藤本タツキ新作読切「ルックバック」感想 あだち充に通じる漫画の上手さについて

この記事は

藤本先生の新作読切「ルックバック」の感想です。
ネタバレあります。

面白かった。

143ページの読切というのは、なかなか無い。
31ページとか43ページあたりが無難なページ数の中で、アプリならではの強みを活かしつつの圧倒的なボリューム。
長すぎるのではないかと思いつつ読み始めたら、止まらない止まらない。
最後まであっという間に読み進められて、読み終わった瞬間には「あ。これ感想書きたい」となりました。

ともかく面白かったという気持ちを吐露したくなったんですよね。

こういう衝動に駆られることって最近では稀なこともあって、今凄く気分が良いです。

ハッピーエンド信者の僕としては、切なさの残る終わりは本来であれば嫌うところなのですけれど。
「亡くなった親友の為に前を向く藤野さん」というオチの前に、京本さんの助かる時間軸を描ききってくれたことで、しんみりとした中にもポジティブな気持ちにさせてくれる構成になっていたのが良かった。
「チェンソーマン」の藤本先生らしく分かりやすいハッピーエンドでは無いのだけれど、ビターな後味の終わりは嫌いではありませんでした。

さて、そんな「ルックバック」ですが、改めて藤本先生の漫画の上手さに気づかされました。
143ページを時間を忘れて読ませる力は、漫画が上手い証左だと思っています。
今回は、その点フォーカスして記事を書きます。

カレンダーの考察

読んでいる時に、ふと疑問に感じるコマが散見されました。
この漫画、藤野さんの後ろ姿が頻繁に描かれていました。
どれも彼女が一心不乱に漫画に打ち込む姿を描写しているのですけれど、その描写内に違和感を覚えたのです。

彼女の部屋に掛けられていたカレンダーです。

例えば15~16ページ目。

1コマ目が春のワンカットでしょうか。
かなり雪の積もる地方のようですが、外は雪が無く、薄そうな長袖を着つつ、暖房を付けている様子です。
春先あたりと考えるとしっくりと来ます。
このカットのカレンダーに目を移すと、何月か不明ですが30日終わり、かつ、1日は日曜だと分かります。
(拡大してみると日曜始まりのカレンダーであることが分かります。小さくsun mon…と描かれています)

2コマ目は夏ですね。
半袖で扇風機を回している様子が見て取れます。
カレンダーは7月。
これまた1日が日曜日になっています。

3コマ目(ここから16ページ)、カレンダーの1日は月曜からになっています。
31日までありますね。
季節は不明ですが、扇風機も暖房も必要のない時期のようですね。

4コマ目は、真冬。
窓の外には、雪がこれでもかと積もっています。
カレンダーは1月。元旦は月曜になってますね。

で、何がおかしいかって、1コマ目と2コマ目。
そして、3コマ目と4コマ目。
どちらも月初の1日が同じ曜日スタートなんですよ。

これは中学生になって、2人で執筆を始めた時も同じ。

やはり同じ曜日スタートのカレンダーを映している。

面白くないですか。
僕は、面白いと思った。

同じ曜日スタートの月が連続するのは、うるう年を除く2月と3月のみ。
それ以外は、最低でも3か月は経たないとあり得ないんです。
しかも上のコマはワザととしか思えないほど、何月のカレンダーか分からないように上部を切っている。

時間の経過をカレンダーでもしっかりと表現しているんですよね。

ところで、僕はこのカレンダーを具体的に何年何月か推理してみました。
結論から言うと「不明」という残念な結果となりましたが、漫画内の描写から分かったことを纏めます。

先ず、冒頭2人が小学4年生の時の年代ですね。
これは、終盤で京本さんが当時を懐かしんで藤野さんの4コマ漫画を読み返してるシーンで判明しています。

2002年6月11日。

2人が小学4年生の頃は、2002年だと分かります。

では、最初の画像の時は、何年でしょうか。
少なくとも2人が小4~小6の間である為、2002年6月~2005年3月の筈です。
ところが、この期間で7月1日が日曜日である年は無いのです。
詰みました。
京本さんが助かった世界線と元の殺されてしまった世界線では、西暦がずれているのかもしれません。
そこまで考えだしたら何でもありになっちゃうので、今回この線は外しています。

なので、良く分からなかったのですけれど、2001年7月1日が日曜なんですよね。
1年ずれている。
1年くらいの誤差は、なんらかの原因によりアリなのではと色めき立ちました。

しかもしかも、2001年4月1日も日曜日‼(4月は30日まで!!)
2001年10月1日は月曜日で、ここまでは15、16ページの描写と完全に一致するんですよ!!!!!
ということは、2002年1月1日が月曜日なのか!!!!
…と思ったんですけれどね…。
2002年1月1日は火曜なんだよなぁ…( ̄▽ ̄;)

現実の日付と符合することは無かったですが、カレンダーだけで時間の経過を描写してるんですよね。

余談ですが、2つ目の画像は、2007年5月と一致。
中1の頃が2007年とすると、小4で2002年という「事実」と2年の誤差があります。
けれど、小学校卒業時の4月1日が日曜で、これは2007年4月のカレンダーと一致してるんですよね(汗

漫画の上手さを左右するセリフ回し

漫画の上手さは、どこに起因しているのか。

絵か。
コマ割りか。
それとも…。

正解は1つでは無いはずですが、その中の1つに「セリフ回しが上手いかどうか」が当たるのは間違いありません。
と、プロの漫画家さんも漫画賞のコメントで触れていました。

曰く、「漫画のセリフのポイントは、少ない文字数にすること」だそうです。
セリフ量が多いのがダメという訳ではなく。
あくまでも、基本形としては簡潔かつ少ない言葉だそう。

このセリフ回しに関して、僕が上手いなぁと思っているのがあだち充先生。
例えばさ、「タッチ」の有名なシーン。

達也のセリフを漫画が下手な漫画家さんが書くと、こうなるでしょうか。
達也「ウソみたいだろ。まるで眠ってるようだよな。でもさ、死んでるんだぜ。それで…」
「双子の弟を突然亡くした兄の悲しみ」を全面に出したいと思ったならば、もっと言葉を尽くして悲しみを表現するかもしれない。

けど、あだち先生は違う。
余計な言葉は使わない。
「まるで眠ってるようだ」。確かにそうだ。
けれど、先生はそれをセリフではなく、絵で説明している。
絵を見れば分かることを、わざわざセリフにしない。
悲しみに関しても、しっかりと絵で表現している。
達也に影を書き込んで、南のバックを黒塗りにして、絶望感を表している。

絵で分かることは絵に任せて、最低限のセリフで物語を描き出しているんです。
だから、テンポよくサクサクと読める。

今回の読切も同じに感じました。

約2年間、京本さんを越そうと頑張ってきた藤野さん。
しかし、2人の差は圧倒的。
藤野さんも上手くなってるんですよ。
顔に十字線書き込んでいたり、2コマ目の机はパーツを取っている。
お話も起承転結が意識されていて、オチもしっかりしている。

4コマとしては藤野さんに軍配が上がるも、こと画力の面では、京本さんの方が圧倒的に上だというのは、素人目でも一目瞭然。

で、これを藤野さんの心境としてグダグダと書いちゃうと「素人のセリフ」。
藤本先生は違った。
たった一言「や~めた……」だけ。
でも、この一言で、彼女が本気で諦めたことが伝わってきた。

無数の背中の描写で「2年間の本気の努力」を読者に植え付けつつ、彼我の差を見せつけられた際の絶望的な表情の2コマ。
本気だったからこそ敵わないと知って、諦観の色が黒目に出ている。

言葉で表現されなくても絵で伝わってくるからこそ、たった一言で済ませられている。

随所にこういう表現が見て取れたので、藤本先生の漫画の上手さに気づかされました。

終わりに

長くなりましたが、以上です。

本当に面白かった。
読切で面白いと感じたのも久々だし、本気で「面白かったぁぁぁ」と声を大にしたかったのも久々。
いや~良い漫画読めて幸せでした。

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