この記事は
「ラブライブ!」シリーズの考察?
考察を標榜しつつ、適当こいてるだけの記事。
改めて考えてみる。
都度書いてますが、僕は「ラブライブ!」をあまり面白いと思っておりません。
特に2期の印象が悪く、嵌れなかったのです。
キャラクターの見た目だけは可愛いんだけれど、それ以外の部分に心が動かされることがありませんでした。
何故だったのか?
当時の僕の感情は本当に正しいものなのか?
改めて、「ラブライブ!サンシャイン!!」を含めて「ラブライブ!」シリーズを振り返り、考えを整理してみます。
「女の子の成長ドラマ」を見出せなかったダメな僕
具体的に面白いと感じられなかった原因はどこなのか。
物凄く独断と偏見的な見方ですが、タイトルと内容に齟齬が見られたからです。
本作は、スクールアイドルの覇者を競う全国大会”ラブライブ!”の大会名をタイトルに冠しています。
メイングループとなるμ’sは母校を廃校の危機から救う為に、大会での優勝を目指すというストーリー。
当然ながら、”ラブライブ!”でのμ’sの活躍がメインに来るかと思いきや、”ラブライブ!”自体に出場する事無く廃坑も免れて目標が達成されるのです。
“「ラブライブ!」というタイトルなのに、大会の模様が全く描かれなかった。”
お子様な意見ですけれど、ようはこれに納得いかなかったんですよ。
これについては、スタッフが見解を語っています。
wikipediaに纏めてありますので、以下抜粋。
当初、花田十輝は日常系のゆるやかな作品を構想していたが、京極尚彦監督の「女の子の成長ドラマをきちんと描きたい」という意向を受けて構成を改めた。
さらに成長ストーリーとして徹底するため、劇中での目標だったアイドル大会出場は断念し、逆境での心境を描く展開となった。
仮に(ラブライブ!に)出場するところを描いたとすると第8話以前の内容を削る必要があり、京極は「あれ以上駆け足で描きたくはなかった」と語っている。
『電撃G’s magazine』2013年8月号、p.42
「女の子の成長ドラマ」というテーマをきっちりと認識して見ていたら、印象は全く異なっていたかもしれません。
というのも、「思春期」の「成長」に欠かせないと思っている要素がしっかりと根付いていたからです。
新曲を作ることで成長する彼女達
「ラブライブ!サンシャイン!!」では、「女の子の成長ドラマ」というテーマが分かりやすく踏襲されていました。
それは、Aqoursが”ラブライブ!”を勝ち抜いていく際に苦しんだポイントに表れています。
彼女達が最も苦しんだのは、常に新曲を用意しないとならなかった点ですね。
”ラブライブ!”の為にAqoursが作ってきた歌をざっと列挙してみましょう。
- 「想いよひとつになれ」
- 「MIRAI TICKET」
- 「MY舞☆TONIGHT」
- 「MIRACLE WAVE」
- 「WATER BLUE NEW WORLD」
- 「青空Jumping Heart」
「青空Jumping Heart」に関しては、本編で決勝の為に書き下したと明言こそありませんが、書き下した可能性を排除できないので含めておきます。
ということで、6曲です。
2大会分とはいえ、いくらなんでもハードじゃないですか?
高校生ですよ。
学業を優先させる学生に、常に新曲を求める”ラブライブ!”運営。
ただでさえ、歌を作ることが「スクールアイドルの壁」と言われているのに、ライブの度に「未発表の新曲」を作るように仕向けている。
何故このようなルールなのでしょう。
劇中での制定された理由は推測しようがありませんので、メタ視点で考えます。
制作スタッフは、何故このような設定を作ったのか?
すると、2つ理由が考えられます。
1つは、商業的な理由。
CD作れますからね!!
これについては、本稿とは無関係なので無視します。
2つ目が大事。
大きな努力が伴うからです。
歌を作る。
一口に言っても超大変です。
作詞。
千歌が締め切りに終われながら、頑張りました。
作曲。
梨子が担当。ピアノが出来る=作曲できるではないので、やはり相応の苦労があったことでしょう。
これに加えて、編曲が必要な事もあったかもしれません。
スクールアイドル。
アイドルなのですから、キラキラの衣装を着て、歌って踊らないとなりません。
(必要十分条件という訳では無いですが)
衣装。
曜がメインで担当だヨーソロー。好きとはいっても、9人分作るのは重労働。
振りつけ。
誰が担当していたのか言及がありませんでしたが、果南中心にしてたんじゃないかな。
既存曲であったり、カバーであれば半分くらい工程を省略できるのに、新曲ともなれば全行程が必要になって来ます。
めちゃくちゃ努力が必要ですよね。
劇中で努力する様を描写する必要は必ずしも無いんです。
視聴者が「大変だったろうな」と窺えれば問題ありません。
「ラブライブ!サンシャイン!!」では、丁寧にも2期2話、2期6話などで努力する様子が克明に描かれていましたが。
「ラブライブ!」でもμ’sが大会に向けて合宿する様子(2期2話)がありました。
同様に未発表の新曲が必要になったからですね。
このように、彼女達に未発表の新曲を作らせることで努力を重ねさせ、「成長」をさせてきました。
「成長の跡」も、Aqoursが分かりやすいですね。
東京での「TOKYO SCHOOL IDOL WORLD」で支持者ゼロから始まり、9人で挑んだ最初の大会では東海地区予選敗退。
2度目での大会で、優勝。
結果から、着実にステップアップしている様子が窺えます。
努力が実を結ぶことを結果で示しているんです。
しかし、「目標」という点に於いては、努力が実っていないんですよ。
「結果が全て」か「過程が大事」か
結果と過程。
どちらがより大事なのでしょうか。
これは考え方や立場に於いて、答えが変わってくる問答ですね。
正答はありません。
強いて言えば、社会では結果の方が大事ということくらいでしょうか。
ではでは、「ラブライブ!」シリーズでは、どちらが大事だと謳っているでしょうか?
答えは分かりませんが、僕としては結果よりも過程だと思っています。
さて、「ラブライブ!サンシャイン!!」に於いて、Aqoursの「目標」は何だったのか。
”ラブライブ!”の優勝ではありません。
浦の星女学院の統廃合を阻止する事です。
この目標を得るための手段として”ラブライブ!”での優勝を掲げていました。
しかし、Aqoursは予選で結果を出していたにも関わらず、統廃合を阻止できませんでした。
これはとっても重要です。
大会に優勝しても、「目標」である統廃合阻止を実現できなかった。
奮闘虚しく、予選の段階で早々に統廃合が決定してしまったからですね。
結果が出なかった。
けれど、物語としては、ハッピーエンドだったのです。
浦の星での日々が輝きだったと気付いたからです。
Aqoursは前向きに物語を締め括っています。
バッドエンドでは無く、ハッピーエンドだった。
統廃合阻止という「結果」を出せなかったのに、「過程」である浦の星での日々(ここにはAqoursでの努力も含まれることでしょう)に価値を見出したから。
この事実から、「ラブライブ!サンシャイン!!」では「結果」よりも、「過程」の方がいかに大切かが見えてきました。
実は、「ラブライブ!」でのμ’sも同様の見方が出来ます。
廃校阻止という「結果」を達成していますが、作中で重視されたのは、μ’sの絆です。
一度はバラバラになった9人が、再び心を1つにし、2期では優勝を経て絆を深めています。
廃校阻止の「結果」よりも絆を育むまでの「過程」の方が重視されているのです。
そもそも廃校阻止自体、「彼女達の努力の過程」が評価されたからです。
(”ラブライブ!”には出場すら出来なかった)
やはり「ラブライブ!」でも「結果」より「過程」が大切だと謳っているように思えます。
まとめ
「女の子」を「思春期」とか「学生」とかに言い換えてもいいかもしれません。
とかく、この頃の年代の子にとっては、結果よりも過程が大事であると謳い、それを「成長の物語」として提示されていたのかもしれません。
そう考えると、僕の考える「思春期の成長」とも一致するんですよね。
日々勉強しないで、付け焼刃で乗り切る。
こういうのは、時には大事かもしれない。
けど、努力は学生のうちからしてた方が、将来を考えればいいんですよね。
オッサンになったから言えるけれど、子供のうちに努力しとかないと、大人になって努力が必要な時に出来ないんですよね。
習慣が無いから、「どうにかなるべ」で過ごしちゃう。
結果、どうにもならないw
努力のような過程は、「思春期の成長」で大事だなと今やっと痛感しています。
「ラブライブ!」では、努力(過程)の大切さを説いていたのかもしれないなと勝手に解釈して、「そこに気づけなかった当時の自分はダメだったな」と感じた次第です。
まぁ、気づいたからと云っても、今の自分がダメな事に変わりは無いんですけれどね。