「今日、小柴葵に会えたら。」イラストと漫画は違うことについてgdgd書く

この記事は

「今日、小柴葵に会えたら。」の感想です。
ネタバレあります。

はじめに

イラストレーターのフライ先生。
屋久ユウキ先生のラノベ「弱キャラ友崎くん」の挿絵やP.A.WORKSのオリジナルアニメ「色づく世界の明日から」のキャラクター原案などでお馴染みですね。
そんなフライ先生が作画を担当している漫画が今作「今日、小柴葵に会えたら。」です。
原作は「政宗くんのリベンジ」の竹岡葉月先生。
連載開始時から注目していた本作のコミックスがいよいよ発売されました。

f:id:nuruta:20190801001024j:plain
©フライ/竹岡葉月

ということで早速購入。
1つ大きな懸念点があったのですが、杞憂に終わってホッとしています。
フライ先生の作画に不安があったのです。

イラストと漫画は違うことについてgdgd書く

僕はフライ先生の絵、好きなんです。
「弱キャラ友崎くん」で知って、先生の描く美少女の可愛さに惚れましたし、なんなら「色づく世界の明日から」は、先生がキャラ原案だから見ようと思った。
ラノベイラストレーターとして注目している作家さんの1人なのです。

それなのに何故に先生の作画に不安を持っていのか…。
やはりイラストと漫画は別物だと考えているからです。

どう違うのか。
ググると色々と違いについて語っているページがヒットしますね。
「コマ割りが出来るかどうか」とか凄い分かるんですが、漫画家さんでも苦手としてる方もいらっしゃるのでちょっと違うかなと。
あくまでも持論ですが、イラストと漫画の違いは「ストーリーの配置場所」だと考えているんです。

どういうことやねんって感じですよね。
分かります。
書いてる僕自身がそうですからw

えと、つまりですね。
イラスト1枚にストーリーを込めるのがイラストレーターのお仕事。

人物画なのだとしたら、どういう性格で何をしてるところなのか。
ポージングや表情、服装や小物などで1枚の絵に集約されている。
パット見で、そういった情報量が読み取れちゃう絵を描けるのがイラストレーターさん。

「弱キャラ友崎くん」がいい例じゃないですか。
あとがきで、屋久ユウキ先生がフライ先生の描くヒロインのイラスト(カバー表紙)について熱く語るのが定番となっています。
一例として、第1巻のあとがき該当部分を抜粋いたします。

僕はまず、表紙イラストが担当編集さんから届いたとき、そのかわいさに驚きました。
そのきりりとした表情や髪の毛の軽い質感、スクールバッグとブレザーを配置するというフェチ感あふれる構図など、さまざまな点において素晴らしさを感じたのですが、もっとも感動したのは太ももでした( 他の点についてはいずれ話す機会があることを信じて省略します)。
僕が一体この太もものなにに感動したのかというとそれは単純で、向かって右側、日南さんの左脚の付け根の部分です。
ここまで言ってしまえば半分くらいの方は「わかる」と頷いているかもしれませんが、ご察しの通り、その膨らみです。
肉と言えばいいのか、それとも若さの迸りと言えばいいのかわかりませんが、太ももの付け根のあたりにある、ぷっくりとした膨らみに、僕は心を動かされたのです。
そしてそこで僕は一度冷静になり、この脚を膝から見ていき、そこから太ももにかけてのラインを辿っていくことし、そして気がつきました。
この脚は、最初のうちはしなやかな、スリムさを表現するようなへこんだラインになっています。
しかしそこから太ももの付け根、日南さんが地面についている手のあたりを過ぎた途端に、膨らんだラインになっているのです。
僕の頭のなかに、電撃が走りました。
この数ミリメートルの工夫に、とても強い思いが込められていることを直感したのです。
それはこちらの勝手な解釈なのかもしれませんが、しかしそれを確信していた自分もいました。
その確信には理由がありました。
棒人間にも太ももは作れるからです。
意味がわからないと思いますのでもう少し言葉を重ねますが、頭と体と手足を線で書き、脚の中心部をカクンと折り曲げて膝の 部分を作ってしまえば、それより上は太ももです。
それを太ももだと主張しても誰も文句は言いません。
少なくとも僕は言いません。
つまり、『太ももである』ということを表現したいだけならば、それでも事足りるのです。
もう少し工夫するとしても、直線的な線だけで囲い、その中を肌色に塗ってしまえばそれは十二分に太もも足りえます。
しかし、今回の表紙は、イラスト担当のフライさんはです。
そこに曲線、しかも絶妙な凹凸を加えました。
この工夫が意味すること、それはつまり絵にリアリティを持たせるため、フェティシズムを吹き込むため──いや、そんなまどろっこしい言い方はあまり適切ではないかもしれません。
この工夫はただ単に、日南さんに『体温』を与えるために行われた、指先数ミリメートルの魔法なのです。
紙の本をお持ちの方はその表紙の太ももに、電子書籍でお読みの方は表紙を表示してその画面の太ももの部分に、そっと指をあてがってみてください。
人差し指がいいかと思います。
どうでしょうか。
そこに感じないでしょうか。
確かな体温、日南さんのぬくもりを、感じないでしょうか。
少なくとも僕は感じます。
いま僕は画面に表示した太ももに触れながら左手だけでキーボードをタイプしていますが、右手の人差し指の先端に感じているそれは、そりゃ本物の人間に触れたときのような物理的な体温とは少し違います。
違いますよ。
そこは認めます。
けれど、その指先にほんのりと、嘘のようだけれど本物の体温が、息づいています。
皆さまにこの思いが伝われば嬉しいです。

f:id:nuruta:20190731231906j:plain
©屋久ユウキ/フライ

屋久ユウキ. 弱キャラ友崎くん LV.1 (ガガガ文庫)

いかがでしょうか。
ここまで語れるのは、屋久先生のような変態さんが小説家だからなのでしょう。
何でもない些細なことで、人に読んでもらえる文章を作れるかどうかが、小説家になれるかどうかの分水嶺だとよく言われます。
屋久先生の小説家としての力量がそのまま文章量に現れているといっても過言ではないのですが、素人から見てもフライ先生のイラストからはそれなりの「ストーリー」が読み取れます。

勝ち気な目元。
自信に溢れた口元。
自然でいて、かといってボサボサとして見えない髪型。
少し着崩した制服。
スラっとした手足。

スクールカーストの上位に立ってるイケてる女子。
その不敵な笑みから滲み出る強キャラ感。
パンツが見えそうな際どいポーズを取りつつ、しかし、両手で巧みにガードしている様は、攻めていて隙も見せない完璧さが窺えます。
今にも戸松遥さんのような美声で挑発してきそうです。

キャラの声まで想像できちゃうほどのストーリーがイラストから読み取れるんです。
これがプロのイラストレーターさんの力。

では漫画家はどうでしょう。
こちらの「ストーリーの置き場所」は、漫画そのものに込められているんですよね。
絵は勿論、セリフ、擬音、コマ割り、集中線などの効果。
ありとあらゆる要素全てを駆使して「ストーリー」を構築している。

絵だけで説明しようとしても駄目だし、かといって、絵になにも込められていない訳にもいかない。
ストーリーの一部分として絵があるというのかな。

写真で例えた方が分かりやすいのかもです…。
イラストは、プロのカメラマンがモデルにポーズを指示して撮ったとびっきりの1枚の写真。
写真1枚に必要な情報量が込められているので、1枚だけに価値が付く。

漫画は、お父さんが家族旅行の記念に、観光地ではしゃぐ家族を(モデルが撮られているという意識の外で)撮った写真。
それ1枚では情報不足でも、アルバムに収めて、ようやくストーリーが浮かんでくる。

ごちゃごちゃと書いてきましたが、ようするに、感覚的に「漫画になってるかどうか」が不安だったのです。

何が言いたいのかというと

初めての漫画作品ではないからというのもあるのでしょうけれど、しっかりと漫画していて、だからこそ「杞憂」と最初に書きました。
意外と崩し絵が多くて、そこにもビックリ。
表情のバリエーションが豊富で、絵で感情表現をしっかりと感じ取れるのは、とっても良かったです。
中にはイラスト向きの「決め顔」しか描けないイラストレーターさんもいるなか、その点フライ先生は「漫画向きの表情」を描ける作家さんなのだと知りました。

ややコマ割りに引っかかる点もあり、何度か理解するために読み直しちゃったり。
ごく一部の背景が素人然としたところもあったりと、漫画一本で勝負してる漫画家さんの漫画とは少し見劣りする点もあるのですが。
それでも不安を吹き飛ばす漫画だったのは確かでした。
(後者は基本的にはアシさんの仕事なので、フライ先生の技能として挙げるべき点ではありませんが、背景も含めて漫画なので敢えて挙げさせていただきました。)

あとは物語ですね。
まだまだ序盤という様子。
大学3年生冬の「現在」と高校2年生夏の「過去」がどう繋がっていくのか。
キャラの行動含めて「どういうことなのかな?」という点が多いので、その辺りどうなっていくのか。
1巻だけでは「これは面白い!!」と手放しで喜べる物語ではありませんでしたので、2巻以降の盛り上がりに期待ですかね。

最新情報をチェックしよう!