「名探偵コナン」にアクションは必要なのか否かを考える

はじめに

名探偵コナン」にアクションは必要なのか否か。
「劇場版コナン」の感想時に必ず目にするのが、アクションに関してです。
静野監督が就任してからは一層「アクションの比重が高すぎる」という批判があります。

元々原作からしてアクションシーンはありますし、「劇場版コナン」に限定しても初代のこだま監督期から取り入れられている要素。
批判してる人達は皆一様にそれを分かった上で、それでも批判的な立場を取っていらっしゃる。
何故なのか?

色々と個々人によって考えはおありでしょうけれど、1つに「コナン」はミステリが基本だよねという考えがあるように見受けられます。
アクション批判は即ち「ミステリ要素が薄い」という批判の同義として使われている節があるからです。

“割合的にはアクションの方がミステリより比重が高いよね。
ミステリ漫画なのにおかしいよね。
逆(ミステリの比重が高い方)が自然だよね。”

という感じの論法。
同時に、

“初期はこのバランスが取れていた。”

というのも良く添えられていたりします。
概ね同意せざるを得ないかな。

今見返しても、初期は確かにバランスが良いです。
顕著なのが第1作「時計じかけの摩天楼」。
アクションシーンがしっかりと事件解決までの道筋に綺麗に落とし込まれていて、非常に自然に仕上がっています。
演出もバランスの良さを際立たせる一助になっていると思います。
アクションばかりに目が行かない様、派手過ぎず地味すぎず、実に良い塩梅で画作りがされていますもの。

だけれど僕は、静野監督期も十分ミステリしてると思うのですよ。
こだま監督や山本監督とは違い、静野監督のアクションシーンは本当に派手です。
カメラをグリグリ動かして、キャラに大仰な演技をさせて、エフェクトをこれでもかと効かせる。
圧倒的に印象に強く残ってしまうのは仕方ありませんよね。
強い光に隠れてミステリの印象が薄くなっているだけで、決して疎かにはなっていないと考えます。

“初期はこのバランスが取れていた。”
には同意。
でも、今アンバランスかと問われると、そうとは言えない…というのが僕の考え。

概ね同意とはそういう意味です。

でも、決定的に違う考えなのが、「ミステリ漫画なのにおかしいよね。」という点ですね。
ここは僕の考えとは180度異なります。

僕にとって「名探偵コナン」のアクションシーンの”殆ど”がミステリの範疇に含まれるからです。
いや、ちょっと違うかな。
「コナン」はミステリなんだけど、ミステリじゃない。
厳密に言えば「探偵漫画」なんだと。
だから、アクションも当然含まれるべき要素なのだという考えです。

「探偵」の条件

少し視点を変えます。
他作品を引き合いに出すのは、なんか違うと思うのですが、分かり易いので出させて頂きます。

金田一少年の事件簿」の金田一一(ハジメ)。
Q.E.D.-証明終了-」の燈馬想。
そして、「名探偵コナン」の江戸川コナン

このブログでは、毎度お馴染の3作品。
さて、この3つの漫画の高校生素人探偵達ですが、果たして一番「探偵」をしているのは誰でしょうか?

断然、僕はコナンだと考えます。

理由は2つあります。
1つは、明白なのですが、作中での彼ら自身のスタンスの違いから。
ハジメも燈馬も自分から「自分は探偵です」なんて名乗ったこと唯の一度も無いんですよ。
対してコナンは、決め台詞のように言ってますよね。「江戸川コナン。探偵さ」と。

もう1つは、これは「探偵」の定義の解釈にもよりますが、「犯人逮捕までして初めて探偵だから」という定義の元で彼らを見ると、消去法でコナンしか残らないんです。

「犯人逮捕までして初めて探偵」

事件の謎解きをして、推理ショーをやって、動機と共に自白して縛につく。
ミステリの王道プロットですが、これは”大きな視点”から見ればほんの一部ですよね。
何も世の中トリックを張り巡らす知能犯ばかりじゃないんですから。
探偵の対峙する犯人達の中には、暴力に物を言わせた犯罪者だっている筈です。

強盗とか通り魔とかテロリストとか。
知能犯だって、必ずしも大人しく捕まるヤツばかりではありません。
唐突に牙を剥いて、探偵に襲い来る凶悪犯だっているでしょう。

探偵というのは、そのような犯人が相手だとしても、気後れせずに逮捕出来る。
そういう存在なんだと考えます。
(あくまでも架空の中での探偵像です)

ハジメは、武術はからっきし。
剣持とか明智警視、小龍とか、腕っ節の強い仲間が暴走した犯人を捕らえてくれるので、彼が弱くても問題無かったです。
「殺戮のディープブルー」とか一歩間違えてたらヤバかったでしょうし、「異人館村殺人事件」だって殺されかけた。
真犯人を説得し、罪を償う様促す事は出来ても、暴力に訴えかけられると弱い。

燈馬君も一緒ですね。
有史以来最強を誇る屈強なる戦士・可奈とコンビを組んで初めて「探偵」というカテゴリーに入れられる存在。
そもそもが「捕まえよう」という気がハジメ以上に希薄なので、謎解きが終わった時点で燈馬君の役割は終了ですからね。
万が一の場合は可奈が担当という役割分担がしっかりと出来上がっています。

作品のスタンスとして、謎解きがメインに来ていて、どちらもミステリが本筋だからというのもあるのでしょう。
必ずしも主人公に犯人を逮捕させる必要性が無いので、この点は敢えて主人公に花を持たせていないのかなと。

「犯人逮捕まで出来て探偵」。
このような定義付けをすると、ハジメも燈馬もその能力には劣りますので探偵とは言えません。
探偵学園Q」の究達ならば探偵として当て嵌まりますね。

さて、前述したように「コナン」は「探偵漫画」です。
主人公のコナンは故に探偵なんです。
ハジメ達と違って、犯人を捕らえる力を有しているんですよ。
探偵に必要な運動神経を養う為にサッカーをやってた位ですしね。

だけど、小っちゃくなっちゃった。
毒薬で小学生の姿になり、体力は落ち、力を失った。

コナンとしての「最初の事件」は、もう作品の本質を示してますよね。
誘拐犯を追いつめるも、相手は大人。
成す術無くタコ殴りにされ、蘭が助けに来なかったら殺されていました。
事件を通し、力の無さを痛感したコナン。

推理で追いつめても、捕まえる事が出来ないと危機感を募らせます。
そうして博士に作って貰ったのが、数々の発明品。

一部を除いて、基本的には「幼児化の際失った身体能力を補い、子供の身体でも大人である犯人に対抗出来る」をコンセプトに作られています。
キック力増強シューズは、その代表例ですね。
博士のサポートを受けて、再び犯人を捕らえる力を持ったコナン。

コナンが知能犯以外の多くの「力任せの犯罪者」を相手できるのもその為。
彼が探偵だからです。

それを端的に見せてくれたのが、アニメオリジナルエピソードの「デパートジャック事件」。

▼エピソードあらすじ
「仮面ヤイバーショー」を見にデパートを訪れたコナンたちは、元太が大事なヤイバーのサインを忘れ閉店間際のデパートにとりに戻るが、出入口が閉まり閉店後のデパートに取り残されてしまう。
警備室に行ったコナンたちは、そこでヤイバーとジョッカー軍団の着ぐるみ姿で閉店後のデパートを狙う強盗団に遭遇してしまう。

去年(2015年)リマスターされてましたね。懐かしかったです。
かなり好きだったアニオリですが、今見返しても流石の面白さでありました。
このエピソードは、まさに「力任せの犯罪者」を知恵と勇気と行動力で捕まえる事件。
探偵団の面子と力を合わせて、強盗団を捕まえていきます。

原作では、やはり初期の「大都会暗号マップ事件」もそうでした。

▼エピソードあらすじ
コナン達少年探偵団は、蘭といっしょに東都タワーにやって来た。
そこでヤイバー人形を入れていた歩美の紙袋が、すり替わってしまった。
紙袋の中に入っていたのは、地図や双眼鏡、一枚の紙切れ…。
やがて持ち主が現れ、人形は戻ったが、元太は暗号のような図形が書かれた紙切れをくすねていた。
宝の地図だと盛り上がる少年探偵団は、翌日、宝探しに出かける。
図形の意味や形を求めて、米花市内を駆けまわるが、謎は解けない。
途方に暮れていると、コナンは誰かが尾けてきた事に気づく。
その時聞こえて来たのは、イタリアの強盗団のニュースだった。

http://websunday.net/conandb/lib/00/0011.html

最初期のエピソードと言うのは、物語全体の方向性が見えるものです。
血腥く、頭を悩ます殺人事件の解決だけでは無く、知恵と勇気、そして備えた”力”によって犯罪者達を捕まえるというのは、立派な「コナン」の柱。
コナンの探偵像の一面をしっかりと表しているんですよね。

「未然に事件を防ぐこと」・「被害を最小限に食い留めること」

探偵として必要な能力は他にもあります。
大事なのは「未然に事件を防ぐこと」・「被害を最小限に食い留めること」。

正直作品内で扱うには、なかなかに難しいのですが。
なんでもかんでも事件が起きる前に探偵に解決させてたら、物語として成立しなくなりますからね…。
だから、数自体は凄く少ないのです。

が。

例えば、連続殺人事件に遭遇しても、ターゲットを1人以上生き残らせたとかも「被害を最小限に食い留めること」になりますよね。
この定義で言えば、ハジメも燈馬もしっかりと探偵として相応しいのです。
特にハジメは多い印象ですね。
最初の事件の「オペラ座館殺人事件」から、最後のターゲットを真犯人の罠から救っています。

では、この観点からコナンを評すると、どうか。
当然当て嵌まるんです。

「被害」の中に犯人自身を含むのがコナンの探偵としてのポリシー。
たった1人を除いて犯人の自殺を防いでますし、計画の途中で凶行を止めることだってある。
止められない場合には、不甲斐無さに激昂することも…。

そんなコナン。
中でも、最も象徴的なのが「強盗犯人入院事件」。
「コナン」史上最も短い1話完結エピソード。(1話完結は他には「逃亡者」くらいかな?)

▼エピソードあらすじ
病院に、小五郎を見舞いに来たコナン達。
悪態をつく小五郎との何気ないやりとりの横で、同室の父を見舞う関口良夫の態度が、コナンには不自然に映った。
あとをつけてみると、関口の周りには、彼を監視する不審な男、デパートの屋上から双眼鏡でこちらをのぞいている女など、奇妙な人物が取り巻いていた。
探偵の血が騒いだコナンが関口を問いただすと、子供を人質に取られ、隠し持った銃で父と同室のやけどの男を殺すように脅されている事を明かす。
コナン達は、殺人計画を阻止し犯人グループから子供を救い出すために立ち上がる!

http://websunday.net/conandb/lib/00/0047.html

初読の時は、面白いエピソードだな〜と喜んだものです。
爽快感があって、読後感も良くて、スピーディ。
しっかりとコナンの推理もあって、アクションもある。
たったの1話で、「コナン」のラブコメ以外の要素がギュウギュウに詰められていて凄いなと。

厳密に言えば人質を取られた後なので、「未然に事件を防ぐ」とは言い切れないかもしれません。
けれど、無駄な殺人(無駄じゃない殺人なんて無いけど)を防いだし、人質の女の子自身に「誘拐された」という想いを抱かせる前に事件を終わらせた点は評価に値しますよね。
所謂「PTSD」…外傷後ストレス障害など心の傷を負わせずに、女の子を救ってみせたのですから「未然に防ぐ」の定義に十分に含めて良いと考えます。

この他、無差別に大量の被害者を出さぬよう奔走するエピソードは数知れず。
甲子園や東都タワー等々。爆弾魔達との闘いもスリルを持って描かれてきました。
何れにせよ、被害を最小限に食い止めるべくコナンは、その能力をフル活用しています。

コナンは、探偵として必要な能力の1つである「未然に事件を防ぐこと」・「被害を最小限に食い留めること」をしっかりと行っているのです。

コナンは探偵故にアクションが必須

本題に戻りましょう。
江戸川コナンは探偵である。
探偵に必要な能力は何も推理力や洞察力ばかりではありません。

推理によって真犯人の正体を白日の下に晒した後、抵抗する犯人を捕まえる力を持つ事。
強盗など暴力に訴えかける事を主とした犯罪者たちを制圧する力まで持っていると尚良し。

更には、連続殺人を途中で止める事も大事ですね。
爆弾なんか起爆の前に止めてしまえ。
「被害を最小限に」。
合言葉を1つに、知恵と勇気で立ち向かっていきます。

コナンの行動原理って、つまりはこれなんですよね。
全ては、事件の被害を最小限に留めること。
時に犯人逮捕を焦るのも、更なる被害者を生まない為。

だから、この行為を行使する上でアクションシーンは生まれてくると。
スケボーで犯人を追跡し、キック力増強シューズでトドメを刺す。
親父にハワイで教わった技術も犯人逮捕や被害を防ぐ為には、どんどん活用する。

鈴木財閥絡みの建物の被害が年々増してるのはただの気のせいです。

建造物の被害に関して、敢えてフォローするならば、コナンは人命最優先だから…かな。
建物崩壊⇒持ち主に金銭的な被害発生⇒持ち主、首が回らなくなり…
とかまで考えてたら…ダメですけど…。
まあ、それを考えさせない為の超ド級金持ちの鈴木財閥なのかもw

コナンが人間止めてしまったというのは、もう監督の演出の傾向としか言いようがありません。
道交法犯したり、スケボー追跡時に事故を誘発してる(ように見えてしまう)とかは、割と初期からなので…。

まあ、どんなアクションに巻き込まれても、一般人に死傷者は出ないんですけどね(笑
純黒の悪夢」冒頭のカーチェイスで、巻き込まれ吹っ飛ばされた乗用車から何事も無かったかのように乗客が逃げ出していたのには吹いたw
芸が細かいですが、スタッフにとっては意味のある「大事なシーン」なのでしょうね。
(死傷者が出なければ、法に抵触しても問題無いじゃんと言いたい訳ではありません。逆走とか絶対ダメ)

探偵として必要な行為をする上でアクションシーンは必要であり、コナンは探偵である。
故に「コナン」にアクションは含まれて然るべき要素だと考えています。

終わりに

今年の映画の「純黒の悪夢」は、「被害を最小限に食い留めるコナン」がメインに来てますよね。
組織がどのような手を打ってくるのか、頭を使って先回りをし、爆弾を見つけたり観覧車を留めたり。
「事件の推理」というミステリ面は鳴りを潜めているものの、「被害を小さくする」点に頭を使って、力を注いでいる。

「コナン」としては、あるべき正しい形での作品に仕上がっていました。

「コナン」のアクションを見て「ありえね〜」と半ば笑いながら見るのはアリなんです。
「質」に関しては、もう監督の趣味ですし、個人の趣味ですからね。
ダメだという人にとってはダメなのでしょう。
ネタ的にぶっ飛び具合を楽しむというのは、それはそれで一つの楽しみ方としても良いですしね。

でも、「量」に関する本気批判は無しかな。
個人的には批判成り得てないと考えていますので。
「探偵行為」をする上で本当に不要なアクションならまだしも、「探偵行為」に則った上でのアクションならば、それは作品の一部なのですから。

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