はじめに
ちょっと最近の「HUNTER×HUNTER」が読み辛くて敵いません。
なので、ちょっと思ったことを。
どうしてこうなった
最早漫画じゃないんですよね。
文字数がこのレベルのページが毎週数ページある。
コマ割っている意味がまるで無いですw
小説だとしても、なかなかこれだけの地の文をお目にかかることはありません。
流石に読み飛ばしたくなります。
殆どがキャラクターの思考なので、確かに念能力という知略戦を描くには必要なのかもしれません。
けれど、以前は「漫画の台詞」に落とし込んだ上できちんとかけ引きを描けていました。
なんでこうなってしまったのでしょうか?
先般「ジャンプ」創刊50周年を記念したインタビューで冨樫先生が登場しました。
その際にこのような事を仰っています。
「若いころは、やりたいことになかなかOKが出なかったので……今、ようやく好きなことをやらせてもらえるようになりました」
ネット掲示板では、この部分を取り上げて「編集が仕事してない」と解釈してましたが、実際どうなのかは分かりません。
編集者がしっかりと仕事した上での今なのかもですし、想像通り原稿を受け取ってるだけかそれに近い状態なのかもしれない。
そこは分かりかねるのですが、もしも、後者だとしたらとんでもないことだなと。
正直僕自身も編集者が仕事をしてないと感じてるので、この推測を元にして以下、感想を書きます。
編集者が仕事してない前提の文句
商業漫画の制作って、作家と編集者の二人三脚で作られていきますよね。
(編集部によっては担当編集が複数付く場合があるので、文字通り「二人三脚」では無いケースも多々ありますけれども。)
基本はお互い忌憚なく意見を出し合える関係性が健全だと思うのです。
編集が原作レベルで介入して、作家がそれに不満たらたらで「描かされている」ケースもあるようですが、そういうのは良くないですよね。
良くないというか、個人的に好きじゃないんです。
僕としては、作品は作家主体で生み出すべきだと思ってますので、仮に編集主導で作品作りをするにしても、納得了承を取った上で作家にオーダーして欲しいものです。
ただ、逆のケースもやっぱり良く無くて、編集者が作家を忖度して意見しないのもダメ。
ある程度は作家の自由にさせていても、締め付けるところはしっかりと締め付けないと。
冨樫先生の話に戻りますと、「好きなことを描いてもらう」というのは良いじゃないですか。
文句なんかある筈ないです。
作家さんが自分の好きなことを好きなように描くことを咎める権利は、読者にはありません。
少なくとも「ジャンプ」で読んでるだけの僕には無い。
(コミックスを買ってる読者にはあると言っても良いのかも)
でも、編集者は多少はあるよね。
寧ろ持つべきだよね。
最低でも「先生、写植で絵が見えません」位は言ってよ~。
おかしいでしょ。
文字で絵が完全に潰れるって初めてですよ。
しかも、1回や2回ではなくて、何度かあったからね、こういうの。
だから、編集者が仕事してないのではと思われちゃう。
聖域化よくない
ただでさえ、特別扱いしてるんですよ。
ここまで休載を許してまで、移籍等もさせずに連載枠を与え続けていることからも、編集部の扱いが他と違う事は明らかです。
「HUNTER×HUNTER」は売れてる漫画だし、冨樫先生も功労者だ。
大事にするのも分かるんです。
けれど、少々度が過ぎてる気がします。
もしも、ノーチェックで原稿を受け取ってるだけなのでしたら、方針を見直して欲しいです。
それが無理なら移籍も視野に入れて欲しい。
聖域は作るべきじゃない。
昔からベテランや人気作家と言えど人気が無ければ容赦なく切り捨てて来た雑誌です。
人気があるので、打ち切りという判断は宜しくは無いけれど、移籍ならアリじゃないかな。
とはいえ、ここまで読んできた漫画が移籍しちゃうのは、心情としては嫌です。
(「ワールドトリガー」も移籍では無く、月1連載にして欲しかった)
もう少し文字量をコントロールして、推理漫画程度にまで抑えて欲しい。
以前はそうなってたので、出来ない訳は無いはずです。
編集部は、編集としての仕事を果たして欲しいと思います。