「ミステリと言う勿れ」考察 ガロの役割と物語の終着点

この記事は

「ミステリと言う勿れ」の記事です。
10巻までのネタバレがあります。

ドラマ面白い

初回見た時はちょっとイメージと違ったのですが、段々と菅田さんと整が一致してきました。
脇を固めるキャストもしっかりと原作の雰囲気を醸し出しているのが良いですね。

そんな中で、「えっ?」と目を疑ったのがガロ。
悪い意味じゃないですよ。
永山瑛太さんだって分からな過ぎて。
金髪に染めるだけでかなり雰囲気変わりますね。
神秘的なキャラであるガロを見事に演じていて、凄い良いですね。

さて、今回の記事は、ガロに焦点を当てて書いてみます。

ミステリでは無いよね。人間賛歌の物語

この漫画はミステリと分類されることが多いですけれど、タイトルの通りミステリでは無いと思っています。
個人的には、人間賛歌がメインテーマであると考えています。
「ジョジョの奇妙な冒険」と同類の作品なんですよ。
あちらは、善悪という人間の二面性を克明にし、善が悪に戦いで勝つことで人間賛歌を尊ぶ物語。
こちらは、構図はそのままにバトルをミステリに置き換えたもの。

故に、「ジョジョ」でいうDIOとか吉良吉影らに相当する存在が、今作では犯罪者になっているわけですよ。
そりゃサイコパスの見本市状態にもなろうものです。
人間の光の部分の象徴である整が影である犯人たちを「説き伏せて」、人間は素晴らしいと訴えていきたいのだから。
光を強調すべく、対立する影は、より深い闇に覆われている。

ドラマ版の話に戻りますが、森下能幸さん演じる煙草森とかヤバかったですよね。
原作を超えた怖さがあって、あまりの怖さに笑っちゃいましたよ。
「人を殺したのではなくて、ただ隠しただけ」。
殺害したという認識の欠如と、殺人時の興奮。
笑顔で淡々と語る姿が、非常におぞましかったです。

煙草森のように、今作の犯人たちは、大抵狂ってます。
皆、幼少時の「何か」を切っ掛けにタガが外れたまま成長し、常人には理解できない動機で犯罪を犯します。
10巻の犯人もそう。
久々に震えましたよ。あまりのサイコっぷりに。

軽く見られていた幼少期。
存在が軽いから、死んだ方がマシ。
だから、「存在の軽い子」を見つけると、殺して回っていた。
その数9人。全て幼い子供達。

何を言っているのか心底理解できない。
いや、違う。
「他人から軽く見られているな」と感じたことのある人は多いんじゃないかな。
僕もある。
犯人の根本にある動機の気持ち自体は、マジョリティなものなんですよね。
そういう思いしたことあるなとは一定の理解は出来るんです。
ただ、この犯人のように肥大化させてしまうことは少ないし、そうなってくると話は違ってくる。
ただただ「怖い」となります。

何が言いたいのかと言えば、今作に登場する全てのキャラクターが抱えている感情は、決して絵空事ではないということ。
誰しもが「分かる」、「そういうことあるよね」と理解や共感が出来るものとなっています。

マジョリティな想いを持った容疑者達が整の言葉に勇気づけられたり、救われたり。
マジョリティな想いを肥大化させてサイコパスとなった犯人たちが、整の言葉に否定されて。
そうやって人間の感情を中心に展開させている漫画が、今作であるという解釈。

ガロの役割

今作が人間ドラマであるのならば、自ずと終着点も見えてきます。
主人公である久能整のドラマです。
彼は、一体どうして他人に煙たがられるほどお喋りになったのか?

少しずつ伏線は張られているんですよね。
大きな傷跡とか家庭に対するトラウマとか。
そして、人の癖を無意識に真似するところとか。

10巻でも、この癖は見られます。
該当シーンは36ページですね。
カラオケボックスで事件について振り返る青砥と整。
整の話を聞いて、机をコンコンと叩く青砥。
その行動をすぐに整が真似している様が描かれています。

ガロは、この癖を見抜いた人物です。

整と同じように観察力に優れ、そして、ドラマを語り終わったキャラクター。
しかし、警察に捕まることなく逃亡を続けている犯人であり、整が興味を持ち続けている人物。
整の人間性を暴くには、ガロ以外の適任者がいないんですよ。

きっとね、ガロなら、ある程度の推察は出来てるんじゃないかな。
整が何故人の癖を真似るのか。
場合によっては「真似するな」と怒らせちゃう癖ですよね。
ガロはそのマイナス部分を指摘している以上、「どうしてそういうことをしてしまうのか」にも気づいてそうだし。

ということで、ちと妄想。
幼少時父親にDVを受けていた整。
父の機嫌を取るべく、本能的に(無意識に)父に殴られない人(母?)の真似をするようになった…。とかとか。

自己防衛の為の真似。
それが根付いてしまっているという説。

…そんなことあるか?
書いていて分からなくなりましたが、兎も角ガロならば、整の持つ「影の部分」に光を当ててくれそうなんですよね。

1コマ黒塗りバックのコマで「久能整」と書かれる時が、いつか来るものと思っております。

ガロに焦点とは一体…

ガロに焦点を当てて書くと言いつつ、殆どガロに触れてない件。

構想段階では、もっとガロに踏み込んだ記事になるはずだったんだけれど…。
あれれ~。
しょうがいないね。頭悪いし、構成力も、文章力も無いから。

それはそれとして、この漫画で整とガロがガッツリと再会した時、いよいよ最後のドラマが始まるのでしょうね。
「久能整」のドラマが描かれるその時を今か今かと待ちつつ、物語の結末まで付き合っていこうと思います。

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