長期連載だからこそ生まれる伏線の効力に関する考察

この記事は

漫画の伏線についての記事です。
幾つかの作品のネタバレがありますのでご注意下さいませ。

はじめに

今回もまた伏線のお話を。
2年ほど前に感じた事を今更書き残しておきます。

本題に入る前に、伏線について。
伏線とは、後の展開に関わってくる事柄を前もって仄めかす事を指します。
漫画の場合は、絵で示される事もあれば、台詞内に仕込まれている事もあります。

また、「バクマン。」で描かれていたように、その種類には2つほどあります。
1つは本来の意味で用いられるべき伏線。意味は上記と同じ。
もう1つは、厳密に言えば伏線と呼んではいけないのでしょうけれど、「過去の伏線でも何でも無かった描写を伏線に仕立てる」やり方。
以下、1つ目を「真伏線」、2つ目を「擬似伏線」と呼称させて頂きます。

例えば「DRAGON BALL」の悟空のルーツなんかは、擬似伏線と決めつけて差支えないと思うのです。
尻尾の存在と大猿化。
ブルマだっけかな?「あんた宇宙人じゃないの?」的な台詞も初期にありました。
恐らく連載当時は、悟空がサイヤ人という設定は無かった筈です。
若しかしたら宇宙人という設定くらいはあったのかもですけれど。
連載が進むにつれ、悟空のこれら「地球人とは異なる点」を掘り下げて、先程の台詞等々を伏線に昇華されたのかなと見ています。

とはいえ、この両者の見極めは難しく、する意味も無い。
なので、ちょっと観点を変えます。
「読者に驚きを与える」という一点に於いては、真伏線と擬似伏線、どちらの方がより効果が大きいのでしょうか。

伏線と驚きについて少しだけ堀進めてみます。

伏線と読者の驚き

ネットが発達した現在。
かつては学校の仲間うちだけで語りあった漫画話も、今では老若男女・住む場所を問わず広く不特定多数の人と語り合う事が可能となりました。
それによって、今までは気付けなかった点にも楽に気付けるようになったんです。

これは良い面と悪い面を含んでいます。

良い面としては、伏線に気づけるようになった事。
1人では気付けなかったかもしれない伏線も、世界中の誰か1人が気付いてネットで情報を書き込んでくれれば、気づけるようになりました。
伏線って、気づけてナンボだと思うのですよね。
読者に気づかれて初めて意味を持つものであって、気づかれないままだと伏線の意味が無い。
ネットでの意見交換でそういうのが少なくなったというのは良い点として挙げられるべきかなと。

悪い面としては、矛盾するようですが、伏線が簡単にばれてしまうようになってしまった点。
いくら分かった方が良いとは言っても、ばれるのが早すぎたりすると驚きも薄い。
また、「自分で読み返して初めて気づける」という楽しみも奪いやすい。

「金田一少年の事件簿」なんかは、悪い点の影響を多少は受けていそうです。
読者が事件の謎を解けるように、必ず真伏線が張られている本作。
本誌では真相当てクイズも行われていますけれど、ネットで「他人の推理」を簡単に知れてしまう現在「クイズ」としての価値観は下がっているのかなと。
ネット発達前の真相当てクイズ正解者と今の正解者では、昔の方が良く見えることもありそうなんですよね。
作品の質云々では無くて、今では「他人の推理をネットで見たんじゃないの?」と偏見を持たれやすくなりましたので。
まあ、でも、これは作品自体には無関係。
「金田一」にとっては利点の恩恵の方が大きいのかな。
ネットでファン同士がワイワイと楽しみながら事件の謎解きが出来ますしね。

さてさて。
ネットの発達と伏線の関係は大きく、伏線が発見され・拡散されやすくなった事は確かです。
漫画本編でのネタバラシよりも早く見抜かれてしまい、本編でのネタバラシの際に驚けなくなるというケースも増えて来たんじゃないかな?
そう考えると、真伏線って驚きにくくなってるのかもですね。

先にも書いたように真伏線は、「後の展開の仕込み」であるからして、勘の鋭い読者が十分に気付ける余地がありますから。
1人が気付いてネットで拡散しちゃえば、漫画内でそれが確定しても驚かれるのは「伏線を仕込んでいた作者」よりも「その伏線に気づいた読者」に対しての方が大きい気がするのです。
「作者スゲー」より「気付いた奴スゲー」という驚嘆の方が大きい。

擬似伏線は、作者が後付で何でも無かった事柄を伏線に仕立てる手法なので、これは読者としては気づける余地が少ない。
基本的には気付けない事です。
だから、本編のネタバラシの際は「作者スゲー」という声の方が圧倒的に大きくなる気が致します。

伏線の種類によっても、このように驚きという観点から見ると、違いってあるんじゃないかなというお話。
で、ここから本題。
伏線の種類に関係無く、読者を無条件で驚かす事が出来る方法もあります。
最終章に繋がる伏線が序盤に仕込まれている場合など、「長い年月を掛けて張り巡らされた伏線」です。

熟成された伏線

過去記事にもしましたけれど、「封神演技」のそれは有名ではないでしょうか。
ググれば、いくらでも記事が出てきます。

ラスボスであるジョカを暗示する「歴史の道標」という単語が、僅か13話目にして初お披露目。
連載当時から藤崎先生はコメントで「ラストの展開まで考えてある」と仰ってましたが、その証左としても機能していた伏線。

この手の伏線は、やっぱり驚かされます。
ネットでの情報拡散云々を考慮しても、驚きがある。
「作者スゲー」と無条件で叫ばれる伏線の1つであると僕は思っております。

んで、この驚きは時間が物凄く大切。
もしも「封神演技」が全3巻くらいの短い作品だったならば。
正直同じ伏線でも驚きという点に於いては評価がガラッと変わります。
然程驚けない事でしょう。

この伏線は「封神演技」がJC全23巻という長大な物語だったからこそ、大きな驚きと共に称賛されているんです。

つまりは、連載期間が長ければ長い程、価値が高まっていくのかなと考えました。
連載が超長期に及ぶと弊害ばかり目につきますけれど、逆に効果が高いものもありますよね。
「名探偵コナン」もその1つ。
特に「ベルモット編」は凄かった。
24巻から足掛け18巻分。
至る所に張り巡らされた伏線がいっきに回収された42巻は物凄く興奮しましたもの。

特にベルモットが誰に変装していたのかについては、本当に驚きました。
眼鏡のブリッジが偽物が1本で、本物が2本とか気付かないってw
気付いた人も凄すぎるけれど、こんな伏線を思いついた青山先生も凄すぎてもう。
この件に関する詳しい事は、下記リンク先を参照してくださいませ。
「詳し過ぎる」位丹念に考察されております。
アニメ版はこの伏線を採用していなかったんだ。知らなかった。

参考:「ベルモットはいつから新出先生に変装していたのか」 名探偵コナン 考察 黒の組織編 あの方の推理さん


左のメガネのブリッジが1本の状態がベルモット変装時。
右のブリッジ2本のメガネをしている方が本物の新出先生。

ちょっと脱線しましたが、「コナン」の時も「連載が長いからこその驚きだよな…」と思ったものです。
で、2年前。
というか、もう2年も経つのかと、そっちの方が驚きなのですが…。
伏線についてググっていた時にたまたま見かけた2chのまとめブログに「NARUTO‐ナルト‐」の伏線についての記事が有りました。

当時敵として出て来たオビトが実は2巻に既に描かれていた…という事を驚きの声と共に纏められていたんです。
これを伏線と呼べるのかどうかまでは分かりません。
でも、連載開始当時はオビトを敵として早々に出す予定があって、連載しているうちに10年以上登場が遅れちゃいましたという事は十二分にあり得ます。
だから、伏線と見做せそうではある。
仮に伏線だとしたら、これも「時間の成せる業」と言えそうですよね。


No.16:お前は誰だ!! の表紙。
カカシの枕元にある2つの写真フレーム。左側にオビトの姿が描かれています。

これもifの話ですが、もしもオビトが3巻とか4巻辺りに出て来ていたら、読者のリアクションはどうだったんでしょう。
想像でしかありませんが、やはりガラッと反応も変わっていたのではないかなと。
「凄い伏線」という評価は今ほどでは無かったのではないでしょうか。

終わりに

伏線が齎す効果の1つは紛れも無く「驚き」です。
「あれが伏線だったのか〜」、「すげ〜」等の反応から「この作品おもしれ〜」に繋がる。
作品の面白さに直結する可能性の高い要素でもあります。
ともすれば弊害になりやすい連載の長期化ですが、長期連載だからこそ通常の何倍の驚きを持ったスペシャルな伏線も生まれていると思います。

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