「劇場版 名探偵コナンは昔の方が面白かった」という風潮に反論する

数字は熱い!!

「ゼロの執行人」の興行がシリーズ過去最高を更新し続けています。
2018年5月現在シリーズ最高を記録したのが前作の「から紅の恋歌」で68億9000万円。
この記録を塗り替える勢いです。
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「から紅」が、公開4週目終了時点(2017年5月8日)の累計で観客動員数が420万9,975人、興行収入が53億9,318万4,100円を記録。
「ゼロの執行人」は、5月1日(火)までで動員374万人、興収48億円。
某所によると5月2日(水)の成績も堅調であり、5月3日(木)と同4日(金)は両日ともに4月29日(日)以上の動員を記録しています。
(5月3、4日の2日間で6.5億円前後の興収が予想されます)
仮に5月3日の勢いをGW中維持するとして計算すると、4週目終了時点(2018年5月6日)の累計興行収入は67億円を超えてきます。
従って、最終は80億前後が予想されますね。

これはとんでもないことです。
TVアニメシリーズの映画作品で歴代最高なのが、「映画 妖怪ウォッチ 誕生の秘密だニャン!」(2014年)の78億円です。
次点が「ポケットモンスター ミュウツーの逆襲」(1998年/76億円)であり、これらを上回る可能性が出て来たという事です。

「劇場版コナン」シリーズは、第20作「純黒の悪夢」(2016年/63.3億円)から跳ね上がり、去年まで5年連続でシリーズ最高を更新し続けています。
興行収入が作品の評価を示す指標ではありませんが、数字上の人気は年々増していってるという事ですね。

本題に入りましょう。
先日「から紅の恋歌」がTV放送されました。
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視聴率など様々な記事に取り上げられ、そこで他者の評価を目にしたんですね。
そこで目についたのが、「昔の方が面白かった」という意見です。

他人の評価・感想にとやかく言うつもりは無いんです。
そこは尊重されるべきだから。
ただ、理由が書かれて無かったから納得が出来なかったんですね。
何を以て過去作の方が面白いと感じたのか?

理由が分からないと、それはただの懐古厨と呼ばれても仕方ないんじゃないか。
もしくは、記憶を美化してるんじゃないのか。

悶々としてしまったのです。

なので、あくまでも個人的な意見を書きたくなりました。
近年の作品も昔に負けず劣らず面白いよということを表明したいのです。
これがこの記事の最終目的地となります。

コナンを構成する3つの要素

公開当時僕は「から紅の恋歌」を絶賛しました。
未だにシリーズでも屈指の出来だと思っています。

理由は至極単純です。
「劇場版コナン」に求められている3つの要素をバランス良く組み立てていたからです。

3つの要素の持論に入る前に、「名探偵コナン」(ここでは原作漫画を指します)を構成する2大要素について考えてみましょう。
青山先生が初期から言ってますが、「名探偵コナン」のジャンルは「殺人ラブコメ」です。
2つの軸を基本としつつ、物語が構成されています。
これはそのまんま「劇場版コナン」の3大要素の2つになります。

要素(1)ミステリ

先ずはミステリ。
「名探偵コナン」は、兎に角ミステリが難しいです。

機械トリック(紐など物を使ったトリック)や雑学・科学を駆使したトリックが多いからです。
トリックを構成する物は堂々と提示されるのですが、そこから答えに辿り着くには「現象を知っているかどうか」読者の知識に委ねられています。
論理的な思考で推理するというよりかは「広範な知識を基にして組み立てる」という推理法が必要になっています。
故に難しい。
トリックが分かると自ずと犯人が浮かび上がる構成になっているので、「トリックを暴けるかどうか」が事件の謎を推理できるかどうかのカギになります。

伏線が絵に仕込まれているのも特徴ですね。
細かいコマを目を皿のようにして観察すると、ちゃんと問題編の時点で描かれており、これをヒントにして犯人を絞り込む事も出来ます。
最近では94巻の「蘭の旅行計画」編。
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ネタバレになるので詳細な言及は避けますが、問題編で容疑者の足元に注目してみて下さい。
ある人物だけ事件前後で変化が見られていて、これが犯人特定及びトリックのヒントになっています。

これが原作「名探偵コナン」のミステリの特徴です。

では、「劇場版コナン」ではどうでしょうか。
原作に比べると、非常に分かり易くなっています。
難解なトリックは出て来ないんですよね。

これはより観客の年齢を意識しているからではないかと考えています。

「劇場版コナン」の主な観客は、20代の女性です。
他のアニメ映画に比べても平均単価が高く、ここからも「客層が一般(大人)に寄っている」ことが窺えます。

余談。
書くまでもないですが、チケット代は大人1800円を最高にして、年代によって価格が違います。
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一般的に、子供向け、シニア向けは平均単価が1000円に近くなり、一般向け(大学卒業以上60歳未満)は1200~1300円くらいの間に収まります。

ちなみに、偶に間違えられてますが、興行収入には、グッズの売り上げ代金は入りません。
純粋にチケットの値段だけです。
故に、深夜アニメ映画に多い高額の「グッズ付き前売り券」は、通常前売券と同じ値段で集計されます。
(通常前売券では無く、1800円換算かも。忘れた。中途半端ですみません)
5000円のグッズ付き前売り券を買ったからといっても、5000円が興行収入に加算される事はありません。
尚、前売り券の未使用分は、公開末期または終了後に加算。

とはいえ、アニメ映画なので子供も入ります。
第18作「異次元の狙撃手」(2014年)の時のデータでは、6歳から15歳は全体の21.0%を占めており、無視出来ない割合となっています。
大人もそうですが、子供でも楽しめるように敢えて難解なトリックは使われて無いのかなと。

例えば、第4作「瞳の中の暗殺者」(2000年)。
発砲が起きた現場にいた全員から「銃を撃った時に必ず付着する硝煙反応」を調べたものの、誰からも検出されないという謎が提示されます。
作品のメイントリックですが、これは非常に単純なモノでした。

もう1つの原作の特徴である「絵に伏線を仕込む」は「劇場版コナン」でも踏襲されています。
こちらも分かり易く、割りと目立つように描かれていることが多いです。

先程の「瞳の中の暗殺者」もそうですね。
トリックのカギとなるアイテムが堂々と登場してますし、犯人特定のシーンもそう。
利き腕に着目すると、簡単に犯人に辿り着けるようになっています。
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第6作「ベイカー街の亡霊」(2002年)では、探偵である工藤優作の目線を追っていけば、犯人もトリック(凶器)も自ずと分かるように作られています。

「から紅の恋歌」のミステリは、「フーダニット」=「誰がやったか」に主眼が置かれています。
倒叙物(最初から犯人が分かっているミステリ)の皮を被りつつも、二転三転させて真犯人に辿り着けるようになる手法を採用。
分かり易い台詞からある人物が疑われ、冒頭の指輪で実行犯が割れる。
犯人しか知り得ない情報(和葉のメールアドレス)や実行犯を操れる人物という観点から、真犯人が分かるというプロセス。
映像や台詞に伏線を落とし込んで、途中までは子供でも推理できるように工夫し、尚且つ、二転三転の手順を入れることで真犯人を上手く隠しています。

この手法は第9作「水平線上の陰謀」(2005年)にも使われてますね。
倒叙型と思わせての真犯人登場。
真犯人に辿り着く伏線もしっかりと見せてあるので、非常にフェアな作りになっています。

犯人特定に繋がる訳ではありませんが、「ゼロの執行人」にもしっかりと踏襲されています。
序盤でコナンのスマホが風見にすられますが、すった直後の風見のカットをよく見ると、赤いスマホ(コナンのスマホ)を手にしてる様子が描かれています。
細かい部分ですが、芸が細かくてミステリとしては「いいね!!」としか言えません。

要素(2)ラブコメ

これについては、原作の説明は不要ですね。
メインキャラから脇に至るまで、徹底的にカップリングを作って、ラブコメを展開してます。
アニメや劇場版初出の高木、千葉、白鳥の3人の刑事にそれぞれ相手(佐藤美和子刑事、三池苗子巡査部長、小林澄子先生)を作ったのは「そこまでやるか」って感じでしたw
特に千葉!!
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うらやましすぎるだろぉぉぉぉぉ。

超どうでもいい話。
個人的な可愛すぎる女性キャラトップ3
苗子、桜子、和葉。
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美女2人と幼馴染の千葉刑事。

危うく苗子と桜子の可愛さについて語りそうになりました。
それは別の機会にとっておいて、閑話休題。

ラブコメは「劇場版コナン」の柱の1つですね。

コナン(新一)と蘭のラブコメを軸にして、作品毎にキャラクターを変えています。
第1作「時計じかけの摩天楼」(1997年)が個人的には分かり易いと思ってます。
クライマックスの「赤か青か」。
青山先生が「まじっく快斗」用に温めていたとっておきのネタを投入しただけあって、ドキドキするコナン(新一)と蘭のラブコメシチュエーションを楽しめます。
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第2作「14番目の標的」(1998年)では、未だに原作でも描かれて無いキス(人工呼吸の一種)までしてますからね。
個人的には「瞳の中の暗殺者」、「水平線上の陰謀」も上げたい。
一世一代の告白や確かな絆の描写と新蘭ラブコメには欠かせないシーンがありました。
このようにメイン2人のラブコメは大きく取り上げられてましたね。

「から紅の恋歌」では、平次と和葉をメインに据えてます。
強力な恋のライバル・大岡紅葉を登場させて、コナン・蘭に負けないくらいドッキドキのラブコメを展開。
紅葉のキャラクターが恋敵としても、キャラとしても凄く良くて、非常に盛り上げてくれました。
最後は見事にオチがつきましたが、紅葉は「劇場版オリジナルキャラ」では(ギリギリ)無くて、原作初出です。
今後も2人の仲を良い意味でかき回してくれそうで期待してます。

「ゼロの執行人」では、分かり易いラブコメは鳴りを潜めてます。
その分、蘭が新一に寄せる信頼感とそれに応えようと必死に奮闘するコナンが描かれていて、これが「何故安室は小五郎を嵌めたのか」という答えにもなっているという巧妙な構成になっています。

そうそう。
よく「しんいち~~~」「ら~~~ん」って叫ぶシーンが定番みたいな感想を見かけますが、これは星一徹のちゃぶだい返し並に誇張された表現に思えます。
特報(本編制作前に作られるので、殆どが本編に出て来ない映像集)の影響なのかな。
ま、いいや。

アクション!!

以上のように「名探偵コナン」が「殺人ラブコメ」を旨として作られている為に、「劇場版コナン」もこの2本を柱にしています。
では、最後の1本は何か。
言うまでもなくアクションですよね。

「名探偵コナン」についてアクションと言うのは、どのような位置を占めているのか。
江戸川コナンという探偵像を形成する為に必要な要素なんですよね。

コナンは犯人逮捕までする探偵である

その1つが「コナンのヒーロー性を高める為」。
「名探偵コナン」というのは、少年漫画であり、コナンを正義のヒーローとみなした作品です。

コナンの場合は、先ずは「名探偵コナン」という作品そのもののスタンスを明確にすることが必要だと考えます。
この作品。
「本格ミステリ」と言うと、実は違いますよね。
作者の青山先生自身が「殺人ラブコメ」と言っているように、「本格」ミステリでは無い。
また、漫画的な要素がふんだんに入れ込んである以上は、この作品は何処まで行っても「漫画」。
「少年漫画」なんですよね。
もっというと「少年漫画」なのです。
これは非常に大きな事だと考えます。
何故大事なのか。それは後述。

さて、この事を念頭に置いてコナン君の事件に対するスタンスを見てみます。
謎に対する興味が半端ない。
元々コナンは「推理オタク」なんですよね。
著名なミステリ作家である父・優作のコレクションを読み漁って育ったコナン=新一(以下面倒なので「コナン」で統一します)は、生粋のシャーロキアン(ホームズマニア)であり、推理オタクである。

だから、謎に溢れた事件に遭遇すると血が騒いでしまう。
ワクワクしてしまう。
時には同じ高校生探偵の服部平次と謎解き勝負までしてしまうのはその為。

こうした事から、やはりこの事を槍玉に挙げられ「人が死ぬのを楽しんでいる・喜んでいる」と揶揄される事もあります。
でも、これは違うのですよ。

ここで最初に提示した「コナンという作品は少年漫画である」という定義が活きる訳です。
少年漫画と言えば、勧善懲悪のバトル漫画。という事でバトル漫画に例えると分かりやすいと思います。

コナンたち探偵や警察を「正義」とすると、真犯人達は「悪」な訳です。
で、バトル漫画で言う「敵の強さ」という概念が、この作品では「謎の難解さ」に当たるのではないでしょうか。

「DB」の悟空が敵が強ければ強い程ワクワクするように、コナンもまた謎が難解であればあるほどワクワクする。
殺人=人の生死を扱っている以上、確かに不謹慎かもしれない。
でも、この作品は少年漫画である以上、この主人公である正義側の心理は致し方の無い事だと思うのです。

それに、被害者が増えればコナンは当然怒ります。
不甲斐無い自分自身に、犯罪を止められなかった事にイラつく。
作品としても事件を未然に防ぐエピソードを盛り込んだりして、コナンのスタンスが悪く見られない様、上手い事バランスを取っているように感じます。

つまりは、江戸川コナンは「正義のヒーロー」である。

サッカーで運動神経を養っていたのは犯人逮捕の為。
推理力で謎を解いて、暴れたり抵抗する犯人を倒して捕まえる。
それが新一の探偵道です。
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しかし、体が小さくなったので、犯人を逮捕する力を失ってしまいました。
焦ったコナンは、阿笠博士に依頼して、スケボーなど犯人逮捕に必要な道具を作ってもらいました。

「名探偵コナン」という作品は、コナンをヒーローに見せる為に、犯人をコナンに逮捕させます。
推理で叩きのめして、アクションで捕える。
犯人の動機には一切同情せずに、罪を憎むのは、彼が正義のヒーローだからでしょうね。
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コナンをヒーローたらしめる為に、アクションは必要になってきます。

コナンが求める探偵像は、犯人を推理するだけではなく、逮捕までを求めています。
強盗犯やテロリストなど強力犯と相反した時、逃がすことも屈することもなく捕まえる為に。
アクションは必要な要素になってきます。

「劇場版コナン」のアクション

演出論については、なんにも分からないので完全スルーしたいのですが、「劇場版コナン」のアクションを語る上では外せないので、少しだけ触れます。
歴代監督は、バランス派のこだま監督、地味目な山本監督、派手派手な静野監督というイメージがあります。
兎にも角にも、静野監督のアクション好きは、好き嫌いがはっきりと分かれていた点でした。

有名なエピソードとしては、第19作「業火の向日葵」(2015年)でのこと。
脚本を絵コンテにする際、3時間ほどの尺となり、現場判断で(脚本の櫻井さんを通さずに)1時間分をカット・再構成。
殺人事件が1つ丸々消え去り、青山先生考案のトリック、殺人の動機なども無くなったそうです。
これゆえに、殺人パートが取ってつけたような形となり、推理よりもキッドのアクションが目立つ作品となりました。
「まじっく快斗」の1エピソードとしてはとても面白いのですが、「劇場版名探偵コナン」では無かったのかなというのが、率直な感想です。
「業火の向日葵」ほど分かりやすくは無いですが、静野作品はどれもミステリよりもアクションが目立つという批判は確かにありますよね。

然しながら、「無意味なアクション」は殆どありません。
爆発はどれもミステリ部分に絡めていますし、クライマックスにおける脱出シークエンスの仕掛けにもなっている。
スケボーアクション、キック力増強シューズによるコナンの必殺シュートも犯人逮捕を行う上で必要な要素。

こだま監督時代から今作の「ゼロの執行人」に至るまで、全作満遍なくアクションは盛り込まれています。

映画だからこそアクションが必要なのだ

原作からしてアクションがある「コナン」。
なので、「劇場版コナン」にアクションが含まれてること自体を否定するのはナンセンスです。

勿論原作はアクションのあるエピソードよりも無いエピソードの方が圧倒的に多いです。
ですが、そういった「大人しいミステリ」を大スクリーンで見たいですか?って話です。

ファンは劇場版には「映画ならではのエピソード」を求めがちです。
アニメだろうとドラマだろうと、テレビから映画化された作品には、常に同様の願望が寄せられます。
映画ならではのスケール感の大きいエピソードを欲し、そうではないと「テレビで十分」と批判します。
「劇場版コナン」の場合は、このスケール感をアクション(爆発)で表現しています。

原作でアクションのあるエピソードが希少だからこそ、出せるスケール感ですよね。

個人的な見解を申しますと、僕自身「大人しいミステリ」を劇場版には求めてません。
原作やテレビシリーズのオリジナルエピソードで十分だから。

爆発いっぱい、コナンアクション全開の「劇場版コナン」が大好きです。

総括

「劇場版コナン」の3本柱は、ミステリ、ラブコメ、アクション。
この3つの要素がバランスよく配合されている作品が僕は好きです。

こだま監督時代は、7作全てに於いてこのバランスが非常に優れており、3つの要素全てが調和していました。
特にバランスの良さでいえば、「時計じかけの摩天楼」がベストなんじゃないかな。

山本監督に変わって、作風が少し変わりました。
3つの要素をバランス良くというよりかは、いずれかの要素に絞っている傾向が強くなりました。
アクションに振った「銀翼の奇術師」。
ミステリに特化した「戦慄の楽譜」。
ラブコメに寄った「天空の難破船」。
(この辺どう感じたかは好みですけれど)
バランス良く感じたのは、「水平線上の陰謀」ですね。
アクション、ミステリ、ラブコメとどれもしっかりと含まれていて、脚本も練り込まれていました。
山本監督期では一番好きです。
(時点は「天空の難破船」)

特化型は、静野監督期でも受け継がれました。
アクションの「業火の向日葵」、「純黒の悪夢」。
ミステリの「絶海の探偵」。
…ラブコメ特化はあったかなん???
「異次元の狙撃手」は、アクションとミステリの2本立て…かな。
中でも3本柱がしっかりと入りこんでいたのが「から紅の恋歌」。
アクション、ミステリ、ラブコメのバランスが滅茶苦茶取れていました。

3つの要素を全て取り込み、バランス良く配合していたのが「昔の方」です。
僕と同様に、「劇場版コナン」にこういった作品を求めていれば、確かにこだま監督期が面白いと感じるでしょう。

ただ、そればかりだとマンネリになるのか。
ネタに詰まってしまうのか。
理由は分かりませんが、山本監督以降は、3つのいずれかに絞った特化型に傾向が変わってきてます。
3つの要素をバランスよく派にとっては不満があるかもしれません。

でも、「から紅の恋歌」は、バランス派の作品です。
こだま監督期に近しい作風で作られています。
この作品を引き合いに出して、昔の方がと言われちゃうと、もうそれはただのイメージでしかないんではと思わずにはいられません。
過去作を引き合いに出さないで「つまらない」のならば、「そういう意見もある!!」で終われるんですけれどね。

近年はキャラ人気が高まり、キッド、平次、赤井、そして今年の安室など「キャラを前面に立たせた作品」を作れるようになったのは強みですね。
コナンが美味しい所を持っていけば、「劇場版コナン」になりますので、それ以外の部分でコナン以外を主役に出来るのは、作品ごとにカラーを変えられる為、マンネリ感を和らげてくれます。
これもまた近年の「劇場版コナン」の人気を支えてる土台の1つなのかもしれませんね。

「ゼロの執行人」で見る立川監督

まだたったの2回しか見てないですし、先程も書きましたように演出とか分かりません。
1つ言えるのは、こだま監督の頃のような映画に原点回帰しそうな雰囲気を感じたということでしょうか。

今作は、ラブコメが抜け落ちて、終盤までミステリ、終盤でド派手にアクションという構成でした。
(ラブコメに関しては、上にも書いたようにコナンと蘭の信頼関係は描かれてますが、”コメディ”では無かったので、こう記しました。)
「異次元の狙撃手」同様にアクションとミステリの2本立てですね。

ミステリ部分の描写は、ややもすると展開に中弛みを覚えやすいのです。
推理は動か静かで言えば、静なので、画面も落ち着く傾向になります。
「人のドラマ」を主眼に描くので、話も落ち着いて、結果的に中弛み感が出やすいパートです。

然しながら、「ゼロの執行人」は中弛みを覚える事無く話が展開します。
これは脚本との相乗効果でもありますが、ミステリ部分をダレる事無く演出されていたのは、立川監督の手腕でもある気がしますね。

諏訪プロデューサーや静野監督自ら「(静野監督は)人物描写(人のドラマ)が苦手」と初期の頃仰ってました。
諏訪さん曰く「その辺は山本監督が上手いから、学んでほしい」とも。
恐らくその辺の事情もあって、山本監督が「絶海の探偵」まで総監督や監修として関わっていたのではないかと見ています。(妄想)
そう考えると、「コナン」初参加にして、いきなり1本立ちされた立川監督は、プロデューサー陣からもドラマ面の演出を任せられるという判断だったのかもしれませんね。

アクションシーンですが、静野監督期に比べても派手さで見劣りしていませんでした。
一度派手な演出に慣れると、少し地味目に演出されるだけで、過剰に地味な印象を持ってしまいます。
「劇場版コナン」史上最もスケールのデカい作劇だったこともあるのでしょうけれど、最高に派手で格好良くて爽快なアクションが見られました。

ラブコメ面ですが、僕自身確認取れてませんが、立川監督はもっと砕けた作風をやりたいと仰っていたとか。
今回超シリアスでしたからね。
これでも青山先生が「コナン」らしいレベルまで引き下げられたらしいので、原案はもっと硬かったのでしょうね。
「砕けた作風」をコメディと解釈するならば、ご本人がそういう作風を描きたいと仰ってるので、ラブコメ描写にも期待感が持てます。

あとは脚本(というか、青山先生の作るアイディア)が、3つの要素を含めるか否かに掛かってきますが、立川監督はバランスの良い作品を作ってくれそうな期待が持てました。

終わりに

ブログ運営、通算で8年位やってますが、初めて1万字超えました。
無駄に長くてすみません。
ここまで駄文に付き合って下さり、ありがとうございました。

3回目行ってきます!!
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