この記事は
「ミステリと言う勿れ」の感想です。
ネタバレあります。
この記事1ヶ月放置してたんだ
「このマンガがすごい!」オンナ編第2位を受賞したということで、目立つ場所に展開されている本書。
気になったので購入してみました。
先月な!!
滅茶苦茶面白いんだけれど、どういった切り口で感想を書こうかと迷いながら書き始めたので、見事に迷宮入りしたさ。
んで、先日最新4巻を読み終わって、やっと「これだ!!」と思い浮かんだので、やっと仕上げました。
主人公・整(ととのう)の何者にも泳がされない独特の思考から生み出される言葉の数々が心に突き刺さるんだ。
彼のトークに引き込まれてしまう理由がやっと分かったのです。
いつも気づいたら事件が終わってる
この漫画、タイトル通り確かにミステリでは無かったです。
ただ、ミステリのように謎めいたストーリー展開の妙に、その卓越した話術に圧倒させられました。
非常に面白い漫画。
意表を突く展開の中に、しっかりとした論理性があって、見事なまでの着地点に収束する。
筋立てが一筋縄でいかないので毎回「どうなるんだろう」という好奇心が掻き立てられて、その上で納得のいくラストを迎える為、非常に心地の良い読書体験を提供して下さるんですよね。
1巻のあとがきに作者の田村先生の作品評がありました。
抜粋させて頂きます。
- 主人公・整がただただ喋りまくる話です
- 舞台劇のようなイメージ
- 閉鎖空間での会話だけのお話
実際整は推理とかしないんですよ。
殺人事件を含めた刑事事件が起こって、整が巻き込まれていくんですけれど、彼は殊更推理をしない。
探偵じゃないから。
ただ、思ったことを喋りまくるだけ。
広い知識と雑学、鋭い洞察力、そして他者を頷かせるだけの見識を以て、相手を話術に引き込む。
するといつの間にか事件が解決しちゃってるんです。
まるで手品を見せられているかの如く、鮮やかに解決に導いている。
「あれっ?」ってなります。
整の話に関心したり、同調したり、感嘆したりしてる間に事件が終わってるんです。
という訳で、整の台詞で僕のお気に入りをいくつか取り上げてみます。
「真実は人の数だけあるんですよ」
1話から「真実は1つじゃない」と某見た目は小学生を挑発しちゃう整さん、ぱねぇw
この台詞は、僕の心に刺さったという訳じゃないんですが、犯人の心にぶっ刺さった台詞になるんで、上げてみました。
1話は、数人の警官の身の上話を整が聞いて、「娘が父親を嫌うのは、遺伝子的に当然だ」とか「ゴミ捨ては分配こそが最も大変で、ゴミ捨て場に持って行くことを誇られても怒るのが道理」とか説いていくのです。
一見無関係な話が、最後の最後で収束するところが見事な作りになっています。
その中の1つが「真実は人の数だけあるんですよ」。
とある刑事が過去に起こした冤罪事件。
しかし、彼は自分が逮捕した人間が犯人だと今でも信じて疑ってません。
奴の嘘を暴けなかった。しかし、真実は1つだけなのだからいつか必ず暴いてやる。
いきまく刑事に、整が「そんなドラマみたいな台詞本当に言う人がいるんだ」とからかって…。
僕が見ている世界の出来事は、僕の主観で処理されて、僕だけの真実になる。
そういうお話を整はしていて、故に、人の数だけ真実はあると言います。
警察は、そこに惑わされず、ただ1つの事実に目を向けて捜査しなさいと纏めているのですが、この時点ではあまりしっくりきませんでした、正直な話。
せやろか?という感じで、飲み込めずにいたのですが…。
整が真犯人に口撃してる場面であぁ、そういうことかってなりました。
痛い所つかれた人が激昂してよく言う台詞ランキングの常連「お前に何が分かる」。
これに対する整の反撃が「貴方の真実(主観)は、貴方だけのものだから分かる訳がない」。
反論としては100点だなと。
立場変わって子供にとっての真実(子供の主観)で同じことを見れば、まぁ、全然違う解釈になるよね。
「お子さんを奥さんの付属物だと考えてないですか」
整は、日本の古臭い考え方が好きじゃないんでしょうね。
僕もそうなので、凄く同意できるんです。
これもそういった考えから来てる発言。
メジャーリーガーがお子さんの出産に立ち会うために試合を休むことを引き合いに出して、日本人は彼らを理解出来ないと結んでいます。
一生に一度の子供の記念日に立ち会いたいという父親の想いを、自分が考えた事も無いから理解出来ないんだと。
近年でこそ、女性の社会進出だ~って言われてますけれど、そもそもが、こんなこと言ってる時点で欧米から見れば遅れてるんでしょうね。
日本はなんだかんだ「女は家庭に入れ」って考えが蔓延っていて、仕事で忙しい父親が子育てに参加しないのは当然と思っている。
寧ろ、父親が参加の意志を示すと排斥するまである。
こういった考えは日頃の言動にまで滲み出ていて、「子育てに参加する」「子育てを手伝う」って言ってしまう。
参加とか手伝うは、子供は奥さんの付属物と考えてるから…というのは、本当に確かにってなりました。
子育てとは違いますけれど、家事に於いても同じなのかもですね。
家事は母の仕事だから、簡単に「手伝うよ」って言葉を使ってしまっている気がします。
日本の古臭い考えが嫌いと言いつつ、僕自身そんな考えに支配されているんだなと。
整の意見に同意しつつ、グサリと胸を刺す言葉でした。
「弱くて当たり前だと誰もが思えたらいい」
このまんま延々と続けても良かったのですが、変にネタバレになりそうだと感じたので、最後に1つだけ上げて終わりにします。
最新4巻の台詞です。
僕はこの台詞を読んだ時に、この記事の主旨を決めました。
なんて素晴らしい考え方なんだと深く感動したんです。
僕の戯言に付き合って下さっている方にとっては耳たこかもですが、僕は数年前にうつ病になりました。
今でも定期的に通院していて、障害者手帳も取得し、特例子会社(障害者の雇用の促進、安定を図るために設立された会社)で働いています。
健常者から見れば、立派な社会的弱者です。
こういった立場になってみて、改めて知ったのは、世の中厳しいんだなということ。
何を当たり前のことをと思われるかもしれません。
でも、厳しいですよ、実際。
特に僕らにとっては。
うつ病は、発作的に症状が出て、時には死んでしまいたくなるほどの状態になります。
生きてることがしんどいので、働くのはとっても難しいんです。
症状を良くするにも、現状治療法が確立されている訳でもないので、休むことが推奨されています。
すると、収入が心もとなくなりますし、長引いて仕事を辞めざるを得なくなると、人生詰んだ感覚に陥ります。
障害年金等もうつ病だと先ず貰えませんし、就職先もいっきに狭まります。
それなのに、毎月税金や年金はきっちりと持って行かれる。(年金は納付免除も可能ですが、その分将来的に貰える額が減ります)
病気で「鬱だ、死のう」って時に、現実でもしっかりと厳しさを見せて来るんですよ。
いや~、地獄だったな~。
すみません、どうでもいい自分語りしてしまって。
やっぱりアメリカを引き合いに出す整くん。
僕はアメリカが日本より優れているなんて盲信してる訳じゃないですが、彼の話を聞く限りでは、弱者への考え方というのは、向こうの方が進んでいるのかもですね。
アメリカでは人は弱くて壊れやすくて、病む事も倒れることもあると認めている。
翻って日本は、弱いものは負けで、壊れないのが正しい。壊れたら退場で、悩む事すら恥ずかしいという根性論。
整の解釈は、確かになと頷けるものです。
日本、根性論好きですよね。
時間は有限なのに、無限に働かせて、マンパワーのみで乗り切るのが大好き。
それに付いていけない、途中で壊れたら、はいさよなら。
税金・年金徴収でじわじわと真綿で首を絞めて、働きたくても門前払い。
人間はね、誰だって壊れるんだよ。
世の中が理解してくれると嬉しいと心から思えました。
終わりに
なんだか漫画の感想とは呼べない代物になってしまいましたが…。
面白いので是非。