「To LOVEる‐とらぶる‐ ダークネス」 第50話:感想

この記事は

「To LOVEる-とらぶる- ダークネス」第50話の感想記事です。
ネタバレありますのでご注意下さいませ。

「To LOVEる-とらぶる-ダークネス」第50話「Charm〜偉大なる母〜」 感想

前回の僕の予想は当たってるような当たってない様な。
どちらかといえば、大外れだったかな。

さて感想。
セフィのキャラクター性の面白さで語れる回でした。
先ずは、妄想癖とでも云えちゃうような想像力の逞しさ。
自身の能力をよ〜く把握してる事の裏返しなのでしょうけれど、なんだか言動がイチイチ面白かった。
口癖のように「私は美しい」連呼して、いやらしい想像してと。
淑やかな女王というイメージから一変、ふつうの女性的な面が描かれていて、そこがツボでしたね。
ギドとの初対面時も「気の強いお姉さん」という描かれ方でしたし、こうしてみると特殊な能力を持っていて、宇宙一美しいという外見から形成される「高嶺の花」・「高貴な淑女」的な印象だけではない、親しみやすさが見れました。

こういう多面性というのかな。
色々な顔が見れるというのは、キャラクターとして親近感が湧いてやっぱり良いものですね。

こういう一面を見せた直後には、今度は聡明な部分が見て取れる。
ララが濃く受け継いだという天才的な頭脳の一端を僅かな会話で見せてくれてました。
リトの発した不用意な一言(「セフィさんまで楽園計画みたいなコト!!」)で全てを見透かすのは流石でした。

また、人を見抜く力というのも、ある種頭の良さかなと思います。
チャームに罹らないリトの揺るがぬ誠実さを見抜き、また、母として娘たちの心も見透かしていて。
最後モモに告げた言葉って、今後を占う割と重要そうな言葉だった気がします。
それについては、次のセクションで触れることにします。

何はともあれ、セフィの色々な面を覗けて楽しい回でありました。

モモを知るセフィの言葉

モモの事を誰よりも理解してるであろう母の言葉は、今後の展開を占う上で重要なんではないでしょうか。
これまで考えた事も無かった(と思うw)新しい可能性というと大袈裟ですけれど、そういう新たな方向性を提示された気分なんです。

「あなたの心がそれで良いのなら」という一言。

これは端的に「モモは決して愛人ポジションでは満足しない」と言ってるのかなと。
もうそうとしか取れないんですよね。

ハーレム計画の出発点は、なんだかんだ言いつつモモが自分自身の立ち位置を「これで良い」と決めた上で成り立っています。

リトが欲しい。
けれど、リトには姉上(ララ)が居る。
だから、正妻は姉の手前諦める。
だけど、そうは言いつつ諦めきれない。
じゃあ、どうするか。
リトには好きな人(春菜)が居て、そんなリトを狙っている女の子が彼の周りにはいっぱい居る。
これを利用して、皆でリトのハーレムを作れば良い。
その中に自分も入れて貰えれば、”一先ず”それでOK。

愛人ポジションはやっぱり妥協した結果であり、本当にモモがこの位置で満足できるのかという問題。
その答えが、母の言葉として描かれていたのかなと。

だとすると、ハーレム計画が成就して終わるものだと思い込んでいた僕にとっては、まさに予想外の道の出現ですよ。
計画推進者であるモモ本人が計画を途中で終わらせ、姉とか関係無しにがむしゃらにリトを奪いに行く可能性が出て来たのかもしれませんね。

まあ、リト自身に「やはりハーレムは拒むのではないか」というフラグまで立ちましたしね。
チャームが効かないって事はそういう事なんでしょう。
女性が誰しもが持つ男を魅了する力には、リトは一切惑わされるないとハッキリしましたから。

リトは心から好きな人にしか靡かないんでしょうね。

で、そういう「好きな人」をこれ以上増やす事もリトはしない筈。
ハーレムなんて夢のまた夢なんですよという事実も改めて浮き彫りにされたと思いますね。

終わりに

此処までの話とまったく関係無いんですが、ララはちっこい今の方が可愛い(笑
ちょこんとしていて、マスコットみたいなので、ずっとこのままでも良いんじゃないかな。

それにしましても、「邪馬台幻想記」とか懐かし過ぎる。
確かに今回の回想におけるギドとセフィの関係は、紫苑と壱与の2人を彷彿とさせますね。

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