ゲームを面倒くさいと思うようになった

ドラクエですらやれない

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あんなにも欲しい、やりたいという情熱があった「ドラゴンクエスト11」をもうやりたくないと思っている自分がいる。
3DSの電源を入れるのさえ億劫になってしまった。

何故なんだろうか。

3DSの電源

そもそも3DSの電源ボタンは分かり辛い。
何故あの位置にあるのか。
右側面にあるワイヤレスボタンをカチカチしつつ、「電源入らない、どうしよう、故障かな」とか本気で慌てふためくアラフォーの図ったら無い。
ドラクエをプレイする時、ガチでこんなことやってましたからね。
オンライン修理受付する寸前まで画面進めてましたからね。

本論とは関係ないけれど、真っ先に言いたかったことなので言わせてもらいました。

面倒だ

別にレベル上げが面倒という訳でも無い。
3Dで表現されたモンスターはどこか愛嬌があり、見ていて飽きない。
戦闘シーンが苦という訳ではない。

物語がつまらないのか。
いや、そうではない。
始めればどっぷりと世界観に浸って、時間を忘れてやってしまう。

でも、面倒なのだ。
攻略チャートを見て、まだ半分も来てないことに昔ならば喜びを感じていただろう。
なんてやりがいがあるんだろうかと。
然し今は逆なのだ。
まだ半分以上もあるのかと絶望感に苛まされるのである。

一時はうつ病のせいかと思った。
確かにそれはあるのかもしれない。
けれど、振り返ってみれば、いつからか僕はゲームそのものから遠ざかっていたことに気づいた。

どんなゲームも長続きしないのである。
ポケモンGOを一年近く続いているが、あれは奇蹟に近い。
歩いているだけという感覚なので、ゲームをしてる感が無いのが今まで続いた理由だろう。
それも多分、もう終わりだ。
ポケモンGOも「やりつくした」感で満たされたので、暫く起動する事も無いんじゃないかな。

いつからだろう、ゲームに興味を無くしたのは

一定のルール上で行われるテレビゲーム。
遊び心が満載で、やり込み要素が強いほど、そういうの要らないやって思うようになった。

子供の頃はそういうゲーム程神ゲーとして湛えて、やり込んでいた。
今の僕がマリカー与えられても、ベストスコア更新するまでやりこむかっていうとやらないですね。
小学生の頃は、本当にやりこんでやりこんで、コンマ数秒の世界で競い合ってましたから。
あれは今は出来ない。

何故なんだろう。

ちょっと同じ想い持ってる人いないかなってググった。
そしたら、こんな記事を発見。
どうして僕たちは、ゲームを「めんどくさい」と思うようになったのか:MistiRoom – ブロマガ

昔は……ゲームに没頭できた。
本当に、何故でしょうかね。

ひとつはオカンの存在。ゲームは一日一時間、あるいはそれに準ずる制限。
……やっぱり、アレ大きかったのかも。「ゲームに飽きない」ために。……ああ、そうか。もうゲームの時間を制限してくれるオカンはいないんだ……いや、生きてるけど。

なるほどなと。
考えてみれば、こういう制限があったから燃えたというのもあった。
本体ごと隠されてしまったりね。
大人になれば、こんな注意受けない。
制限なんか無く自由に好きな時に好きなだけ出来る。
だからというのもあるのかもしれない。

それにしても解せない。
あの熱量はどこから来るのか。
上記記事ではこう纏めていた。

いわば、ただの無駄。何の役にも立たない。
言い換えれば、極めて純度の高い、娯楽。

ならアニメやラノベ、映画とどう違うかっつーと、能動的かどうかってことになる。
ゲームは比較対象と比べると、明らかに能動的だ。
それに、飲み会やデートのような「毎日はやらない」ものではなく、ゲームってクリアしようと思うなら「ある程度毎日コツコツする」ことが求められる。

毎日コツコツすることが必要な、純度の高い能動的娯楽。
実はこんな存在って……ゲームくらいしかないんじゃないか

さて、そろそろ結論です。
結局僕らには……能動的で純度の高い、毎日コツコツする娯楽を娯楽として楽しむ程度の心の余裕がなくなってるのかもしれないね。
頭では解ってる。そういう「無駄」こそ必要なのだと。だけど、その「無駄」を能動的に摂取するのは、しんどい。それなら「有益」を能動的に摂取するほうが楽かもしれない。筋トレや、ちょっと難しい読書のように。
少なくとも、ゲームをやるくらいなら……受動的に楽しめるコンテンツの方が、気が楽。何故って、もはやこの高速化した世界では仕事やら何やらで常に能動的であることが求められるから。

娯楽くらいは受動的に、徹底的に受動的にさせてくれ。

教育に重点を置いたソフトもあるが、そういう一部を除けば、確かに無駄だ。
しかも能動的だ。
確かに。

でも、これは大人の意見だ。
大人になったからこそ、忙しい身分だからこその意見に思える。

正しい。
けれど、ちょっと違う。

小学生の頃に持っていた熱量は高校生の頃には無くしていた。
まだ余裕のある子供時代だ。
何故なんだろうか。

ゲームは誰とやるもの?

小学生の頃は友達と皆でプレイしていた。
1つのゲームを順番に。
RPGですら、友達のプレイしている光景をあーだこーだ言いつつ楽しみながら見ていた。

遊びの一環だった。

高校生の頃になると、友達と一緒にゲームをやらなくなった。
基本的に1人で遊べるゲームを1人でやるようになった。

同じ遊びでも質が変わった。

高校生の頃だと、それでもまだゲームに対する面白味が何よりも勝っていて、楽しかった記憶しかない。
ただ、小学生の頃の熱量は失っていた。

それから歳を重ね、ゲームに対する面白味も無くし、遂にはやる気が無くなった。
まさに

能動的で純度の高い、毎日コツコツする娯楽を娯楽として楽しむ程度の心の余裕がなくなってる

この状態ですね。

ただ、心の余裕は友達がいれば回復する。
能動さも、友達と一緒なら負荷が減る。
友達との遊びであれば、出来るんじゃないか。

オンラインゲームが流行ったのはそれが最大の理由なのかもしれないなと思った。
いつからか1人でやるようになった「自分との遊び」であるゲームを再び「友達との遊び」に振り戻したから。

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