この記事は
「まくむすび」の感想です。
2巻までのネタバレを含みます。
「ヤングジャンプ」期待の新星
高校演劇を題材とした女の子たちの熱き青春群像劇。
「週刊ヤングジャンプ」で連載中の漫画が2か月連続でコミックス発売となりました。
1巻の表紙に惹かれた僕はなんとなく購入してみました。
「ヤングジャンプ」なので、まだまだ打ち切りの怖さこそ拭い去れないのですけれど、なかなかどうして今後に期待を抱かせてくれる素敵な漫画だなと感じました。
今回は、主人公むすび(本名:土暮咲良)が初めて演劇用に作ったお話に関しての感想を書きます。
それでは、最後まで宜しくお願いいたします。
漫画書くなんて子供っぽい。
一度は漫画家を夢見たことのある元小学生はそれなりに多いんじゃないでしょうか。
お絵描きの好きな子供ってわりかし多いですからね。
具体的に「漫画家」という職業を思い描けなくとも、好きな絵を描いて働けるということで、漫画家になりたいという夢を持つことは子供の中ではメジャーな思考であると思うのです。
かくいう僕がそうで、お話を考えて、自由帳を買ってきて、そこに絵を描いてましたね。
プロットだけはやたらと壮大で、しかし、話づくりのなんたるかを知らず、絵だって稚拙以外の何物でもないので、簡単に壁にぶつかってしまうんです。
その度に投げ出しては、新しい話を考えてしまう。
延々サブタイトルばかり書き連ねてましたね(笑
ともかく、僕のように「絵が描けない」ことを自覚する度に 、現実を思い知って早々に諦めていくのが大半。
残りのうちごくごく少数が、しっかりと努力を重ねて、更に狭き門を潜ってプロになっていく。
このどちらでもなくて、「他人の言葉」で諦めちゃう人も相応にいるんじゃないかと思うんです。
なんせ「子供の夢」だから。
漫画家になりたいんだけれど、友達に馬鹿にされたり、からかわれたりすることで、無理矢理諦めた形になっちゃう。
ようやく本作の話になりますが、むすびがそんな女の子。
なんだか共感出来ちゃったんです。
あるある~って感じ。
何気ない一言。子供特有の酷薄な言葉。
日常のふとした瞬間に、夢を諦めざるを得なくなっちゃうことってあるよなと。
しかもさ、なにが残酷かって、むすびを嫌ってたクラスメイトの言葉でもなければ、むすびを傷つけるつもりが微塵もなかった言葉だった点。
むすびに漫画家の夢を諦めさせたのは、彼女の小学校(若しくはもっと前)からの親友である女の子。
今も同じ高校に入って、クラスは違えど、仲良くしてる。
そんな親友が、小学生時代にむすびの漫画を読んで、登場人物の気持ちが「全然分かんないや」と感想を漏らしたのです。
親友にしてみれば、ただ漫画の感想を言っただけ。
むすびがそれで傷ついて、漫画を描くのを辞める理由になるなんて想像すら出来なかったのでしょう。
「想像力の欠如だ」と非難するには、親友は幼過ぎました。
流石にそれを求めるのは酷でしょうね。
むすびは、親友の感想だからこそなのかもですが、彼女の言葉で描くのを辞めてしまいました。
そして現在。
「描かないよ漫画なんて。もう子供じゃないんだから」と言うむすびに親友は「漫画を描く咲良(むすび)が好きだった」と返すのですよ。
なにこの辛い展開。
漫画を描くことは好きなままなのだけれど、親友の言葉で自信を失ってしまったむすび。
彼女に才能は無いのか?
親友にすら理解されないお話しか作れないのか?
燻ぶった情熱は、部活動紹介での出会いを切っ掛けに、再び燃え上がるのです。
2人の同級生の葛藤
むすびの同窓には、2人の女子部員がいます。
いもに(栗原芽衣)。
リューグー(松嶋蓮)。
むすびを含めて3人とも演劇初心者。
入部をするのに確固たる動機が無かったので、わりと簡単に辞めようとしちゃうのです。
現実の部活でもアルアルだし、部活ものの定番シチュエーションの1つでもあります。
それだけに多くの作品では力を入れてドラマティックな展開を用意していたりするのですけれど、いもにもリューグーも割とあっさり塩加減。
サクッと解決しちゃうのです。
正直、ちょっと勿体ないなと思いました。
折角の見せ場だし、作品のオリジナリティを魅せる格好の時。
それをどうしてこうも簡単に解決まで持って行っちゃうんだろうかと。
キャラクターをギリギリまで悩ませて、苦しませて、青春させてくれても良いじゃないかと。
ただ、この考えは2巻を最後まで読み終わった時に反転しました。
あ、なるほどなと。
あくまでも主人公であるむすびの才能を魅せるための舞台装置に過ぎなかったのだなと。
簡単に2人のドラマを纏めてみます。
先ずは、いもに。
部活勧誘の時の劇に魅せられた勢いのままに入部した彼女。
しかし、実際に入ってみて夢と現実の違いを思い知ったのでしょうか。
自分には出来ないと早々に諦めて、部を辞めるとむすび達に打ち明けます。
そんな彼女は、宙ぶらりんの気持ちのままむすびの書いた脚本の読み合わせに参加。
そこで「役になりきって、脚本に書かれてない登場人物の想い」を語るのでした。
役者にとっては必要なスキルなのでしょう。
脚本には書かれてない行間を読んで、それを表現するというのは。
脚本家、演出家、そして役者。
3者の考えのすり合わせで演技が成り立っているのだとすれば、いもには役者の立場から演技プランを話すことが出来たのです。
「何もできない」「合ってない」という気持ちを忘れさせてくれるには、十分すぎるほどの出来事であったと言えそうです。
続いて、リューグー。
当然ですが、女子高生(1年生になったばかり)の彼女には、サラリーマンの気持ちなんて分かりっこないですよね。
煙草をくゆらせて、人生を語るサラリーマンの役どころを理解するには、圧倒的なまでに人生経験も想像力も足りていません。
「サラリーマンになれ」と言われたって、「出来るか!!」ってなります。
それでも舞台にサラリーマン役で上がる以上は、「自然なサラリーマンになれ」と指導を受けてしまいます。
自分なりに工夫してみても、不自然の一言で一蹴されてしまう。
リューグーもまたいもにと同様に強い動機があったわけではなく入部したので、立ち向かう強さを持ちません。
挫けかけてしまうのですけれど、「女子高生がサラリーマンになりきるのは無理」だと部長が諭します。
そうしなくていいんだよと優しく軌道修正してあげることで、リューグーは役を降りずに・部を辞めずに続けることとなりました。
これを踏まえて、では、むすびが初めて書いた脚本「けむり」を見てみます。
「けむり」を書ける女子高生の才能
舞台「けむり」は、むすびが初めて書き下ろした脚本です。
正確には、経験値ゼロベースから脚本は書けなかったので、幼少時にずっと書き綴ってきた漫画の形式で作られました。(それを部長が脚本に起こしてくれた。)
一度の改稿を経た完成稿の内容を簡単にですが、纏めてみます。
ベンチに座って煙草を吸うサラリーマンに女子高生が「隣良いですか」と話しかけるところから物語は始まります。
人身事故の影響で電車が遅延し、3年間の無遅刻無欠席の記録が水の泡だと言う女子高生。
実は、最近学校が楽しくなくなってきたのだと続けます。
周りに影響されずに真面目に頑張ってきて、それが今日「不真面目になる」切っ掛けを得たことで、人が死んでいるのに喜んでしまったと自省します。
そんな女子高生にサラリーマンは、良いんじゃないのと返していくのです。
真面目に毎日過ごしてきたのならば、たまには不真面目になっても良い。
立ち止まる、休む、寄り道をする。
業務中に喫煙室で煙を吸うような時間は人生には必要だ。
実は、煙草を吸ったのは初めてなんだと言いつつ、彼なりの人生論を語るサラリーマン。
それに対して、大人ばかりずっるいと憤る女子高生。
子供だって息が詰まる程大変な日々を過ごしてきてるのに、大人には飲酒や喫煙など気を抜く手段があってずっるいと。
一通り吐き出した女子高生は、スッキリとした気持ちになって、サラリーマンにお礼を言って立ち去ります。
そんな彼女を見送るサラリーマン。
「人生に行き詰って電車に飛び込んだ」彼は、そのまま最期の1本を吸うと煙のように消えていくのでした。
女子高生の気持ちは、学生である彼女たちにとっては把握しやすい感情に違いありません。
現役の学生も勿論の事、大人でも同じく学生の頃に「学生は気軽でいいよな」と言われ反発を覚えた経験があれば、特に寄り添える心情になっているんじゃないでしょうか。
最初むすびは、ここで行き詰っていましたが、先に「女子高生」の気持ちにリンクできたいもにのお陰で先を書けるようになりました。
いもにのドラマがむすびの脚本に活きたわけです。
「実に自然な女子高生」の描写をむすびは書き上げました。
僕が凄いと感じたのは、サラリーマンの方です。
リューグーのように「サラリーマンの事なんか分かんねぇ」というのが、大半の学生にとっての普通の感性なのでしょう。
お父さんにくどくどと人生論を説かれたことがあるならいざ知らず、毎日学校に通って、部活やバイトに励んで、友達と遊んだり、好きな異性とデートをしたりと大抵の学生と同様の生活サイクルを送っていれば、サラリーマンの気持ちなんて「書けなくて当たり前」なんです。
それなのにむすびは、自殺者の心境をリアルに感じるほど自然と描写してるんですよ。
これは才能と呼んで差し支えない能力です。
親友の話に戻りましょう。
むすびが漫画を描くことを辞める直接の原因となった親友の小学生時代の一言。
「登場人物の心情が理解できない」。
当時むすびは、そこまでの描写を読めば、理解できるでしょうと言ってますが、これは「小学生には分からないことが当たり前」の心情だったのです。
何故ならば、今回の「けむり」におけるサラリーマンのように、小学生には分からなくて当然な「高校生の心情」を扱ったお話だったのだから。
それをむすびは自然と描き続けていたからこそ、むすびには理解できるけれど、親友以下「普通の子供」には理解できない。
ただそれだけで、それをむすびは、自分に才能が無いと誤解してしまった。
事実、その漫画を基にした演劇部の新歓劇は、高校生になった親友には「面白かった」と180度異なる感想に変わりました。
まぁ、演劇部の「主演女優」たるジャス子先輩が言うには「漫画としては読めたもんじゃない」レベルだそうなので、「漫画家の才能」は無かったのかもしれないですけれど。
けれど、「戯曲」。
「血の通った登場人物を作り上げて、想像の物語の中に息づかせること」を作り上げる才能には恵まれていたのでしょう。
既に小学生時代から萌芽していた才能をジャス子先輩に見いだされ、彼女はその力を存分に発揮して「けむり」を作り上げた。
1話で提示された才能の片りんを、2巻最後に収録された「けむり」で魅せるという構成。
2か月連続刊行も頷けます。
ここまでがこの作品のプロローグなのでしょう。
女優としての才覚を持つジャス子先輩。
そして、彼女を舞台で輝かせることの出来るお話を作れる才能を持ったむすび。
2人が引っ張る弱小演劇部が、廃部の危機を乗り越えて、どこまで先に行けるのか。
今後に期待を抱かせてくれるには十分すぎるほどのプロローグ。
素敵な導入部だったと思いました。
終わりに
3巻からはいったん腰を落ち着けて、キャラクターを掘り下げる段階に入ってくれると、より面白くなってくれそう。
ちょこっとキャラが弱いですから。
キャラに深みが出ると、一層物語も面白く読めます。
3巻以降は、キャラに着目して読んでいきたいです。