この記事は
「劇場版 銀魂 完結篇 万事屋よ永遠なれ」の感想記事です。
ネタバレありまくりなのでご注意下さいませ。
はじめに
終わる終わる詐欺かと思ってた。
必ず最後にオチがあると思ってた。
無かった。
そう言った意味では期待を裏切られた。
けれど、とても良かった。
本当に本当に綺麗に終わったように思う。
劇場版ならではの壮大なストーリー。
最後を飾るに相応しい笑いと感動に満ちたストーリー。
本編とは全く関係ないと思われた冒頭のギャグを最後の最後まで絡めてくるあたり、無駄の少ない(それでも冒頭のギャグシーンはやや冗長に感じたがw)構成で、存分にアニメ「銀魂」のラストエピソードを堪能しました。
ENDで初代OPの「Pray」を持ってくるあたり、卑怯ですよね〜。
ありゃ、第1話から欠かさず見ていた人間としては感動しますよ。
てなわけで感想。
たまが今作の最重要キャラだったと思う
本編のメイン筋は、僕の苦手なタイムトラベル物。
苦手と言うのは、別にその手の物語が嫌いという意味ではありません。
「理解し難くて、こんがらがる」から苦手なのです。
歴史上誰一人成し得ていない、本当に空想上の理論・時間跳躍。
(光速で移動すれば、数秒先の未来には行けるらしいですけれどね。本当かどうかは分かりませんが)
過去に飛んだ際に、現在・過去・未来に及ぼす影響はどれほどなのか。
時間改変とは何なのか。
考えれば考えるほど辻褄が合わなくなり、非常に理解が難しい。
だから、とっても苦手。
例えば今回で言えば、銀さんが最初に(現在から見て)10年前に飛んだ際。
(※以下、断りが無い限り作中の現在時間を基準として、時間を表記します。)
5年後の未来では、最初の改変がありました。
荒廃した地球が綺麗さっぱり無くなり、現在とそう変わらない姿に戻っていました。
唯一変わっていたのは、銀さんに関する事ですね。
土方ら真選組の記憶から抹消され、同時に銀さんが居たからこそ関わりを持った新八と神楽の事も忘れ去られておりました。
この後、当の新八と神楽も銀さんの事を忘れてしまうのですけれど…。
ここで最初の疑問が。
この改変は、そもそも何故起こったのだろうかという事です。
このシーンの直後に判明しますけれど、銀さんが殺そうとした10年前の銀時は、マダオの変装したものでした。
つまりは、銀さんは自分を殺していないという事が描かれたのです。
ならば、この最初の改変は、いつ・どうして起こったのか?
分からなかったんですが、まあ、ここは描写されなかっただけなのでしょうね。
一度改変が起こった時点で、間違いなく現在の銀さんが10年前の銀時を殺したのでしょう。
で、そのまま15年の時間が流れ、たまが5年後の未来の”銀さんについての記憶を失くした直後”の新八と神楽に出会った。
もうややこしい。
で、たまのお陰で、皆が銀さんの存在を思い出したのでしょうね。
最初にたまと銀さんが飛んだ10年前の更に少し前の時間に、全員でタイムワープ。
マダオが10年前の銀時らを酒で眠らせ、銀時に扮して、銀さんを待った。
ようは、作中での銀さんが銀時(に扮したマダオ)を刺したシーンは、「2巡目」に当たるのでしょうかね。
この辺突き詰めると訳分からなくなるので、ぼかしときますw
後は描写された通り。
要するに、現在の銀さんや10年後から来た新八らが何度魘魅の攻撃を受けようと関係無かった。
10年前の銀時(や生き残った攘夷志士)が傷さえ追わなければ…。
では第2の疑問。
何故、最初からマダオのやったように、銀さんもしなかったのか?
酒で眠らせちゃえば、簡単だったんではないかなとw
その後、現在の銀さんが単騎で魘魅達に挑めば良かった気もしないでも無い。
たった1人で魘魅を相手取るのは、難しかったからというのもあるかもですが、銀さんってそういう事を考慮するようなキャラじゃないですしね。
例え敵わないと思っても、守るべき対象の為ならば、自分を犠牲にしてでも挑んでいた事でしょう。
というか、今回がそういうお話でしたしね。
銀さんのキャラ的にも、こういう筋立てにしていても良かったと思うんですが…。
パンフとかにこの辺の事は書かれているんでしょうか。
買わなかったので何とも分かりかねる事ですが、個人的には、たまの扱いが非常に秀でていたと思った訳です。
作中で彼女は言います。
「これで世界と未来は守った。次は銀時様の為に」的な事を。
銀さんの事を想い、銀さんのために行動している彼女ならではの行為ですよね。
5年後の銀時も、全ての真相を知った時の現在の銀さんも、「自分が死ぬことでしか世界は救われない」し「そうする事でしか罪は償えない」的な心境に陥ってしまっていたと思うんです。
10年前の銀時と魘魅を戦わせないという根本的かつ安直な考えはそもそも無かったんでしょうね。
例え思いついたとしても、それを本人が許さなかったのかもしれません。
そういう考えがあって、たまに命じたのではないか。
自分で自分を殺し、そうする事で世界を未来を救う事を。
たまはたまで、それが最善とは思わずとも、銀時の為にその意志を一度は汲んだのかなと。
そういうキャラじゃないですか。たまって。
僕自身そういう解釈をしているんです。
だから、10年前の銀時と魘魅を「10年前の銀時を殺す」以外の手段で”戦わせない”という選択肢を取らなかった。
わざわざ15年も待ち続け、5年後の皆を率いて、10年前に現在の銀さんを助けに行ったのは、台詞通りの意味。
銀時を救う為。
一度は筋を通し、約束を守ったのだから、二度目は自分のやりたいようにやりますよって事だったんでしょうね。
タイムトラベルものでは、いっつも何らかの疑問が出て来るんです。
今回も疑問を生じたのは確か。
でも、考えて、自分なりの(正解では無くとも一定の)結論を出せるようになっているところに、この物語の丁寧さ・巧みさが見て取れるのかもなと思った次第です。
笑いについて
まあ、考察染みた堅っ苦しい事はさておきまして。
笑いの面も、期待を裏切らずでした。
最初から最後まで、小さいネタから大きなネタまで、本当に「笑わせよう」という気概がビンビンに伝わってきました。
例えば、最後の別れのシーン。
どう考えても、笑いを差し込むようなシーンじゃないんですよね、普通ならばw
過去を変え、若しかしたら未来では会えないかもしれない。
これで本当に永遠にお別れかも知れないというシーンです。
神楽の言っていた事は、大袈裟でも何でも無いんですよね。
しんみりするような、どちらかといえば見ていて切ない気持ちになるようなシーンの筈なのです。
それなのに、全員1ネタかましてから消えていくというねwww
さっちゃんと月詠とか、マジで有り得なかったw
あれは本気で笑わずにはいられない、しかし、彼女ららしい消え方で。
他にもお妙の病室に現れた銀さんとか、空気とか関係無しですよ。
「シリアスなにそれ?美味しいの?」的な、雰囲気とかぶち壊すギャグ・ギャグ・ギャグ。
普通は、元々「ギャグ漫画?」だからとはいえ、シリアスな場面にギャグを挿入されると、「空気読んで」と思いたくもなるんですけれどね。
そういう事を一切感じない。
パロから下まで、今作らしいギャグを万遍なく散りばめ、それが嫌に感じないのは「銀魂」だからなのかもですね。
そうそう。
5年後の神楽(個人的には、こっちの方が断然好みw)を見た銀さんが「無駄遣いしてた声優を使いこなしている」とか言ってました。
現在の神楽では、釘宮さんは勿体ないという事らしいですが…。
どう考えても神谷明さんの方が無駄遣いだったと思うw
やたらキモくなってたエリザベスに、何故に神谷さんの良い声をあてようと思われたのかw
どうせなら、キン肉マンネタとか仕込んで欲しかった。
まとめ
ジャンプアニメの映画って、尺が圧倒的に足らないと感じる事が多いです。
それは、普段の1つの物語が、非常に長いからです。
連載で1年以上。
アニメにしても、半年以上とか。
そういうのがザラですよね。
その点映画は長くとも2時間弱。
基本は子供向けとなるので、最長2時間弱と考えても問題は無い。
2時間弱では、どうしたって短く感じ、原作(やTVシリーズ)の方が、壮大な物語になっていると思ってしまいます。
その点「銀魂」は、長編といってもコミックスで2巻程度かな?
最も長い部類でも。
アニメだと4話とか6話くらいで纏められちゃう。
映画と然程変わらない尺です。
だから、全然「短い」とも感じなかったし、「原作の方が壮大な物語になっている」とも思わなかった。
寧ろ「映画でしか描けない壮大かつ迫力いっぱいの物語」だと感じたし、また、作品を知らない人にでも自信を持って薦められる内容であったと胸を張って言えますね。
非常に面白く、大変満足致しました。
「銀魂」映画、最高!!!
1年後「あれは、劇場版アニメ銀魂の完結篇という意味だから」とか言いつつ、しれっとTVに復活する銀さんの姿が目に浮かぶw