の顛末を読者が知ってるかどうかでは、感情移入の度合いも変わってきますからね。
間違いなく千歳朔を語る上で避けては通れない「事件」が示唆されていたのですから、そんな重要なお話は序盤でやって欲しいと思うのが人情かなと。
なんにせよ本当に良かったです。
1巻で健太に語った偉人伝や、彼に言った「それに大前提として、俺はべつに毎日お前とつるんでいたいとは思えない」の真意とか。
兎も角朔の言葉や態度に改めて違った見方が出来るようになったのは大きいです。
より朔というキャラクターに深みが増したという意味で、非常に良かったですね。
夢の叶い方ってなんだろう
夢ってどうすれば叶うんだろうか。
ニッシーの未来予想図は、確かにぐうの音も出ないほどの正論に思えました。
幸せ=必要最低限の水準の生活を送れること
なのであれば、
「夢破れ、ブラック企業でしか働けず、そこで体を壊し、生活もままならない」可能性が少しでも低い将来像を提示するのは、親としては当然の心理なのだと思う。
子を想えばこその厳しさだよね。
でも、現実夢を叶えてる人はいる。
そういう人たちの親は全員愛情が無かったり、奔放主義なのかと言えば、そんな訳は無く。
間違いなく、子を愛し、堅実な道を進んで欲しいと願う親はいたはずで。
「夢を叶えた子供」の方だって、元より圧倒的な才能と努力に裏打ちされた力があった人間ばかりじゃないはずです。
才能に恵まれなくとも、努力だけで夢を勝ち取った人も当然にいる。
そんな努力しか出来ないって子供が、子には普通の幸せを望む親を説得して、夢に向かって進めるにはどうすれば良いのか?
答えが出なさそうな問に対する1つの解が、朔が示し、明日姉が辿り着いた意地だったように思えました。
「なれるまでやる。」
流石に言葉通り「なれるまで」は出来ない世の中だけれど、何があっても諦めない心は大事なんだろうね。
どんな夢であっても、さ。
その上で、足掻いて藻掻いてもダメだったらば、諦めがつくし。
そうして諦めれば、悔いだって残らない。
もしそれで後悔するようならば、本気で叶えたい夢では無かったのかもですしね。
「夢の終わりは自分で決めなきゃ駄目だッ」
これは3巻で一番の名言ですね。
余談ですが、「国語教師」と「編集者」の違いなら僕にも言えるかも。
言葉を伝えたい。
この「言葉」って誰のと言えば「自分の」ですよね。
編集者はあくまでも作家の物語を発掘して、育てて、届けることが仕事なので厳密にいえば「自分の言葉」ではありません。
けれど、作家と一緒に二人三脚で「読者に伝えたいこと」を作っていく職業でもあると思っています。
(推敲や添削位しか携われない場合もあるでしょうけれど)
国語教師は違うと考えます。
既に出来上がった「言葉」に他人が作った「解説」を教えるだけ。
そこに「自分の言葉」が介入する余地は無いんじゃないかな。
少なくとも義務教育までは無い気がする。
自分の言葉を伝えたいのであれば、教師では難しいと個人的には考えています。
余談でした。
終わりに
明日姉ルート、本当に良いなぁ。
単純なラブコメ展開にはならないでしょうけれど、明日姉と東京で夢を追うという未来も見てみたい。
最後に。
裕夢先生にまで「もげろ」言われてる岩浅さんに笑った(笑
担当作家皆から股間を狙われる編集者さんですね。
愛されてますねw