はじめに
映画が好調な興行を続ける中、「ジャンプSQ」連載の「-キネマ版-」を収録したコミックス「るろうに剣心‐特筆版‐」上巻が発売されました。
このコミックスには、「週刊少年ジャンプ」38号に掲載された読切版「るろうに剣心-明治剣客浪漫譚- 第零幕」も収録されています。
連載でも読んでいるのですが、改めてコミックスを読んでいて、ふと思った事を書いていきます。
先ず明確にしておきたいのは、「-明治剣客浪漫譚-」と「-キネマ版-」は別の物語であるという点。
コミックス収録の解説で和月先生自身が触れておりますが、2つの物語はパラレルとして個々独立しているのです。
従って、「-明治剣客浪漫譚-」と「-キネマ版-」、それぞれに登場する剣心もまた「別人」と見做せます。
とはいえ、根底に流れる「キャラクター性」は一緒。
(パラレルをやる上で)一つだけやってはいけないのがキャラクターの根幹を変えてしまうコトで、これをやった場合、それはニセモノになります。
ニセモノは駄目です。
と同解説で和月先生も言われている通り、剣心自身のキャラクターはぶれておりません。
ただしかし、その歩み…人生経験そのものは違うのですよね。
傷を付けられた時の想い等は同じでも、その想いの程度や経緯が異なる。
そういう解釈が可能であり、また、明治を生きる剣心の「在り方」もまた違うんではないかなと。
こういった考えを基本線として、”2人の剣心”の違いに関して考察してみたいと思います。
十字傷が出来るまで
その前に、抜刀斎時代の剣心について軽くですが、纏めてみます。
「-キネマ版-」の方の詳細は語られていない為、「-明治剣客浪漫譚-」の剣心について書いていきます。
(副読本やwikipediaなどを参照しています。)
幼い頃比古清十郎に救われた心太(剣心の幼名)は、その素質を見込まれ、比古の下で飛天御剣流を習得。
14歳となり、剣心と名付けられた彼は、比古と喧嘩別れをしてまで動乱を終わらせる為に山を降りる。
後、桂小五郎らに実力を買われ、桂の指示のまま、幕末の京都を中心に暗殺稼業を開始する。
この暗殺者時代に付いたのが「人斬り抜刀斎」の二つ名である。
剣心、左頬の一つ目の傷(縦傷)は、まさにこの時代に付けられた。
京都所司代の重倉十兵衛を暗殺するよう命じられた折り、重倉と共にしていた清里明良の「雪代巴の為に生きながらえたいと強く想う意志」が成した事である。
この「事件」の前後から、段々と理想と現実のギャップに悩み苦しみ始めた剣心。そんな時に、ある事件から巴と「出会う」。
その後、巴と祝言を上げ(公に行ったものではなく、2人の間だけで内々に行った「夫婦になる事を認め合った」意思疎通のようなもの)、「守るべき幸せ」を噛みしめる剣心。
しかしこの幸せも長く続かず、闇乃武との戦いに於いて、誤って巴を自らの手で斬ってしまう。
二つ目の傷(横傷)は、この際巴によって偶然付けられてしまい、2つの傷は交差し、十字傷となった。
清里明良と雪代巴が許嫁の間柄であった事、愛する者を斬ってしまった事。
これらの事実が剣心の心に深い傷を負わせ、剣心は暗殺稼業から身を引き、後任として志々雄真実が着任する。
暗殺稼業の一線から身を引いた剣心は、鳥羽・伏見の戦いまで、要人の警護を主とした「遊撃剣士」として活躍。
それまで世に出ていなかった「人斬り抜刀斎」の二つ名が広く世間の周知する事となったのは、この時の活動故です。
「自分の汚れた血刀と犠牲になった命の向こうに誰もが安心して暮らせる新時代があるのならば―」
この信念のもと人斬りを始めた少年が「犠牲になった命」の重みを知り傷心し、幕末が終わった今も血だまりから抜け出せないでいる。
多くの人を殺めた業の贖罪と「血だまり」からの脱出。
これが剣心の最大のテーマであり、2人の剣心に共通する事であります。
十字傷に込められた想い
剣心の傷は2人の人物によって付けられました。
共に「強い想い」が込められているから、付けられてから10年以上の歳月が経った今も尚消える事が無いという設定があります。
「-明治剣客浪漫譚-」最終回の二百五十五幕にて薫がこう言っています。
(恵に言われた事として)「何かしらの強い想いの籠った刀傷って その想いが晴れない限り決して消えるコトはないって」
と。
この時「傷が薄くなった」と薫は評していますが、剣心は「多分このまま一生消えるコトはないでござるよ」と返してます。
「何かしらの強い想い」というのは、決して剣心に対する怨嗟や復讐等の負の感情では無いと思っています。
清里は武士であり、それ故に自身を殺めようと刀を向けて来る剣心に対して、恨みの念を込めていたとは思えない。
多少はそういう想いこそあったかもですが、生き抜きたいという想いの方が遥かに強かったはず。
巴も同じですね。OVAの「追憶編」では故意に傷を付けたことになっているようですが(僕はOVA未視聴の為、今回こちらには触れません。)、原作では「偶然」。
斬られた際も、心の底から剣心を愛していた故、「許嫁を殺した男への復讐心」というのは殆ど無かったと推測できます。
寧ろ、剣心に生きて欲しいと願っていた時に付いた傷であるため、正の感情であるのではと考えます。
十字傷には「生きるコト」を強く想う感情が込められており、「剣と心を賭してこの戦いの人生を完遂する」という剣心が出した贖罪の答えと合致していると思うのです。
剣心は、生き抜く事を誓ったのですから。
だからこそ、傷は消え始めているのではないでしょうか。
剣心としては「償いきれない程の罪を背負ったから、その象徴たる傷は消えるコトは無いだろう」と考えての上述の発言なのかもですが。
「-明治剣客浪漫譚-」の後日談である「春に桜」(「剣心華伝」初出)では、この傷が消えかけているという描写がありました。
本編最終回時よりも更に1年後の明治16年時点では、はっきりと見て取れるほど傷が癒えているのです。
剣心の思いとは裏腹に「想いが晴れた」傷は、少しずつですが着実に消えかけているようです。
黒くなる十字傷に込められた意図
さて。
「‐特筆版‐」上巻に話を戻します。
「第零幕」は、タイトルの通り本編「-明治剣客浪漫譚-」の前日譚となります。
まだ薫達と出会っておらず、当然の如く贖罪の答えは出せていません。
十字傷もはっきりと刻まれており、西洋の医者であるエルダーを推して
「まるで昨日今日に出来たかのよう…」
と言わしめるほど生々しい事が見て取れます。
古傷なのに、生傷同然のように見えるってなかなかに凄い表現です。
余程傷に込められた想いが強いんだなと言うことが窺い知れます。
「-キネマ版-」に目を転じます。
すると十字傷に関して面白い特徴が見て取れるのです。
抜刀斎時代。
逆刃刀を抜いた時。
戦いに臨む事を決めた時。
剣心の十字傷は黒く表現されている事に気付きます。
黒くベタ塗りされているというより、トーンが貼られているんですが。
「第零幕」と比べればはっきりと分かると思いますが、これは「-キネマ版-」に限った特徴です。
恐らくこれは明確な意図があっての演出であると思われます。
「-キネマ版-」の剣心は、明治十一年になった現在でも、抜刀斎時代に近い「存在」なのではないでしょうか。
または、「-明治剣客浪漫譚-」の剣心以上に、強い想いが傷に込められているのかもしれない。
「想いが晴れた」事を表す手法として、傷が消えるという表現を用いている以上、その逆である「傷がよりくっきりと浮かぶように黒塗り」するという表現手法は、「想いが強まる」事に同じ。
十字傷が抜刀斎時代を象徴している以上、「-明治剣客浪漫譚-」の剣心以上に「人斬り抜刀斎」に近い位置にいるのが「-キネマ版-」の剣心なのだと思われます。
この先、「-キネマ版-」はクライマックスへと入っていきます。
刃衛により「殺す理由」を呼び戻される事になる筈です。
「-明治剣客浪漫譚-」では、薫の必死の叫びにより抜刀斎に戻らず思い留まれた剣心。
今回はあの時以上に抜刀斎に立ち戻ってしまうかもしれません。
下巻は、そういった点に注目していきたいな。
まあ、下巻発売前に「SQ」本誌で読んでしまうのですが。
- 作者: 和月伸宏
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2012/09/04
- メディア: コミック
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