〜「おにあい」、「とらダク」、「ひだまり」〜 原作とアニメの関係性

この記事は

2012年秋アニメから見える原作とアニメの関係性について書いた記事です。
ネタバレありますのでご注意下さいませ。

はじめに

この秋放送された3つの作品。
「お兄ちゃんだけど愛さえあれば関係ないよねっ」と「To LOVEる-とらぶる-ダークネス」、「ひだまりスケッチ×ハニカム」に関する記事です。

最近「おにあい」の原作ラノベを読み始めています。
そこで、改めてアニメ化の際の物語構成について思う所がありました。

よく言う「原作準拠」か否かです。
原作ファンは大概アニメ化の際に、ストーリーが変えられていると不満の声を漏らします。
かくいう僕も経験がある為、これについて否定的な事を言えないのですが…。
ですが、今回物語が変えられていても、「改悪」とは必ずしも言い切れないケースってやっぱりあるよねという事に気付いたのですね。

アニメと原作。
その関係性について書いていきます。

「お兄ちゃんだけど愛さえあれば関係ないよねっ」

「おにあい」。そのアニメ版第1話。
正直言って第一印象は「なんじゃこりゃ」でした。

AパートとBパートに何の繋がりも見いだせなかったからです。
もう少し細かく書くと、秋子が秋人との6年振りの兄妹水入らずの暮らしを描いた前半15分程と突然生徒会役員達が登場しだした残りのパート。
あまりにも唐突過ぎ、かつ、何の説明も無い展開に呆気にとられたのです。

で、原作もそうなのかと思っていたら、全く違って。
生徒会役員3人が秋人達が住む寮に引っ越してくるまで、原作ではたっぷり2巻も使って描かれていたりします。
端的に言うならば、アニメは「原作改変」なんて言葉では生温い程、徹底的に変えられています。

原作の所々が使われているだけで、基本的な物語はアニメオリジナルなんじゃないかな。
僕はまだ原作を3巻までしか読んでいないので断定した事は書けませんけれど、少なくとも3巻までの印象だとそんな感じです。

さて。では、これをもってアニメ版は駄目だと評価するかというと、僕個人の評価は違ったりします。
先ず、原作の3巻までは非常に展開がゆっくりです。
良く言えば丁寧。悪く言えばまどろっこしい。

簡単に各巻のあらすじを書きますと
第1巻は、メインキャラが出会うまで(秋人が聖リリアナ学院に通い始めるまで)を描いており。
第2巻は、生徒会役員3人が寮に転校してくるまで。
第3巻はというと、寮の大掃除や裸の付き合いなど所謂団体生活を始める最初のステップを描き出している。

キャラの会話劇が主体の為、物語全体のテンポは非常にゆったりなのです。
起伏が非常に乏しいので、これをそのままアニメにすると、多分とても暇なものとなる気がします。
会話が面白ければ場が持ちますが、その会話を展開するキャラが出揃うのに1巻分要する事もあり、少なくとも序盤は相当キツイんじゃないかなと。

って、別に原作がつまらないと言いたい訳でも無く。
コンテンツ毎に適切なテンポ・許容されるテンポというのも違いますよね。
尺が違いますから。

原作「おにあい」第1巻のように、メインキャラの出会いだけを描いたお話があるとします。
小説のように、1巻あたり200〜400ページで一つのお話を描く場合は、これでも十分なのです。
これをアニメの20分程度の枠に落とし込むと、少なくとも2話分は必要かなと。
すると、とても物足りなく感じる。
(無理矢理1話にすると、それはそれで説明不足の駆け足気味になりそうですし…。)
漫画で考えると分かりやすいかなと。

週刊漫画と月刊漫画でもやっぱりこの辺の感覚は違っていて。

1話38ページの月刊誌連載のストーリー漫画があるとします。
これを1話19ページの週刊漫画用に再編集するとします。
有り得ない仮定の話ですけれど、あくまで例えとして。
すると、単純に2話に分割することになりますよね。

全く同じ話でも1話38ページの構成で読んだ時と2話合計38ページの構成で読んだ時では、印象も変わると思うのですね。
月刊用の構成で読めば面白くても、週刊用に分割しちゃうと楽しめない。

当たり前の話で、もともと38ページで面白く読めるように構成された物を無理矢理崩せば、感じ方も変わるのは火を見るよりも明らかというモノで。
アニメと原作(漫画や小説等)もコレと同じで、ただ単純に物語を再現すれば良いという訳でも無いという事ですよね。

「おにあい」原作は、再現の難しい原作だと感じました。

無理に再現を試みて失敗するよりかは、もう根本から変えてしまおう。
いっきにメインキャラを揃えてしまおうとなったのも仕方の無い事だったのかなと。
原作を無視してでもメインキャラを序盤で揃えてしまうのは、アニメに於いて最早スタンダードな手法ですしね。

また、ここまで物語が違ってくると、アニメから入っても原作を素直に楽しめたりします。
内容が全然違うので、新鮮な気持ちで読める。
キャラの事は知っているので、感情移入も早いというのもありますし。

会話劇がメインであり、物語はあくまで添え物だからという作品の特徴も関係あるのでしょう。
子細な物語は無視してでも、メインキャラを早めに揃えて、メインの会話劇をより中心になるようにしたのがアニメ版だった気がします。
原作の物語を改変しても、面白い作品は面白いという事を象徴するような作品だったかなと。

「To LOVEる-とらぶる-ダークネス」

逆に今期で言えば、原作準拠に徹して居たのが僕の知る限り2作品。
「To LOVEる-とらぶる-ダークネス」と「ひだまりスケッチ×ハニカム」ですね。

特に「とらダク」は本当に徹底していました。
これはやはり無印1期の頃の経験が活かされているのかなと。

「To LOVEる」1期は、原作よりもストーリー性を強め、オリジナル色を強くした作りでした。
最初に書いた「原作を無視したアニメ」として僕が否定的な意見を持った作品の一つです。
好きな人には申し訳ありませんが、第1期はあまりにも原作とのかけ離れっぷりに「コレじゃ無い感」を半端無く持ってしまったのです。
その分原作準拠になったOVA以降は、とても楽しく視聴出来ましたが。

で、この1期ですが、僕と同様の意見を持った方が少なくなかったようです。
だから…なんて事は言いませんけれど、でも多少はこういった声が届いたのかなと…。

通常アニメでも何でも、切りの良い所で1話が終わる様に構成されています。
視聴者にぶつ切り感を持たれないように作られるのが常だと思うのですが、「とらダク」は違っていて。
「え?ここで続くの?」ってシーンで終わる事がしばしば。

アニメ用の尺に原作の物語を落とし込むのではなく、漫画の尺のまま、アニメにしている。
だからこそ、区切りの良い場面で必ずしも終わる訳では無かったのかなと。
ここまでして原作を再現していた。

更に言えば、実はサブタイトルも原作のまんまだったりします。
唯一第7話「Sisters〜幸せの発明品〜」が少し違う位でしょうか。
(原作では「Sisters〜幸せの発明品・ララ〜」)

サブタイまで原作準拠を貫いていたアニメ「とらダク」。
そんな中、目立った改変がされていたのが第8話「Bad mood〜幸せの絆〜」と第9話「True self〜闇の中の素顔〜」。
8話では、原作番外編「First love〜気がつけば初恋?〜」を混ぜていましたし、話の順番も逆だったりします。
アニメ8話は原作第12話がベース。
同9話は原作第11話と13話をベースにしています。

原作11話がメアの心にお静ちゃんが侵入するエピソードで、13話はリトとヤミの手が繋がってしまうエピソード。
ヤミとメアのエピソードに関わって来ない美柑のエピソード(アニメ第8話)を先に持ってきたのは、より話のテーマを明確にする為だったのでしょう。
まだ最終回が放送されていないので何とも言えないですが、最終回だけ原作第17話をベースにオリジナルを混ぜて締めるのかなと予想しています。
その締め方で、エピソードの順番を入れ替えた意味が見出せるかもしれません。

一部変更こそありましたが、原作準拠を徹底して貫いていた作品でした。

「ひだまりスケッチ×ハニカム」

原作準拠といえばこちらもそう。
といっても、「とらダク」よりかはオリジナル要素を含めていましたが、これはシリーズ1期からの伝統。
オリジナルエピソードの挿入は勿論、エピソードの順番変更なんて当然のようにされていて。

さて。この4期は、原作で言えば第7巻収録のエピソードを中心にアニメ化していました。
というのを、先日7巻を読んで知ったのですが…。
原作とアニメ両方見ていて初めて「面白いな〜」と思える事がありました。

「ひだまり」は御存知4コマ漫画。
4コマ漫画というと、1本1本タイトルがついていたりします。
全ての4コマ漫画がそうという訳では無いですけれど、「ひだまり」はタイトルがあります。

さて、第6話「9月25日 おしゃべりスケッチ」。
先ずは、この回のあらすじを公式サイトから抜粋させて頂きます。

今日のデッサンの課題は「手と自分の顔をモチーフに」ということで、うーん、難しいなあ。
吉野屋先生は鏡を見なくても自画像を完璧に描いてて、すごいです!
デッサンをしながら、宮ちゃんの受験勉強の話になりました。
今までにもいっぱい色んなことを話してるのに、まだ聞いたことのない宮ちゃんの話があるんだなってびっくりしました。
お互いにまだ見たことのない表情とかもあるのかなぁ……?
うんっ、なんだか今日はもっといっぱい宮ちゃんとお喋りしたい気分♪

という事で、表情がテーマとなっているお話でしたね。

このお話の一幕に以下のようなものがありました。
宮子が何気なくゆのの事を可愛いと言うと、照れてきょどったゆのが、「宮ちゃんの方が断然可愛いよー美人だよー!!」と返します。

この直後、クラスメイトが宮子の顔を見て「今まであんまり見たこと無い表情〜」と評します。
宮子の顔は視聴者には見えません。

僕はこのシーンを見て、宮子の「嬉しそうな顔」を想像しました。
褒められてとっても嬉しがっているのかなと。

でも、よくよく宮子のキャラを考えると、これは違うという事に気付くのですが…。
だって、彼女は普段から嬉しそうな顔をしてますしね。
「今まであんまり見たこと無い」表情が嬉しい顔の訳がありません。

このお話は、原作にもしっかりとありました。
その原作でのタイトルが「ちょい照れ」。
宮子は褒められて、照れ顔をしていた事が分かります。

こういう「アニメを見て勘違いしてしまった点」を修正できるのは、面白い効果だな〜と思ったのですね。
これは原作もアニメも共に楽しんでいないと出来ない感覚。
まあ、別に「勘違いを修正」する必要性も無いんですけれどね。

あとは、文化祭のエピソードも、アニメとの良好な関係を象徴していたかなと。
アニメでは第8話ですね。

この第8話では、ノリのクラスの劇の様子が描かれてました。
裏方だった筈のノリが、牛の衣装を着こんで舞台に上がっている所。

これ、原作にはありませんでした。
ノリが、「ロミジュリ」の改変劇をやるというセリフはあるのですが、実際に劇を描いているシーンが無かったのです。
なので、劇の様子がアニメオリジナルなのか、アニメの為にうめてんてーがアイディア出ししたのかは分かりません。
もし後者なら微笑ましいかなと。
下のカットは、7巻に掲載されているカットです。
描き下ろしだと思います。

アニメからフィードバックされた(と思われる)微笑ましいカットですよね。
これもアニメを見ていないと意味が通じない点かなと。

アニメからフィードバックと云えば、沙英の妹の智花。
うめ先生がデザインを描き下ろし、アニメオリジナルとして登場した彼女が、7巻で遂に原作初登場。
当然ゆの達との出会いも原作では無い為、ゆの達は智花の事を知らないという形で描かれていました。
(出逢いすら果たせませんでした)

夏目の扱いもそうですが、アニメと原作で違う点も、両者の関係が近いから刷りあわせが出来るのかなと。
智花の原作への登場は、アニメから作品を知った自分には嬉しいハプニングでした。

基本は原作準拠で、オリジナルも入っている。
原作とアニメの良好な関係が築けていそうな雰囲気のある作品ですね。

まとめ

秋アニメを中心に、原作とアニメの関係性が観れる特徴的な3作品を取り上げてみました。
コンテンツの尺の違いから原作準拠は「例えやりたくても出来ない(難しい)」場合もあるのでしょうし、それを無視してでも再現している作品もある。
また、程良くオリジナル要素を混ぜつつ原作準拠で進めて来ている作品もあって。

アニメと原作。
色々な関係性が見て取れた秋アニメでした。

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