この記事は
「ドラゴンボール超」の妄想全開記事です。
ネタバレありますのでご注意下さいませ。
はじめに
「ドラゴンボール超」は何処に向かっているんでしょう?
勿論原作最終回に向かっているのは確かなのですけれど…。
本当にそこが着地点になるのかなという疑問が頭から離れないのです。
これは映画「復活の『F』」からの疑問なんですよね。
原作の「10年後」に本当に接続出来るのか?
第30話で悟空の口からウーブの存在が仄めかされました。
原作518話でウーブがブウの生まれ変わりだと聞いた時のベジータの驚きは何だったんだとなります(笑
ここでこの情報入れちゃ…しかもベジータの耳に入れてはいけないのでは無かったのかなと。
こういう部分でもちょいちょい齟齬を生んでるんですよね。
原作の「10年後」に本当に接続出来るのでしょうか?
僕が疑問に感じる最大の要因は、誰しもが思っているであろう悟空達の強さです。
超サイヤ人ゴッドまではギリギリ大丈夫…だったんじゃないかな。
正義の心を持つサイヤ人が6人集まって初めて生まれる(変身できる)という設定でしたので。
「自分の力だけで変身出来ない限りは、その力を修めたとは言えない」と言えますし。
おかしくなったのは、「復活の『F』」から。
超サイヤ人ゴッドSS。
未だにどういった変身なのか理解出来ていないのですが、1つ確かなのは「悟空(ベジータ)単身でこの形態になれること」。
うん。
ウーブなんか目じゃ無い位強くなっちゃってますよね…。
これもうウーブをいくら鍛えたって、この次元にはいけないのでは?
第7宇宙には、ビルス(とモナカ?)を除けば”最強の敵”はブウのままなのは確かなようです。
その”最強”の称号をゴールデンフリーザがブウから奪取。
そんなゴールデンフリーザと互角(スタミナ面を無視すればやや悟空が劣っていたとはいえ)だった超サイヤ人ゴッドSS。
そもそもこれ以上強い敵を出せないからこそ、宇宙の外にまで話を広げたのでしょうし、となれば、(ブウの生まれ変わりの)ウーブが超サイヤ人ゴッドSS以下なのは火を見るよりも明らかです。
将来性という余白部分を見越しても、自分よりも下であろう存在を悟空が「待ちに待つ」でしょうか。
ベジータに「既に伸びしろが殆ど無い」と言われ、それでも「少しでも上へ」と強さへの飽くなき欲求を持つ悟空が待ち人に選ぶとは到底思えないのです。
常に強くなり続ける悟空の物語。
必然、悟空はこのシリーズに於いても強く強くなっていっているのですけれど、それ故に大きな矛盾が生まれてしまっています。
お話の時代背景を「GT」と同じように「原作後」にしなかった故の矛盾。
今回は、この矛盾をどう解消するのかを予想してみます。
そもそも矛盾を抱えたまま、何の説明も無く原作に繫げてしまう可能性も残っています。
が。
そうすると、「考える楽しみ」が奪われてしまいますので、敢えてその可能性は無視します。
悟飯が弱い
「超」で得心出来ない点があります。
悟飯の扱いですね。
ブウ編までの面影も無い位に弱い。
あまりの弱さに悲しくなります。
いくらなんでも弱く見せ過ぎなんではとスタッフに八つ当たりしそうなくらいには、弱い。
ベジータも言ってましたけれど、ポテンシャル的には最強であると僕も思っています。
悟空だって自分よりも強いと認めてますしね。
老界王神に限界以上に力を引き延ばして貰った悟飯は、誰よりも強かったはずです。
そんな悟飯が、いくら強くなったとはいえ通常状態のフリーザにすら手も足も出せずに惨敗。
「復活の『F』」でも弱さが目立っていましたが、殊更輪を掛けて弱く描かれている嫌いがあります。
そもそも何故にこの描写に違和を覚えるのか。
僕らファンにとって弱くなるというのは、在り得ない事象だからです。
悟空に限らず最前線で戦闘に参加している戦士たちは皆、強くなることはあっても弱くなることはありませんでした。
いや、正確に言えば「強くなることはあっても弱くなることは無かったように見えていた」でしょうか。
ヤムチャやクリリンなど、サイヤ人についていけず”引退”した戦士もいましたが、彼らですら明確に弱くなった描写はありませんでした。
(多少弱く描いても、地球人の場合は年齢も弱くなった理由に使えますしね。)
唯一ブウ編開始時の悟飯が「セル戦より力を落とした」という描写こそありましたが、これについても「フォロー」は可能なんですよね。
悟飯にとって”怒ってるか否か”は戦闘力を大きく左右するほど重要なファクターなので、「怒ってないから」である程度は説明出来ちゃうんです。
さて、とはいえ、この時の悟飯の描写は大事です。
改めて思い返してみると、当時も小骨がのどに引っかかる程度の疑問はありました。
悟天と修行を始めた際の悟飯のリアクションが。
超サイヤ人の悟飯が、通常時の悟天に至近距離から石を投げるよう指示します。
然し予想外の悟天の投擲スピードに冷や汗たらたらになる悟飯。
焦った悟飯はもっと後ろから投げるよう、さりげなく指示し直しています。
この辺でも「悟飯が弱くなった」描写は見て取れますね。
だけれど、
・悟天はあっさりと(何の修行も経ずに)超サイヤ人へと変身出来た
・(後付設定で)生まれた時から尻尾の無い悟天とトランクスは、超天才児
という補正もあって気付きにくくなっていました。
上で書いた「怒ってるかどうか」もあって、「強くなることはあっても弱くなることは無かった」と言い切っちゃう位には、気づきにくい事象。
とはいえ、どうも「修行を怠ると弱くなる」のは、原作でしっかりと描かれていたと言えそうです。
これをハッキリと描き出しているのが「超」での悟飯。
セル編からブウ編までの7年以上に悟飯は戦いの世界から身を引いていた。
道着を無くしてしまう程に。
改めて強調されてましたが、「道着を無くした事」って大事っぽいですね。
確かに悟天との修行では、普通に道着を着てました。
(セル戦当時の物は体の成長もあって着れないので、新調されたものですが)
道着が無いという描写だけで、あの頃よりももっと「弱くなった」と示していると言われるとそうなのかと頷けそうです。
強烈な違和感こそあったんですが、原作の描写を振り返ると、弱くなることだってあると分かります。
で、その「弱くなった悟飯」にフォーカスを当てる事で、最終的なオチに視聴者をついていかせたいのかなと。
つまりは、「弱くなった悟飯」そのものが伏線に当たるんじゃないか。
そういう考えです。
夢オチ
結論から言うと、悟空達も最終的に弱くしちゃえば良いんですよ。
ブウ編終了時にまで。
ただ、単純に弱くするだけではダメ。
「ブウよりも強い奴がいる」という現実すらも忘れさせること。
ここ重要です。
いくら弱くしたところで、またウイスに師事するなどして強くなろうとするでしょう。
再び超サイヤ人ゴッドやその上のSSを目指すはずです。
それでは意味がありません。
大事なのは「悟空がウーブを今か今かと待ちわびる」様に自然に持っていくこと。
ウーブよりも超絶に強い存在を悟空が知ったままだと、何故そっちに興味を向けないのかとなりますからね。
早い話夢オチに持っていく。
下手すると非難轟轟の超展開です。「超」だけに。
でも、これしかないですよ。
矛盾を解消するには。
この夢オチにする為に超ドラゴンボールの願いは使われるんじゃなかろうか。
例えば、見るからに我儘そうなシャンバ。
自分達の負けに納得できず、超ドラゴンボールに願い事を言おうとするビルスを差し置いて、「全部無かった事にしろ〜」と願っちゃうとか。
ウーロンのパンツやピラフの100万ゼニーと同じように。
「全部無かった事」=「関係者全員の記憶消去」と解釈されて、悟空達の記憶が無くなり、ついでに力も無くなる…とか。
経緯は全然予想すら出来ないんですが、なんとかして弱くなるんじゃないかな。
視聴者としては「弱くなった悟飯」で耐性が出来たので、悟空達が弱くなってもショックは和らぐ…と。
終わりに
悟空達が記憶を無くすと、30話でのウーブの件もチャラに出来るんですよね。
自然に原作518話の「ベジータの驚き」に繫げられます。
強くなりすぎた悟空達をリセットする。
これが超ドラゴンボールの活かし方ではないかなという妄想でした。