土曜のジャンプアニメタイムが盛り上がってきた
「ぼく勉」と「この音とまれ!」が良くなってきました。
特に「この音とまれ!」。
2話からガラッと良くなって、毎週楽しみになりました。
元々の原作の面白さをしっかりと引き出してくれるようになったという印象です。
「ぼく勉」はキャラデザ、色彩設計、キャスト陣の演技と色々と不満もあったのですけれど、慣れてきたのかな。
こちらも楽しく視聴しています。
そんな中、1話から高クオリティを維持し続けてくれているのが「鬼滅の刃」!!
先日第7話が放送され、炭治郎初陣となったVS沼の鬼が決着。
舞台を浅草へ移し、ラスボスである鬼舞辻無惨と衝撃の邂逅を果たしました。
この7話で、僕は炭治郎の去り際に感銘いたしました。
原作と変えた「手」の演出
婚約者を沼の鬼に喰われてしまった和巳。
改めて絶望に打ちひしがれている彼に歩み寄る炭治郎は、彼にこう言います。
落ち込んでる時にこの手の発言を受け入れるのは難しいですよね。
「お前に何が分かるんだ」と反発してしまう和巳。
ここからの流れを原作ではこうなってました。
最後のコマで、和巳は渡された遺品ではなくて、炭治郎の手を見ているのが分かります。
炭治郎の痛ましい手を見た和巳は、そこから「もしや炭治郎も自分と同じ悲劇に見舞われたのでは」と類推します。
実際炭治郎の手が荒れてるのは、厳しい修行が原因ですよね。
鬼殺隊に入るための修行は、元を辿れば、家族を殺されたことにあるので、和巳の推測は当たっているんです。
ではアニメ。
基本的には流れもセリフも原作のままです。
ただ、少しだけ芝居が追加されています。
炭治郎の慈しむような表情の直後にそれがありました。
炭治郎の表情にハッとする和巳。(ここも一緒)
そこから炭治郎の襟元にカメラが行き、ゆっくりと和巳の手を引き離す炭治郎の手が映ります。
痛ましい炭治郎の手に注目が行きますよね。
襟から手が離れると、和巳の視線は炭治郎の襟元あたりに注がれているカットになります。
どこを見ているのか明確ではないんですけれど、僕は炭治郎の手を見ているのかなと解釈しました。
この直後、原作の流れに戻って、和巳が炭治郎の過去に感づくのですが、ここで先程の芝居の効果が表れるのでしょうね。
そうでもないと、和巳は何故炭治郎の過去に感づけたのかが不明になってしまうので。
で、立ち去る炭治郎が振り返って手を振るところで、手を大きく見せる。
このカットも原作には無い部分ですね。
改めて、「痛ましい手…固く鍛え抜かれ分厚い…少年の手ではなかった」ことを見せてくれています。
原作での素晴らしさって、炭治郎に俺も被害者なんだと訴えさせないところなんです。
和巳に負けないくらい傷ついて、落ち込んだ炭治郎。
(殺された家族の数では、炭治郎の方が上ですが、それだけで単純に炭治郎の方が悲しみが上とは言いたくない)
どん底から立ち上がって、今があるので、炭治郎には和巳に説教できるだけのものがあるんですよね。
説得力だってある。
けれど、それをさせないのは、やっぱり炭治郎は大切な人を喪った悲しさを知ってるからだと思う。
同じ被害者であろうと、他人から「立ち直って生きろよ」とか言われても無責任な言葉にしか思えないというか…響かない気がするんです。
結局のところ、自分の中に立ち直る切っ掛けを見つけないと、人間ってそうそう簡単には立ち直れない。
他人の言葉はちょっとした手助け程度にしかならないし、それで良いんだと思う。
アニメは、その点「炭治郎の手を見せる」ことで表現してます。
原作通りにやると、視聴者が炭治郎の手に気づかない恐れがありますからね。
手に視聴者の導線を導く素晴らしい変更だと感じました。
和巳の慟哭
もう1つ、アニメでは原作に無い芝居を追加していました。
今度は炭治郎が遺品を和巳に渡した直後です。
和巳は遺品から婚約者のリボンを見つけて、涙ぐみます。
3枚目、ぼかしたカットを入れることで、和巳視点であることを窺わせ、同時に涙で前がぼやけていることを表現しています。
遺品を顔に引き寄せて泣きじゃくる和巳。
この芝居の追加によって、原作よりも鬼の被害者の悲しみが強調して伝わってきました。
和巳と別れた炭治郎は改めて鬼舞辻無惨に怒りを燃やします。
この怒りを視聴者に伝えやすくするため、強調するために、和巳の痛切な姿を克明にしていたのかなと。
息をするかのようにすれ違った男性を鬼にする鬼舞辻無惨の行為も、同様に許せない非道な行いに映ったのではないでしょうか。
終わりに
想えば冨岡義勇もまた家族を鬼に殺された過去を持ちながら、それを秘して炭治郎に立ち直らす切っ掛けを作りました。
自分の悲しみを人に押し付けずに、行動で魅せる姿には胸を打たれるものがありますね。
その点をアニメ7話ではより強く感じれました。