『「映像研には手を出すな」はSFだ』の意味を知る

この記事は

「映像研には手を出すな」第1話の感想です。
ネタバレあります。

予備知識なしだった

「映像研には手を出すな」。
タイトルだけは知ってました。
去年だか一昨年だか忘れましたが、「面白い漫画だ」と話題になった時のこと。
ちょこっと興味はあったのですけれど、結局読むことなく現在まで至っていたわけです。
そんな話題の作品が遂にアニメ化。
ということで、ようやっと見てみようかと予約録画をしてみました。
取り敢えず第1話を見てみて、見続けようかどうか決めましょうというくらいの気持ちでした。

第1話放送後のことです。
いつものようにぼーっとtwitterのTLを眺めていると、1つのツイートが流れてきました。
該当ツイートをそのまま引用出来れば良かったのですが、生憎と探せませんでしたので記憶を頼りに内容を書き出すと、確か「映像研はSFだ」というものでした。

「え?」となりました。
予備知識一切無し。
タイトルから「部活もの?」くらいの認識だったので、想像外の方向からぶん殴られたような気分だったのです。
瞬間頭の中を宇宙空間が支配しました。
SFと言えば宇宙という自身の乏しい想像力に涙がちょちょぎれそうになりながらも、一層よく分からなくなったのですよね。

どんな作品なんだろうか…。
確かに1巻の表紙からは「少年?達が冒険している?」風な印象を持ったこともありました。
冒険SF漫画なのかもしれない。

色々と想像しながら第1話の録画分をこの3連休を利用してようやく視聴しました。
あぁなるほど!!!
これはSFだ!!!!!

アニメ作りは一種のSF

水崎が「義務感」で描いていたメカ。

これに浅草が惚れこみ、浅草主導で書き足し+クリーンナップすることに。
当該シーンの会話を1つだけ抜粋してみましょう。

水崎「この辺にライト付けた方がいいんじゃないの?」
浅草「ここだとエンジンのスペース圧迫しますなぁ」

想像上のマシーンを創造していく際、浅草のポリシーは「なんでもあり」じゃないんですよね。
機械には、相応の大きさのエンジンが付いていて、このマシーンの構造上後部の下側にエンジンルームがあるはず。
おおよそこのような感じで設計図を頭に描いて、浅草は設計していたものと思われます。
彼女の中には彼女なりのポリシーがあって、それは現実に即しているのが見て取れます。
現実で作れないような超小型のエンジンというのは、ポリシーに反するのでしょうね。
有名な脚本家さん曰く「ファンタジーは不可能な事を起こりそうに描いたもの、サイエンス・フィクションは起こりそうも無い事を起こりそうに描いたもの」だそうですが、浅草的に言い直せば「アニメは起こりそうも無い事を起こりそうに描いたもの」なのかもしれません。

こう考えると、アニメ作りは一種のSFと呼べるのかもしれません。
「設定」=「アニメ世界の理(ことわり)」を決めて、それに則った技術を駆使した世界を構築する。
そんな世界をキャラクターが「まるで生きているように動き回る」。

少なくとも僕は、浅草のアニメ作りにはSFを感じました。

終わりに

この丸っこい簡単なメカが浮き上がるという事実を、得体の知れない反重力装置の細やかなディティール描写と手で持ち上げるんじゃよ!
エンジンのかかりにくい車を押すみたいに!
見てわかるアニメーション描写でリアリティーを醸し出しとるんじゃ

「残され島のコナン」について熱っぽく語る浅草。
素晴らしいアニメは、「違和感を抱くことなく見れる」のだなと改めて感じたセリフです。

浅草もそんなアニメを作りたいのでしょう。
フィクションもリアリティあるように自然に魅せるアニメーション。
彼女はそれを世界観や設定面から作り出そうとしている。
SFだなぁと感じました。(ちょっと無理があるか…)

最後になりましたが、2話以降も視聴確定です。

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