「伏 鉄砲娘の捕物帳」 涙で語られた成長譚

この記事は

「伏 鉄砲娘の捕物帳」の感想記事です。
ネタバレありますのでご注意下さいませ。

感想

基本的な物語としては、副題の「鉄砲娘の捕物帳」から連想するようなアクション主体のお話ではありませんでした。
1人の少女(鉄砲娘)が人の生肝を喰らう伏の青年と出会った事で、恋を知り・命の重きを知り、大人の女性に一歩成長する様を描いた物語だったと思います。

このように解釈した上で、改めて振り返ってみますと、少々説明不足感は否めなかったものの思った以上に満足できました。
派手で見栄えのするアクションがある訳でも無いし、ヌルヌルと動くような作品でも無い。
しかし、カラフルで見てるだけでワクワクする・行ってみたいと思える”ちょっと変わった江戸”を舞台にして、一人の少女が女性に化けるまでを描いていた物語は地味だけれど、心に残るものがありました。

有り触れた物語と言ってしまえばそれまでかもですけれどね。

ただ、愛犬家にとっては見るのも辛い映画だと思います。
特に序盤から中盤に掛けては。
僕自身(犬を飼った事は無い物の)犬好きとして、正直辛かったです。

犬好きと言っても僕は普通の人より多少好きな程度だと思うんです。
街中で飼い主が「躾」と称して、ロープで飼い犬をバシバシ叩いている光景を目撃して、その飼い主に殺意を覚える程度に低い愛。
真の愛犬家が今作を見たら、怒ってしまうかもしれない。

まあそこは「伏」≠「犬」として認識し、見て頂ければ、そうそう嫌な思いはしない…かもです。
にしても犬の顔をした伏の晒し首の絵面は、目を背けたくなるようなシーンではありましたが。

もっと伏の残酷な面を見せてくれていたら、多少は印象も違ったと思うんですけれどね。
信乃が「感情移入が出来ない程度の人間」の生肝を喰っているシーンくらいしか無く、それに関しても残酷には思えず。
冒頭の浜路が犬を打ち殺して鍋にしている部分で相殺されるし、更に凍鶴のドラマを見せられると、どうしても伏寄りに情が移ってしまう構成なので何とも…。

「伏」≠「犬」として認識するというよりかは、自然の理である「弱肉強食」を地で行く部分であると認識するのがベストなのかもしれない。

ま、さておきまして。
この映画の特徴は、どこだろうかと考えながら見てしまいました。
ついついそういう余計な事を考えながら、作品に触れる癖が付いてしまいまして(汗

で、思い当ったのが涙に関してです。

涙で語れる物語

この作品は本当に良くキャラが泣いていました。
序盤、浜路が打ち殺した犬から始まって、メインキャラは一通り泣くんじゃないかな。
兎に角涙というのがとても印象的だったのは間違いなく。

この泣くという行為には、様々な解釈が可能です。
「感極まる」なんて表現が有る様に、何も人間悲しい時だけに泣くわけではありません。

悲しい時は勿論、嬉しい時、空しい時、頭に来た時…。
一定の感情が許容値を超えた時、人は涙腺を潤し泣く。

それは伏だって同じで、彼らも鳴くのですよね。

だから、涙を見せる場面というのは、物語にとってはとっても重要なのだと思う。
そのキャラの内面で一つのピークを迎えた瞬間でもあり、今作はそれを物語の節目としても利用されていたように感じたのです。

いくつか思い当る事を羅列してみます。
先ずは、冒頭の犬の涙。
これは作中の言葉を借りるならば「因果の因の部分」。
物語の始まりを告げるモノであると解釈します。
「涙で綴られる物語」であることを端的に表現されていたと思うのです。

物語は進み、中盤の山場である「凍鶴”退治”」。
この少し前で、浜路が涙を見せるシーンがありました。(あったと…思う…)
吉原という華やかな地の負の部分を垣間見て、色々と思う部分があったのかな。
捨てられた女性たちの無念や死という現実に悲しくなったのか…。

その直後の凍鶴の死。
自分達で討ち取ったものの、良い気分では無かったはず。
それは彼女の涙を見て、より具体的に浜路の胸に残ったんじゃないでしょうかね。
これがクライマックスの浜路の心境の変化に大きな影響を与えたことは間違いないはず。多分。

凍鶴の涙は物語的にはそういう作用もあったと思われるし、後々判明する彼女の悲愴なドラマから由来するもので。
子を想う母だからこその涙。

更に物語は進み、いよいよ浜路の目の前で伏としての本性を現した信乃。
凍鶴の息子は殺されており、彼女から託された手紙が宙ぶらりんになってしまったという事実。
想いを寄せつつあった信乃が伏だと確信させられてしまった事実。
様々な感情が去来し、浜路の感情を大きく揺さぶったのだと思われますが、ここで今作最大の大泣きをする浜路。

予告でも取り上げられていたシーンですし、特に印象的になるよう描かれていた部分。
だからこそ、物語的にもこの涙は非常に大きいと考えられます。

少女から女性に化ける節目となったのが、この涙だったんだと思うんです。

ここから怒涛の如く、命の大切さが描かれ出します。
船虫の妊娠。浜路の兄・道節の子を身籠った事が描かれ、これは分かりやすい。
冥土の祖父である滝沢馬琴と信乃が身を寄せていた一座の…名前が分からない(汗
えーと。口上の人(CV.阿部敦さん)。
この2人の涙は、伏に対するもので。

「人に仇なす化物」というだけで殺され、晒されてきた伏に「安住の場」を提供しようとしたけれど、それが叶わなかった事に対する無念の涙。
伏の命の重さを知る2人の涙は、やはり命の大切さを謳っていたように感じました。

浜路達の祖父が伝えたかった事でもあるんですよね。
「繋がっている」という表現は、そういう事なんだと思う。
道節が人を斬らなくなったのも同じかな。

兎も角、命の重み・大切さを身に染みて実感した浜路。
凍鶴や信乃が「生きる為に必要な行為」であるのに、人の生肝を喰う事を我慢していたという事実も大きかったのだと思われますが…。
信乃を「伏だから」という理由で殺すのではなく、一緒に寄り添って生きていきたいという答えを出す。

因果の果の部分。
結末は、信乃の涙で締めくくられる。
伏という贋作を受け入れてくれた事に関する感謝とか、この涙にも色々な思いが込められていたのだと思う。

こうして抜き取ると、将軍の涙だけは、ちょっと本筋とは外れていて。
物語に厚みを持たせていたけれど、無くても良かった部分でもあるとも思います。
やや描写不足の面があったし、複雑にしてしまった感も拭えないから。

ここで混乱してしまう人もいるかもしれませんが、将軍の件を横に置けば、涙だけで語れる様になっていた物語だったように思いました。

まとめ

浜路の字が書けない・読めないという点も、彼女の成長を描く事に大きく寄与していたように思いました。
当時は寺子屋に通うなどして習わない限り、字を読めない・書けないというのは当たり前の時代であり、浜路の出自を考えれば、非常に自然な設定ではあります。
だから、ここに意図など無いと考えるのがやはり自然な気がするのですが、なんとなく意図が隠されていたと思う訳です。

浜路が字を覚えたから、彼女は信乃との繋がりを保てている。
そういう風にも捉えられるラストであったから。

一人の少女の成長譚として、この作品はとても分かりやすく、美しく、残酷な現実を正面から描いていたからこそ心に響いてきたのだと思います。
「愛犬家には目を背けたくなるシーン」が有る事は事実です。
ですが、こういう残酷な面をしっかりと描いていたから、作品が薄っぺらくなっていなかったとも言えそうです。

劇場で見て、損はない作品でありました。

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