この記事は
映画「ラブライブ!サンシャイン!!」の感想にあたります。
ネタバレを含みます。
ちょっと気になってググった
そういえば「ラブライブ!サンシャイン!!」の興行収入どうなったのかなと気になって、ググってみました。
そしたらとあるブログがトップの方に来ていて、開いてみたのが拙かった。
基本僕は人の感想にはあまり興味が無いんですよね。
もう少し正確に言えば、共感出来る感想は求めるんだけれど、そうじゃない感想は興味無いのです。
面白いと感じた作品の批判を読んでも、「そういう意見もあるよね」と流せる。
でもダメだ~、今回はちょっと流せなかった~。
映画を見て、つまらないとかいう意見は別にどうだっていいんですけれど、興収と結びつけて、しかもあろうことか「ラブライブ!」の最終興収と比較して、出来が良くないという結論に持って行く主張があまりにも乱暴すぎて。
もうね。
ちょっと反論します。
尚、僕は卑怯者なので、その方のブログを明記しません(きりっ)
見えないところでコソコソと反論します。
Aqoursの活動が報われること
ストーリー自体に筋があまり通ってないと言われているんですが、そうやろか?
鞠莉の婚約の件もSaint Snowの物語が語られたのも、根底には全く同じテーマが流れてるんですけれどね。
僕の勝手な憶測ではありますが、この映画で監督が最も表現されたかったのは、「Aqoursの活動が報われること」だと思います。
始めた切欠こそ「輝きたい」という千歌個人の感情でしたけれど、浦の星統廃合の件を知って以降、徐々に「母校を救う為」にシフトしていきました。
しかし、結果的には新入生100人クリアせよという条件を達成できずに、98人どまりで統廃合が決定してしまいました。
彼女達の奮闘虚しく、涙を飲んだ形で終わってしまったのですよね。
ただそれだけだとバッドエンドでしかないので、「輝きたい」という気持ちの答えを千歌が得たのがTVシリーズの落とし所でした。
当初の動機に1つの答えを見出せたことで、後味悪くなく終われたのです。
さて、活動動機を満たしたから、彼女達の活動が報われたのかというと、やはり答えはNOであると考えます。
あれだけ悔しい想いをしたのです。
結果を出せなかったのですよ。
彼女達の活動は無駄だったと結果論で切り捨てる人だっているかもしれない。
それはあんまりですよね。
そうじゃないんだよと。意味はあったんだよと言いたいじゃないですか。
それでようやく報われるんですよ。
映画はここを描いていたと解釈しています。
鞠莉母に言わせたある台詞が大事だったよね
そこで問われたのが「スクールアイドルの価値観」です。
スクールアイドル活動は無駄じゃないんだと示せれば、Aqoursの活動も意味があったということになります。
鞠莉の母はだから登場することになったんじゃないかな。
鞠莉が親の反対を無視して、戻ってきたということはTVシリーズから推測できます。
また、果南とダイヤとの付き合いにも快く思っていなかった事も描かれていました。
これらの要素を組み合わせて、改めて鞠莉と鞠莉母の対立の構図を明確にすれば物語が始められます。
こうして考えられたのが、鞠莉の婚約なのではないかな。
彼女の性格からして、当然反対するでしょう。
果南とダイヤによって鍛えられた行動力があれば、反対の意志を実力行使で示す事も自然な成り行きとなります。
舞台がイタリアになったことは、必ずしもイタリアである必然性はありませんけれど、小原家由来の国として選ばれたというそれなりの理由がしっかりとあります。
鞠莉はイタリアに逃げ、それを良しとしない鞠莉母が追いかけるのも経緯を辿れば納得出来ることです。
対立の構造を整えれば、あとは鞠莉母に決定的な台詞を言わせればいい。
「スクールアイドル活動なんて無駄だった」と。
鞠莉の浦の星に戻ってからの活動の大半がAqoursの活動と被るので、この台詞を鞠莉母が口にしても違和感はありません。
鞠莉母の考えを翻意させることが出来れば、Aqoursの活動に意味があったということになりますよね。
やけにあっさりと考えを変えてくれたように見えるかもですが、そこは映画という尺の関係上仕方ないと割り切って頂いて…
兎も角、鞠莉母に翻意させることが出来たので、テーマも見事に描き出されていました。
Saint Snowが独自に辿り着いた結論を示した意味
1人の意見よりも2人。
1つの事象よりも2つの事象。
数が多い程納得感は増しますよね。
Saint Snowの登場は「2つ目の事象」として納得できることなのです。
地方予選で涙を飲んだ姉妹。
理亞はその責任を1人で背負いこんでしまいました。
TVシリーズでは結末を描き切れていなかった事を映画で描くことで、その根底に「スクールアイドル活動の価値観」を示していました。
聖良が分かりやすく言葉にしてくれてるじゃ無いですか。
「無駄じゃ無かった」んだと。
これまでの2人のスクールアイドル活動は決して無くならない。
ちゃんと残ってるんだよと理亞に伝えてくれています。
北海道の地で活動していた姉妹が「スクール活動は無駄じゃ無かった」という答えを得た。
これはAqoursとは無関係の中で、2人だけで導き出した結論です。
決して、千歌とかルビィが聖良に「スクール活動には意味があったんだよ」という類の持論を伝えた訳ではありません。
千歌と、Aqoursと結論が同じになったのは、偶々なのです。
大事です、これ。
沼津と函館、遠い地で活動を続けていた2組が偶然にも共通の結論に達した。
「スクールアイドルとしての今までは決して無くならないんだ」=「無駄じゃ無かったんだ」
という千歌の出した結論は、決して独り善がりでは無いんだと印象付けてくれます。
客観的な視点が入ると「そういうものなのか」という納得感が増します。
Saint Snowの物語にはその役割が付与されていたんではないでしょうか。
静真高校を動かしたAqours
もう1つ、客観的な視点がありました。
静真高校の生徒と父兄ですね。
その代表として、月ちゃんが選ばれてました。
わざわざイタリアにまで同行して、鞠莉母の考えを聞いたのです。
それに対するAqoursの決意とパフォーマンスを見た。
カメラで撮りつつ、ついつい自身も乗っちゃうほど興奮してる様子が見て取れます。
(カメラを持ってない方の手を挙げて、ついつい応援しちゃう月ちゃんが可愛いw)
沼津に戻ってきて、Saint Snowを伴ってのラブライブ決勝延長戦を中継する事になります。
Saint Snowのパフォーマンスを見て、改めてAqoursのライブを間近で堪能し、「スクールアイドル本当に凄いよ」と心からの感動を覚えています。
彼女は曜ちゃんの従姉妹だし、始めからAqoursに協力的な立ち位置に居たので、若干客観性には乏しい面があります。
贔屓目で見ちゃってる部分は少なからずあったかもしれません。
でも、静真高校のその他の生徒…特に父兄は異なりますよね。
最初からAqoursに反対の意見を持っていました。
スクールアイドル部の活動を認めてなかったんです。
それが、楽しんで「部活動」をしてるAqoursに心動かされた。
月ちゃんとは違って、完全なる客観的な視点ですよね。
Aqoursと無関係だった人たちが彼女達の活動を認めてくれた。
つまりは、Aqoursの活動が報われた瞬間ですよね。
やはり同じテーマで扱われていたと思うのです。
ラストシーンのJC2人組登場の意図
最後にダメ押しがあったようです。
gs.dengeki.com
1月13日(日)に行われたCYaRon!の舞台挨拶で酒井和男監督が登壇されたとのこと。
そこでラストシーンの意図が明かされたようです。
監督の言葉を抜き出します。
ラストシーンで女の子が2人登場しましたよね?
TVアニメ2期の第7話で入学希望者が98人でしたが、あの2人を加えると100人になります。
だからあの瞬間、千歌たちの夢は結実した――そんな願いをあのシーンに込めました。
僕はこの意図には気づけませんでしたけれど、そういうことらしいです。
まさに「Aqoursが報われた瞬間」の1つですよね。
終わりに
全てのエピソードには「Aqoursが報われること」という共通のテーマが込められていて、様々な角度からそれを描いていた。
だから筋は一本しっかりと通っているんですよ。
少なくとも僕はそう解釈しています。
数字で判断されるのは仕方ないのかもしれません。
けれど、それは僕らがすることではなくて、製作側の人達がすれば良いことです。
僕ら受け手は、数字とは切り離して内容を見ることが大事なんじゃないでしょうか。
その結果として「出来が良く無かった」とするのは、個々人の意見で尊重される事です。
ただ、数字で内容を判断されちゃうと、「それはないんじゃないかな」と思っちゃうんですよね。
以上です。
勝手に1人で熱くなってしまってすみませんでした。
取り敢えず5回目いつ行こう。
そうそう。
イオンシネマズのULTIRA上映がオススメです!!
公開館数が泣けるほど少ない(たったの2館)ので、関東近隣在住者に限られちゃうかもですが。
行ける方は是非。
僕は幕張まで行ってきました。
低音が体の底に響いてくるので、特にSaint Snowの歌の迫力が段違いです。
同一料金ですし、体験する価値アリですよ。