この記事は
アニメとドラマの演出の違いに関する考察記事です。
火サス刑事の声優は船越さんでどうかw
はじめに
演出について、ちょいと思った事を書き残しておきます。
とはいえ、以前の上手・下手の記事の時も書きましたけれど、僕はそっち方面にはとんと疎い。
何も知らないズブの素人故に、本当に個人的に思った事を書くだけですけれども。
で、テーマは「アニメとドラマの演出の違い」です。
何も知らん素人が挑むには、大きすぎるテーマですけれど、適当に流して頂けると助かります。
と予防線はこれ位にしておいて、本論に入ります。
アニメで「断崖絶壁でのクライマックス」が無い訳
アニメとドラマの演出の違い。
先ず、ミステリ(サスペンス)作品から迫ってみようかと思います。
2時間サスペンスには、お約束事が沢山あります。
その中の一つに誰もが一度は見たことがある「断崖絶壁でのクライマックス」がありますよね。
何故か毎回どういう訳か犯人が崖上に現れては「ここから飛び降りるぞ」と自殺を仄めかしたり、人質を取って「それ以上近付いたらここから突き落とすぞ」と脅迫したり。
探偵役はそれを宥めながら、なんとか真相を話し、犯人を降伏させるようする訳です。
最早定番通り越して、崖が出ると「またか…」と嘆息し、無ければ無いでちょっと物足りなく感じる様な…。
2時間サスペンスの代名詞といって良い位には浸透しているシーンです。
これ、調べていくと松本清張氏原作・野村芳太郎監督の1961年の映画「ゼロの焦点」に起源がある事が分かりました。
「サスペンスドラマで、刑事が謎解きや逮捕するシーンのロケ地が99%の確率で断崖や海辺の理由を教えてください。」
「土曜ワイドだとか火サスで見かけるあのシーン」 地獄変00さん
ドラマの舞台となった「ヤセの断崖」(wikipedia)
どうやら「ゼロの焦点」での断崖クライマックスがあまりにも印象的で、以降真似されまくったとか。
上記リンクの2つ目、地獄変00さんの記事に有る様に
以前とり・みきがNewTypeのコラムに書いていたけど、真似が一作のみだとパクリ呼ばわりされるが、何作も出てくるとそれは○○ものというジャンルになるという言葉は全く持てそのとおりだってことですかね
というのは、成程な〜と。
ジャンルというのとは違いますが、崖でのクライマックスは、サスペンスドラマと切っても切れない関係になってしまった感があります。
さて、アニメに話を戻しますと、僕はこの崖でのクライマックスをミステリアニメで見た試しがありません。
考えられる理由としては
1.僕が知らないだけ
2.必要が無いから
が挙げられます。
1の方は、十分有り得る可能性です。
今期も視聴しているのは10本前後でしょうか。
毎期同じくらいのペースなので、年間で考えれば、全体の半分も見ていない作品があります。
ミステリは好きなので、なるべく見るようにしてますが、それでも全てをカバーしていると言い切る事は出来ません。
僕が知らないだけで、アニメに於いても崖でのクライマックスがあったのかもしれません。
あと、「名探偵コナン」や「金田一少年の事件簿」では、合った可能性は否めません。
両作とも、アニメ版も全話視聴していますけれど、流石に全てを子細に覚えている訳では無いので。
「金田一」は多分無かったけれど、「コナン」は…どうだった…かな…。
ごめんなさい。無かったと思うけれど、自信は無し。
見逃している・忘れている可能性が十分高いですが、しかし、「Q.E.D.-証明終了-」がアニメ化しない限り断崖でのシーンのあるアニメは出て来ないかもしれません(笑
(「Q.E.D.-証明終了-」のネタは分かる方は分かって下さる筈w そういやファンの間で黒歴史扱いされてるドラマ版で放送されてた気がする…)
2の方は、更に2通りに解釈します。
2-1.原作に登場していないから
2-2.文字通り、必要ないから
2-1は、原作付きアニメの場合、その原作に崖でのクライマックスがそもそも無い時ですね。
原作に無いから当然無いよねという理屈。
ただ、2時間サスペンスドラマにも原作付きの作品は多くあって、それでも崖でのクライマックスが多い事を考えると、ドラマでは原作を改変してでも入れ込んでいる可能性があるんではないかという推測が出来ます。
これは上記リンクの1つ目に、答えが書かれてました。
1.取り調べ室の中だと、えんえん続く犯人の告白シーンを(カメラ割を含めて)演出しづらいそうです。同じ画になってしまうので。
2.岸壁によせる波や遠景、青空等々、犯人の心理描写的な意味もあるそうです。
以前、「サスペンスドラマのヒットの秘密」というような番組で演出家が言ってました。
この回答に貼られていたソースを示すリンクが死んでいる為、僕にはこれが正しいのかどうか判断が付けられませんが、個人的な印象では納得出来るものでした。
ドラマって、トリッキーな映像演出を取り込む事は、なかなかしない印象があります。
普通にカメラで撮れる映像のみで勝負している節があって、CGなどでの加工演出は少ないというか。
特にTVドラマでは少ない気がします。
実写映画ではバンバンCGを撮り込んでますけれど。
これは予算とか撮影期間の差なのかもしれませんし、違うのかもしれない。
今放送中の「ガリレオ」等、当然映像加工を施しているTVドラマはありますので、挙げて行けば「いっぱい」出て来るかもしれませんが。
まあ、だからかな。
取調室という狭い空間よりは、大自然の中の方が面白い画を取れるという事なのかもしれないですし、納得出来るんです。
特にミステリは、長台詞が多くなりがちのジャンルです。
延々喋り続ける人物をただ漠然と撮るだけでは非常につまらない。
だから、何かしら間を持たせる工夫が特に必要となり、その一つの手法として崖での撮影が用いられているとも考えられそうです。
これは、そのまま2-2にも繋がります。
そう、アニメではこういった理由付けは不要なんですよね。
何でも出来ちゃうから。
「氷菓」なんて良い例では無いでしょうか。
クライマックスでの犯人との対峙シーンという訳では無いですが、奉太郎が推理するシーンは、毎回見ていて楽しいものでした。
脳内イメージとかなのかな。
奉太郎の推理の内容をイメージしたアニメーションが流れたり。
文字が背後を流れて行ったり。
単調になりがちな推理シーンを飽きないよう、画に遊びを取り入れていた。
同じ画にならないような工夫がドラマよりかは容易に出来そうなのがアニメの強みで、そういった意味で不要なのかなと考えました。
画作りの違い
サスペンス繋がりで、今度はカメラワークについて。
TVドラマ「相棒」等で良く見かけるのが、下の画像のような立ち位置。
手前にあるカメラに全員の顔が映る様にキャストが配置されています。
少し斜めを向いて、全員の視点がカメラのある辺りで交差するようになっていますよね。
これって普通に考えるととっても不自然です。
一般常識として、相手と会話を交わす時は正対するか、少なくとも相手の目を見て話しかけます。
小学校から誰もが習って来た事。
上司や先生などと話している時に、このように全く明後日の方向を見ながら喋りかけたりしようものなら、ぶっ飛ばされても文句は言えませんw
あくまでもこれは「相棒」の中の演出の一つ。
ドラマ全体の基本演出なんて言うつもりも無いですし、「相棒」もこういった立ち位置での画ばかりではありません。
ちゃんと向き合って話し合っている姿を横から映しているシーンは勿論あります。
アニメで同様の画が無いとも言いません。
けれど、これもアニメとドラマの演出の違いを顕著にした例の一つかなと思うんです。
ドラマって、なんていうか…。
キャストが第一みたいな印象があります。
俳優の演技を魅せることに苦心しているように見えるコトが多々あり、こういう配置もその為に思えるんです。
演技と言えば、台詞を喋る時が最も重要だと考えますし、その喋りの画を少ないカット数で撮ろうと思えば、自然とこのような立ち位置になるんでしょうね。
誰かが台詞を発すると、カメラはその喋っている役者にピントを合わせます。
基本的に「演じている」=「台詞を喋っている」役者を見せるようにカメラ割りが決められているように見えます。
アニメも基本は同じだと思うんですが、必ずしも喋っているキャラにカメラが向いていない事があります。
とあるキャラが喋っていても、他のキャラの表情を映していたり、俯瞰から見下ろすように映していたり、背景を見せていたり…。
こう言った事は当然ドラマでも見られますが、あくまでも印象論では、台詞を喋る人間にカメラのピントが合う比率は、ドラマの方が圧倒的に高い気が致します。
これは、バラエティ等見てると「カメラに尻を向けるコト」がNGだという事も分かり、その為とも言えそうですが、ドラマではそこまでキャストがカメラを意識する事自体不自然な事。
アニメの場合、キャストは制作側がゼロから作り・生み出しているからドラマのように「俳優の顔を見せることに重きを置いた演出」は取られない事が多いのかもしれません。
つまるところ、アニメはドラマよりも”より自然なカメラワーク”を意識している気がするのです。
ドラマは、やや不自然になったとしても俳優の演技を映し、アニメではそういったようにならないようより自然になる様に努めている…。
全てのドラマ、アニメの演出に当て嵌まらない筈ですけれど、大雑把な印象はこんな感じでしょうか。
で。逆に俳優・声優の声の演技に関しては、また違ってくるんですよね。
逆にドラマは自然に。アニメは不自然になりがちかなと。
役者さんの演技の違い
カメラワーク(画作り)に関しては、ドラマの方が不自然さを意図的に出している気がする一方、キャスト自身の演技に関しては、出来るだけ自然になるよう心がけている風に見えるんです。
例えば台詞のイントネーション。
自然な口語に近いイントネーションで、意識的に強弱をはっきりとさせていない事が一般的ではないでしょうか。
身振り、手ぶりなどの動作も、こちらはやや大袈裟な面も見られがちな事もありますが、それでも自然に見える程度に抑えているように見えます。
これは、”演技を見せたい人間”が役者の近距離に”ある”からなんではないかなと。
役者の見せたい人間とは、即ちカメラです。
ドラマの場合カメラがそのまま「視聴者の目」に置き換えられると思うんです。
近くにいる相手に見せるだけで良いのだから、声に必要以上の抑揚も要らないし、リアクションも薄くても伝わる。
結果的に「自然に近い演技」になるんではないかなと。
では、アニメはどうか。
アニメの場合、役者の演技は声だけになります。
声だけで全てを表現する必要が出て来る。
そこで、イントネーションが大事になってきます。
より気持ちを乗せ、相手に伝わりやすい様に言葉に必要以上の抑揚を付けている。
これは、舞台役者の演技に似てると思うんですね。
舞台役者の演技って、ドラマとは真逆だという認識があります。
ド素人の勝手な認識なので、間違っている可能性大ではありますが。
うんと。ドラマと違って、”演技を見せたい人間”が近い人もいれば、遠い人も居るじゃないですか。
舞台に近い席の人は勿論、遠方に座っているお客さんにも、見てもらう必要が生じるから。
だから、基本的に演技は大仰になる。
身振り手振りのリアクションは遠くからでも識別できるよう派手に。
発声も遠くのお客さんが声だけで芝居を感じてくれるようイントネーションを強くし、より気持ちを込めて分かりやすくハッキリと。
言うなれば、演技は”不自然”になる。
歴史的に見ても、洋画の吹き替えから始まって、声優をしている役者さんに舞台役者を兼務している方が多いのは、こういった「演技の違い」に由来するからではないかと考えております。
舞台とアニメは、役者の演技の仕方が似ている。
だから、口パクに合わせないといけない等々声優業ならではの難しさはあるでしょうけれど、演技に関しては皆自然に溶け込みやすいのかな〜とか。
演技を魅せたい人間との距離が近いのがドラマで、遠いのがアニメ。
近い方のドラマは、だから演技が自然な感じで十分であり、アニメは遠いから演技が不自然になりがちになる。
と思っていたりしますが、実際どうなのかはプロに聞いて見ない事には分からなかったり(汗
まとめ
この記事に書いた妄想が当たってるかどうかは分かりかねますが、色々とドラマやアニメを見て感じたことを纏めてみました。
実の所、アニメとドラマの演出方法に違いなんて無いのかもしれませんけれど、違いを探しながら見てみると面白いんじゃないかなとか。
なんとなく、演技や画作りでは正反対の性質を持っているように思えてきますし、そうなると、アニメ・漫画の実写化も「そのまま」という訳にはなかなかいかなそうだなとも思えてきますしね。
まあ、某「DRAG〇N BALL EV〇LUTI〇N」みたいに、完全なる別物にされると「まてこら」となりますが、そうでなければ「仕方なかったのかな」とか思えそうですし…。
うん。関係無い話ですね。
長々と失礼致しました。