この記事は
「サイコメトラーEIJI」の考察記事です。
ネタバレありますのでご注意下さいませ。
「EIJI」の特徴
続編が始まった「サイコメトラーEIJI」。
僕自身その「サイコメトラー」は読んでないのですが、前作はがっつりと読んでました。
最初のドラマで作品に触れ、ミステリが好きという事で原作にも手を出して。全巻集めました。
完結後に樹林氏が原作者だと知った時は驚いたな〜(笑)
それはさておき。
面白かったのですが、非常にエグイ漫画でもありましたよね。
先ず何と言っても殺し方。
子供の読者がトラウマにでもなるんじゃないかと言う位殺し方が怖くてユニーク。
そして残酷。
バラバラ殺人なんて序の口。
死体がメイクしてたり、舌を抜かれていたり。
もうヤメテと言いたくなるほど本当にエグイ描写に溢れてました。
そんな異常殺人を犯す殺人鬼たちもまた異常。
そんな異常犯達の共通項と言えば、動機が無い事。
と言うとちと違うかな。
殺人を犯す「犯人側の動機」は、一応あります。
トラウマを抱えていたりすることが多くて、これを犯行動機としていた。
そうじゃなくて、そんな異常犯罪者達に殺されてしまう被害者側に「殺される動機(理由)」が無かったのですよね。
統計取った訳では無いのですが、印象的には被害者の8割は「動機無き殺人」でした。
これは同時期に連載していて、しかも原作者・掲載誌が一緒だった「金田一」と全く異なる点。
「金田一」はこの動機の部分が重視されていました。
天樹先生のインタビューだかで「連続殺人を行わせる以上、それに見合った動機を用意すべきだ」と仰っていました。
この言葉通り読者が「殺人犯に感情移入しちゃう」位…「被害者が殺されても仕方ない」と思わせる位の物語が毎回ありました。
が、「EIJI」にはそれが殆ど無かった。
「テロリストの挽歌」とか一部位ですかね。被害者側に明確な殺される理由があったのは。
復讐殺人が殆ど無かった。
これが「EIJI」最大の特徴だったと思います。
何故女性ばかり殺されるのか?
さて、この「殺人」部分に関して。
僕が一番疑問だったのが「女性が殺される割合の多さ」でした。
兎も角出て来る美少女の悉くが惨たらしく殺されていく。
意味も無く命を落としていく。
正直言います。読んでいて、とても気分の悪い事でした。
作画担当の朝基まさし先生の描く少女が、また可愛らしいんですよ。
「萌え漫画」でもやって欲しいと思う位には、当時から結構可愛らしかった。
だから余計に惨たらしく映る。
って、こんな事描くと「可愛く無ければ良いのか」と思われちゃうかもですが…そういう事では無いです。
どんな作品であれ、僕は女性や子供・老人が殺されてしまうと嫌な気持ちになります。
背景にしっかりとした動機…。誰が見ても「殺されても仕方ない奴」ならば話は別ですけれども。
そういう点では「金田一」の「黒死蝶殺人事件」なんて色々な意味で辛い事件でした。
これは「金田一」には珍しく「殺される側に理由が無い事件」でしたし、小さな少女が殺されちゃいましたしね。
また、「コナン」の「子供は被害者(殺さないという意味で)及び加害者にはしない」という心掛けは素晴らしいと思うです。
そんな「コナン」や「金田一」とは違うのが「EIJI」だというのは前述の通りです。
被害者に殺される理由もなければ、未成年(高校生や中学生)だろうとお構いなしに殺される。
そりゃ見ていて辛いですよ。
当時は何故こんな被害者が女性に偏っているのか疑問でした。
父にも読ませていたので、聞いてみたことがあるのですが「少年漫画だからだろう」という当時としては理解できなかった返事。
また、公式ガイドブックにも被害者の傾向に関する記事が載っていたように記憶しているのですが、本が見つからず確認できなかった。
ネットをざっと見渡しても、その点に触れている記事には出会えませんでした。
なので。
この疑問について改めて考えてみることとしました。
以下に書く事は、あくまでも僕の考えであり、公式の見解ではありません。
少年漫画であるという事
この作品も突き詰めれば「コナン」寄りの作品だったのではないかと言うのが僕の結論です。
父が言っていた「少年漫画だから」という”答え”に最終的に行きついてしまったのです。
少年漫画の基本的な理念と言うか精神みたいなものとして「勧善懲悪」というのがあると思います。
とことん悪い悪党を、正義を掲げた主人公がやっつけるというタイプ。
勿論そういうモノばかりでは無く、同情出来る敵役(かたきやく)を主人公が正すというものもあって、「るろうに剣心」等の一部のバトル漫画や「金田一」はここに属すると思います。
「コナン」の場合は両者の中間でしょうかね。
殆どの事件には動機があり、そういう意味では「敵役に同情できる」タイプの作品と見做せますが、主軸である「黒の組織」は明らかに「悪」として描かれていますから勧善懲悪ものとしても見れる。
だから間を取るというのが最も相応しい解釈で無いかなと考えます。
では、「EIJI」はというと、ほぼ完全な「勧善懲悪」タイプの作品であると思うのです。
殺人行為に及ぶ納得出来る動機が見当たらないからです。
そして、そんな犯人たちの被害者が女性ばかりだという点もそう。
女性が殺される様を見て、良い気分をしないというのは、何も僕だけでは無いと思います。
寧ろこれは一般的な価値観であるとさえ思っています。
戦争を描いた作品だと、媒体に係わらず「女・子供、老人は逃げろ・匿え」という主旨の台詞が当然のように出て来ますしね。
女性と言うのは、一般的にも「守るべき存在」なのだと思うのですね。
そういう「弱い」存在を平気で殺していく殺人鬼達は、当然のように「悪」に思える。
その行為を止めて捕まえる映児が正義の象徴となって見える。
映児もまた、コナン同様「正義のヒーロー」として描かれているという事ですね。
このヒーロー性を高めるために、被害者はか弱き者…女性に偏っているのではないか。
としたのが僕の結論。
サイコメトリーと言う超能力を有しているという事も、映児のヒーロー性を高めていますしね。
動機のあった「テロリストの挽歌」の立ち位置
「EIJI」にも動機のある殺人というのは存在するという点は既に書きました。
その中で最も印象に残っているのが、このエピソード。
犯人に同情できる動機がある分、これらのエピソードを踏まえると「EIJI」もまた「金田一」と同じなのではないかと考えることも出来ます。
…が。
犯人の最期を考えると、このエピソードはもっと複雑なお話だったと思うのです。
このエピソードに限っては、映児では無く、犯人自身が「正義の味方」であった。
そんな「正義の味方」が極悪卑劣な少年たちを次々に射殺していくというドラマ。
でも、これは間違っていますよね。
どんな理由があれ、これを良しとしないのが法治国家。
だから、それを止めるべく映児達が存在しているのですが、犯人を説得できずに終わってしまった。
SATの一斉射撃での死亡という結末となった。
悪い行いを主人公が正す事が出来なかったという点で「金田一」とは違うし、犯人視点で見ると「勧善懲悪」としても見れちゃう。
しかし作品的には、そんな犯人の正義は、彼を殺す事で否定している。
更には犯人が最後の犯行をわざとしなかったのではないかという問題提起もされていて、余計に考えさせられる内容になっています。
ヒーローが悪を倒すという単純な「勧善懲悪」ものには収まらない魅力が、このエピソードからも感じ取れました。
まとめ
女性が被害者となる事が多いのは、映児をヒーローに見せる為。
映児を正義とした悪を懲らしめる「勧善懲悪」ものとしての一面を描きつつ、そればかりでは無かったのがこの作品なのかもしれません。
最終章とかその典型ですしね。
「正義の象徴」であるところのある組織が実は…という結末には色々と考えさせられる部分があったように思います。
ただ、一つ揺るぎない事は「犯罪に手を染めるのはいけない」というメッセージ性が全編を通して流れているという事でしょうか。
ドラッグの使用に関してもそうですが、この点は徹底的に「悪い事」として描かれている。
映児達が言葉では無くて、行動で示している分説教臭くも無い。
ここの部分は、掲載誌が青年誌である「ヤンマガ」に移っても変わってないんじゃないかと思っています。
先行作品であるところの「金田一」とも「コナン」とも違う「犯罪はダメ」というアプローチがされている作品だったように感じます。
ハジメが言葉で、コナンが推理で犯罪をダメだという事を伝え、映児は行動力で示している。のかもです。