はじめに
3日連続更新2日目。
「名探偵コナン 業火の向日葵」感想です。
アクションパート
シリーズ第17弾「絶海の探偵(プライベート・アイ)」以来2年ぶりに脚本として参加された櫻井武晴さん。
「相棒」でお馴染みの脚本家さんですが、前回参加作とは一変。
近年の「劇場版コナン」らしい派手なアクションに彩られた映画となっていました。
なので、まずはアクションシーンに言及します。
「絶海の探偵」では蘭VSスパイが唯一と言っていいほどアクションシーンは乏しく、全体的な印象は静かなミステリというもの。
だけど今回は別。
キッドがメインを張るということで、アクションをさせやすいというのもあったのでしょうし、アクションシーンの多さは櫻井さんよりも静野監督の意向かもしれませんが…。
本当に派手で、絵的に退屈させない作りになっていましたね。
ともかくキッドが動く動く。
無駄に派手に(笑
かなり過剰に。
廻って飛んで、ひっくり返って。
画面を縦横無尽に暴れて、それを見ているだけで楽しい。
カメラワークも単調にならないよう、それでいてうるさ過ぎず目が回らないような動かし方なので、見ていて疲れを覚えることはありませんでした。
そんな動き回るキッドが冒頭のニューヨークで派手に登場。
園子達を乗せた飛行機が爆破した際には、上空でゴッホの向日葵の絵を巡って大アクション。
中盤になっても、ゴッホの絵を盗むべく暗躍し、ラストにもしっかりと見せ場が用意されている。
キッドファンは終始大満足のシーンの連続。
長編映画ってどうしても中盤に動きの少ない場面が続きがちになります。
所謂中弛みってやつですね。
レビューを見て回ってると、多くの人が悪い意味でこの言葉を使っているようですが、僕は少しだけ意見が異なります。
登場人物の内面描写(葛藤など)を中心に構成されているシーンがこの中弛みに当たることが多いと思うのですが、内面描写は作品の奥行きを作るためには欠かせないもの。
故に必要な要素であると考えているのです。
それこそずっとテンションの高いままだと見ていても疲れちゃいますしね。
アクションを売りにしてる映画といえど、どこかで静かな動きの少ないシーンが無いと、それこそ単調なものになってしまいますし。
とはいえ、そういうシーンって見ていて退屈を覚えてしまうのも事実。
この中弛みを上手く見せることって大事な技術な気がするのです。
さて、「コナン」でそういうシーンはどんなところか。
僕としては推理・捜査シーンがそれに当たると考えます。
事件が起きずに、探偵がひたすら捜査に当たり、論理を巡らす。
事件が起きないから、ともすれば単調で見ていて退屈になりがちなシーン。
この推理シーンを一点集中で纏めて見せられると、辛い時もあります。
勿論、そういう静かなシーンがあるからこそよりクライマックスとのテンションの落差が強調され、終盤の面白さが引き立つわけですが。
近年の「劇場版コナン」で推理シーンが少ないと言われてしまうのは、偏にこの「コナンが事件を捜査し、推理するシーン」が少ない・若しくは分散されているからというのもあるかもです。
今回も上手く推理シーンが全体に分散されていて、中弛みを覚えそうになるとアクション満載の事件が発生するという構成。
クライマックスに向けて少しずつ加速していく尻上がりな構成ではなく、抑揚の激しい構成とでもいうのかな。
これが静野監督期作品の特徴であると思います。
それでいて、今回は(今回”も”ですね)クライマックスが一番盛り上がるようになっていました。
ここは櫻井さんの力でしょうか。
キッド・キッドと繰り返しちゃいましたが、やはり一番美味しい所はコナンが持っていくんですよ。
蘭をキッドに委ねる理由付けをしっかりとして、「キッドを格好よく見せたいだけ」にならないようにしている。
蘭の為に奮闘し、知恵を絞って絶体絶命の窮地を乗り越える。
「劇場版コナン」伝統である「最後の推理ショー」後に起こる大クライマックスは十分に見応えのあるものでした。
推理パート
推理(事件)パートは櫻井さんの力の見せ所。
いや〜、面白かった。
確かにダークキッドというのは煽り過ぎでした。
冒頭から全くダークさを見せませんでしたからね。
でも、「何故キッドが…」という疑問を最後まで引っ張る力は本当に凄い。
この「何故」を動機面から推察出来る作りになっていたのも、良いなと感じた面。
お婆さんの悲恋、寺井は誰に変装しているのか、キッドと寺井の関係。
これらが結びついた時、自然と謎が解ける仕組み。
この謎を解く為の伏線が全編に亘って張り巡らされているから、観客も謎解きに参加出来るようになってます。
伏線がしっかりとあるから、推理せずとも直感ですぐさま分かっちゃう人には分かっちゃうのですが、動機がしっかりしてるんですよね。
動機のドラマがちゃんとしてるから印象に残りやすいし、納得出来てしまう。
また、それを際立たせるかのように犯人の動機が薄かったのもポイントでしょうか。
コナンが言っていたように「勝手な思い込みから起こした犯行」でわざと印象に残らないようにしている。
犯人の「影」を極限まで落とし、「キッドの犯行ドラマ」をより鮮やかにしていたのかなと。
終盤でコナンと協力しあうのは、これはもうお約束。
けれど、キッドの「義賊らしい犯罪」を描いたドラマとして、これ以上を求めるのは難しいんじゃないかというのは言い過ぎではないはず。
って言うと、じゃあ「まじっく快斗」の1エピソードとしてやれよって意見も出てくるのかもですが…。
でもこのシナリオ、快斗視点だとここまでの面白みは引き出せないと思うのですよ。
ここまで面白く見れたのは、やはり「何故キッドが…」という部分。
今までのキッドらしからぬ犯行…チャーリー刑事からすれば「絵を盗む為には手段を選ばない殺人鬼と変わらない犯罪者」に映る犯行を繰り返しているのは何故なのか。
キッドの本質を知っている僕ら観客やコナン、中森警部しか持てない疑問があったからこそ、最後まで面白さを持続させられたと。
快斗視点でこの「何故」を最初から明かしてしまうと、謎が無くなっちゃいますからね。
「コナン」視点だからこそ、このお話は面白さを極められていたと感じます。
まとめ
今回はアクションと動機のドラマで魅せる作品。
派手なアクションでスカッとした後で、しっとりとした物語を堪能する。
「コナン」に出てくるキッドが嫌いと言う層も一定数いるようです。
キッドが無駄に良いとこを持っていって、肝心のコナンの活躍が少なく映るからというのもあるでしょうか。
もしそういう理由であれば、大丈夫かなと。
キッドが活躍していることは否定できない事実である一方、推理もアクションもコナンが一番印象に残るようになっているので。
主人公の顔がしっかり立った映画。
今年も大変満足いく作品を鑑賞出来て、非常に心地良い気分です。
これまで作られてきたキッド登場の映画の中では一番好きかもしれません。