はじめに
僕は無類のドラゴンボール厨です。
幼児期、思春期を「ドラゴンボール」で過ごし、初めてバイトした理由すら「ドラゴンボール」。
(2セット20万円のドラゴンボックスが欲しかった)
「GT」終わってから、新シリーズを夢に見るほど望んでいたし、定期的に新しい映画を夢想もした。
だから「神と神」発表の時は、心の底から喜んだ。
「最強への道」以来の映画化に喝采を叫んだわけです。
当然「超」の発表の時も驚きと共に喜びがあった。
当時ほど熱狂的に万歳三唱で迎えた訳ではないけれど、その年一番のビッグニュースとしては捉えていた。
長くなりましたが、そういう人間が抱いた率直な感想です。
ひどかった。端的に言って
「見切り発車」。
この言葉が一番しっくりと来る。
先ずは作画。
「未来トランクス編」あたりから持ち直していましたが、序盤は擁護出来ないレベルの酷さでした。
まさに作画崩壊。
単純に作画が悪かったのもあるけれど、動画も開いた口が塞がらないレベル。
スピード感、迫力が一切ないバトル描写で、今の東映アニメーションの質を本気で疑いました。
「Z」で確立したあのスピードあるバトル描写のノウハウは完全に絶たれてしまったのかと。
本当に酷い有様でした。
充分な制作時間が無かったのか。
はたまた、あれが限界だったのか。
後半の作画を見ると、恐らく前者。
準備が不十分なままスタートしたプロジェクトなんだなぁと悲しくなりました。
続いてシナリオ。
引き延ばす理由も不明ならば、引き延ばし方も下手糞過ぎでした。
引き延ばし方については、謎のパワーアップの多用が目につきました。
原作は、理屈の無いパワーアップってありませんでした。
超サイヤ人の上の段階に変身する。
切れて眠っていた力が解放される。(悟飯)
体力温存の為に余力を残している。(フリーザ)
サイヤ人の細胞で復活時にパワーアップする。(セル)
なにかしら納得させられる理由があった。
けれど、「超」ではそれが無かった。
ゴクウブラックに手も足も出なかったトランクスが、突如超サイヤ人ブルーに似た蒼いオーラを放ち始めて互角に渡り合えるようになる。
何故?
ジレンが追いつめられるたびにパワーアップする。
何故?
バトルを引き延ばしたいが為に、理屈も無くパワーアップさせていたとしか捉えられませんでした。
では何故引き延ばす必要があったのか。
引き伸ばし感の強いバトルもそうだけれど、わざわざ映画でやった「神と神」と「復活の『F』」を焼き直ししたのは、紛れもない引き伸ばし。
そうまでしなければならなかったのは何故なのか。
今回のシリーズ、「原作」がありません。
故に「Z」の頃のように「原作に追いつきそうだから、引き延ばす」ということではありません。
では何か。
僕の足りない頭で考えるに、1つしか浮かびませんでした。
「原案に追いつく」。
鳥山先生が作ったプロットをもとに作られていた「超」。
どういった頻度で、また、どのような分量で原案がスタッフの元に届けられていたのかは不明です。
分かりませんが、毎週アニメ化していくと簡単に消化しちゃう位だったとすると納得出来ちゃいます。
何故原案が充分溜まるまで待てなかったのか…。
この辺も準備が整ってなかったのではないかと疑義を抱かせる点ですね。
どこの意向なのかは分かりません。
フジテレビなのか、東映アニメーションなのか、読売広告社なのか。
はたまた、集英社なのか、バンダイなのか…。
集英社、バンダイの線は薄そうですが、この辺のどっかですよね。
「改」と間を空けないで放送したかったのかもですが、結果を見ると悪手だったと言わざるを得ません。
文句ばかりを並べたてましたが、これが僕の率直な感想です。
「GT」のようなスピード感を以てやれたはずの「超」が、非常にgdgdになってしまったのは残念でした。
悟空が勝てない問題
批判の矛先として挙がっているのを見かけるのが、「悟空がラスボスに勝ってない」という点。
まぁ、確かに。
ビルスには負け、ゴールデンフリーザに力負けし、ヒットにも勝てなかった。
ゴクウブラック及びザマスは全王さまに頼って、ジレンは17号、フリーザと共闘して漸く勝てた。
悟空1人で倒せたボスは終ぞ居ませんでした。
でも、あれだ。
これは元々そんなものです。
ジャッキー・チュンに負ける。
ブラックは倒すも、天津飯に負ける。
ピッコロ大魔王、マジュニアに連勝。
ラディッツと共倒れして、べジータは引き分けみたいな感じかな。
フリーザは倒すしかなかった。
セルは悟飯に託し、ブウは全宇宙の力を借りた。
悟空1人で倒したボスって存外少ないのです。
でも良いんですよ。
ちゃんとジレンに言ってましたよね。
「オラは正義の味方じゃない」って。
悟空は正義の味方じゃないから。
勝つために戦ってる訳じゃないから。
亀仙人「武道は勝つために励むものではない。己に負けぬ為じゃ」
ベジータ「(カカロットは)勝つために戦うんじゃない 絶対に負けない為に限界を極め続け戦うんだ……!!」
画像は拾いものですが、比較画像としてすごーく良いです。
きっとあれだ。
映画「Z」の影響とかだ。
あとは、「DRAGON BALL」を「主役が悪を倒す正統派バトル漫画」と誤認してるかだ。
元々がバトル漫画では無かった為なのか、鳥山先生の考え方は一貫して王道のバトル漫画とは一線を画しています。
悟空はただただ己の強さを高める為に戦っているのです。
純粋にバトルを楽しんでいる。
地球の為でも、人類の為でも無い。
仲間を傷つけられれば切れるし、仲間がいるから地球を守る。
結果として「正義の味方」的な振る舞いになってますが、根源はただただ純粋に自分磨きの為。
だから、勝ち負けに拘らない。
「超」で悟空がボスを倒せなかったのは別におかしくないんですよね。
悟空の戦いに対するスタンスがそうさせているので。
ファンはそれを承諾して、違う観点でこの事を突き詰めるべきなんじゃないかな。
「鳥山先生は、何故悟空が勝てない相手を出し続けたのか」。
僕も思ったことありますが、悟空は「超」で強くなり過ぎたんですよね。
ゴッドになったかと思えば、すぐにブルーになって、果ては身勝手の極意なるものまで身に付けちゃった。
今更ウーブになにを期待するんだろうか…と。
よく「GT」に繋がらなくなったと嘆くファンを見ますが、これはそれ以前の問題です。
原作最終回に繋がらない。
大問題です。
鳥山先生のことだ。
若しかしたら、ウーブのことを忘れてる可能性だってあるw
冗談抜きで有り得るから怖い。
故に希望的観測が多分に含まれているのですが…。
鳥山先生の中では、ちゃんと繋がっているのかもしれない。
その前振りとして、あえて悟空を勝たせてないのだとしたら…。
最終回で身勝手の極意は、ジレン戦の時だけ出来たと言わせてます。
ということは、悟空の強さはブルーが現時点では限界となります。
ブルーでは、フリーザにもヒットにもゴクウブラックにも通用してない。
ビルスとは直接やってませんが、ウイスがビルスの方が上だと示唆している。
さらに原作では、純粋ブウの強さは、超3悟空以上だとも分かる。
なら、「成長したウーブが、ブルー以上になる可能性」を示せば、丸く収まりそうです。
成長したウーブが、なにもジレンより強くなる必要はないんです。
純粋ブウよりも強く、「超」の敵達よりも弱くても良い。
ウーブが「修行すれば、純粋ブウよりも強くなる」という設定が出てくれば、納得出来ます。
「生まれたままの状態」で超3以上の強さなのですから、鍛えればより強くなるのは漫画界の道理です。
その強さが、破壊神より強い…ジレンよりも強いとなると、ちょっと「それは無理なんじゃ…」と思っちゃうけれど、そこまで強くならないけれど、ブルー悟空と渡り合えるくらいと言われれば「そんなもんか」で落ち着きます。
屁理屈かもしれませんが、少なくとも僕なら、それで納得しちゃう。
もし、悟空がジレン達に勝ってしまっていたらどうでしょう。
必然ウーブはジレン達より強くないと、原作最終回と矛盾が生じます。
屁理屈では納得できません。
それを回避する為に、悟空を負け続けさせたのかもなという妄想。
漫画版が面白すぎる
gdgd批判めいたことを書いたのは、漫画版が面白いからですね。
作画担当のとよたろう先生のアイディアが盛り込まれているとはいえ、基本的なプロットは鳥山先生のものだと解釈。
すると、無駄な引き伸ばしも無くポンポンと進むストーリー、意味不明なパワーアップが無いなどアニメ版の欠点が全て排除されています。
ここからもアニメは引き延ばしていたり、アニメスタッフ独自の解釈が多分に含まれていたことが窺えるんです。
正味今のスタッフには、これ以上アニメを作り続けて欲しくないんです。
下手な方向で薄く引き伸ばしてつまらなくされるし。
作画も良くないし。
既に一旦完全に終わった作品です。
12月の映画を最後に、バンダイが好き勝手やってる商売もろとも終わらせてほしいものです。
あ。
漫画版はアイディアある限り続いて欲しいな。
終わりに
最終回良ければ全てよしみたいな風潮。
うん。
最終回は良かったです。
気合い入りまくっていて。
全王の真意とかも良かったし、物語も納得出来る帰結でしたし。
作画も演出も良かった。
然しながら全般を振り返ると…。
懐古厨と誹られそうですが、小山高生さん外れたのは大きな損失だったなぁ…。