「劇場版 ハイキュー!! ゴミ捨て場の決戦」感想 vs音駒の激戦をどう85分で纏めたのかの謎解き

この記事は

「劇場版 ハイキュー!! ゴミ捨て場の決戦」の感想です。
ネタバレあります。

劇場版2部作で完結?

え?
ってなった。
耳を疑った。
いや、ごめん。
正確には「目」だ。
「ジャンプ」紙面で目にした時、「無理だろ」と思ったのだ。
TVシリーズは4期放送され、春高の稲荷崎戦までが描かれた。
原作で言うところの33巻途中までだ。
その後、終章まで含めれば、コミックス約12巻分もの分量が残っている。

どう考えたところで映画2本の尺で収まる量ではない。

終章はカットされるのか?
ダイジェストで駆け足でやるのか?

いずれにせよ、丁寧に作られてきたここまでの軌跡を蔑ろにしそうであり、不名誉な最後を迎えそうだなと残念な気持ちになったのだ。

それから時が流れ、どうやら前半では音駒戦を取り上げることが分かった。
音駒戦だけでもコミックス約5巻分もある。
やはり尺が足りない気がした。
満仲勧監督がシリーズ第3期以来に復帰されることが分かり、期待感こそ増したけれど、不安は払拭出来なかった。
上映時間が判明した。
85分。

やはり目を疑った。

短すぎる。
長編映画の中でも短い尺である。
最低でも100分はあるだろうと予想してたので、あまりの短さに余計に不安が募った。

そうこうして迎えた今日。
どうなんだろうと懸念ばかりを胸に鑑賞してきました。

 

 

 

満仲監督は偉大だった。

そう来たか!!!!!!
こう纏めるか!!!!!!!

あまりにも、あまりにも流石すぎて、上映終わりには心の中で拍手喝采でした。

感想です。

vs音駒の激戦をどう85分で纏めたのかの謎解き

監督であり、脚本も務めた満仲監督。
監督の解釈するところの「烏野vs音駒」は、つまるところ「日向が研磨にバレーボールを楽しいと言わせられるか否か」だと。
もう少し厳密に言えば日向が研磨に「”悔しかった”とか”楽しかった”とか「別に」以外の事を言わせる」ことが出来るかどうか。
これを問う物語としての解釈だった。

だから、それ以外の部分は割と思いっきりよくバッサリと切られていました。
日向と研磨のドラマを原作から抽出。
黒尾とツッキーの関係性とか夜久と西谷とか。
「面白い部分」は残しつつも、影山すら「脇役」にする徹底ぶり。
原作至上主義者が見たら発狂するかもしれんけれど、「長編映画1本で纏めなければならない」というミッションを考慮すれば、僕としては最善策の1つだったと思いました。

そんな訳で見終わった時の充実感は凄かった。
どうしてそこまで感動できたのか。
やはり2人の関係性の変化が丁寧に描かれていたから。
冒頭2人の出会いのシーンを研磨視点でリメイクして魅せたところから、満仲マジックが炸裂してましたね。

初めての出会いのシーン。
研磨もバレーをしてると知った日向が彼に問います。
「バレー楽しい?」と。
まっすぐな日向を直視できず、視線を外してしまう研磨。
これは研磨の「逃げ」ですよね。
画面外からフェードアウトする黒猫でその心情を表現することで、「烏野と音駒の対決」を「日向と研磨の対決」であると思わせられました。
この物語は「烏野と音駒のバレーボールの試合」でもあり、「日向と研磨の対決」でもあるのだと。
2つはイコールであるのだと。

あとは、原作を再構築して、2人のドラマを時系列通りに並べていく。

黒尾が研磨に「日向(チビチャン)は全力でお前に勝ちに来るだろうな」と言うシーンをタイトル直後に持ってくる。
原作ではこのシーンは、「vs音駒」決着を描いた322話の冒頭にあります。

初対面の時には逃げ、試合直前では「意味わかんない」と返している。
研磨は日向が何に拘っているのかを全く理解できていない訳です。
「勝ち」の意味を理解してない。つまりは、この時点でバレーボールの楽しさを見いだせてないと分かる。

こうなると、挿入される研磨の過去も全て意味を見出せる。
「ゲームオーバーは嫌だけれど、ゲームクリアももっと辛い」。
こんなに楽しいゲームを簡単には終わらせないで欲しいと日向に向かって「面白いままでいて」と表現すれば、日向を”地面に落とした”途端に自分でやっておいて「つまらなそうな」表情を作る。

大好きなゲームと同様にバレーを捉えているんですよ。
徐々に日向との戦いに、バレーボールに夢中になっているのが分かります。

紆余曲折して迎えた最後のラリー。
研磨視点でのワンカット。
ここは映像としても震えました。
実写でもワンカットの長回しって難しいらしい。
役者もカメラも計算して動かないといけないし、セリフをとちろうものなら、最初からやり直しとなる。
アニメの場合、実写と同じ苦労は無さげですが、それでも難しいだろうなということは何となく分かる。
そうまでしてまで、2分弱くらいかな?
研磨の視点で、最後のワンプレーを描いた意図は、観客を研磨と「一体化」させるためだったんだろうなと思う。

今にも倒れそうなくらい苦しい。
それでもボールを目で追い、プレーに集中し、終わらせたくないという気持ちだけで体を動かす。

「根性」ではない。(聞きたくないくらいには嫌いだから。)
「負けたら引退の3年生の為」でも無い。(猫又監督が否定してた。)

では何故なのか?
最後の振り絞った一言に凝縮された想いを少しでも強く観客が感情移入できるように。

渾身の研磨視点ワンカットで締めくくられたゲーム。
試合に勝ったからではない、研磨に「別に」以外の言葉を引き出せたからの日向の歓喜の絶叫。
本当に素晴らしい再構成でした。

終わりに

劇場版前半はあまりにも見事過ぎる構成だった。
個人的には良改変。

ただ、現時点でも2部作の後半はどうなるのか分からない。
一先ずラストで原作通り鴎台戦が描かれることは確定したが、原作のどこまでを纏めるのかが定かではありません。

杞憂と終わるのか。
不安が的中してしまうのか。

今回を鑑みれば、杞憂になりそうな可能性が高まったかな。
何はともあれ、後半。
どのような再構成した「ハイキュー!!」を見せてくれるのか。
楽しみです。

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