はじめに
日本人って何で時代劇が好きなんでしょう。
時代劇と言いましても、フィクションではなく、限りなくノンフィクションに近いシナリオの作品群の事なんですけれど。
時代劇って大まかに2種類に分けられるじゃないですか。
1. フィクション(創作)を基本とした時代劇
2. ノンフィクション(歴史的事実)を基にした時代劇
に。
具体名を挙げて分けてみますと、前者は「暴れん坊将軍」とか「水戸黄門」、「大岡越前」等々。
実在の人物を主人公や脇に配しているものの、シナリオ自体は創作を基本としている作品群。
後者は、NHKの大河ドラマでしょうか。
現在に於いて史実と思われている出来事を映像化している作品群。
そう。
大河ドラマというのは、大体の話の流れが予め分かっているものです。
例え知らなくても、調べればいくらでも「答え」に辿り着けるもので、題材も過去何度となく取り上げられている事も珍しくありません。
それでも日本人はこぞってテレビの前に集まるんですよね。
勿論、これはかなり大雑把な…わざわざ答えを出すまでも無い疑問とも言えます。
作品毎に作り手が変わるのですから、ある人は役者の演技を。またある人は演出を。
大きな事件は同じでも、作家によってそこに至るまでの細部に違いが出てくるのですから、それを楽しんでいる人だっているでしょう。
単純に時代劇そのものを好いている方だっている。
シナリオの先…結末が分かっていても、様々な理由で楽しんでいる。
同じ問題に括るのは間違っているのかもですが、「原作付きのアニメやドラマ」を楽しんでいる理由も似たようなモノなのかもしれませんね。
原作でシナリオの先を知っているのに、わざわざメディアミックス作品まで視聴する理由は、いちいち書くまでもありません。
それでも結末が分かっている作品を見るのは何故なのだろうかと。
こんな事を「信長協奏曲」を視聴しながら考えていました。
原作も未読、アニメも未視聴でしたけれど、ドラマからこの作品に入りました。
本能寺の変で信長が死ぬ。
それを分かっていながら、僕は何故見ているのかとw
興味があったから。楽しそうだったから。
実に単純な理由からなのですが、それはさておきこの作品が面白いんです。
物語のクライマックスと信じてやまない「本能寺の変で信長が死ぬ。」というのが本当なのかどうかという根底を揺るがすような仕掛けが施されているんですよね。
「歴史の不明」を利用した視聴者(読者)を悩ませる巧みな描写の力で、非常に続きが気になる出来なんです。
誰が犯人なのかという「本能寺の変の不明」
そもそも前提からフィクション要素が全面に出ているからというのもあるのでしょう。
実は織田信長は現代の高校生サブローでしたという設定からして、最後も歴史通りとはならないんだろうという考えにも至りやすい。
「本物の信長(明智)はサブロー=信長を殺した事にして、サブローを未来へ返す」とは誰しもが予想してるんじゃないかな。
この予想を強力に後押ししているのが、本物の信長の動向ですね。
あろうことか史実で「信長を殺した男」とされている明智光秀としてサブローの前に現れるんですからね。
本物の明智光秀どうしたとか、警官のオッサンはどうやって斉藤道三になったんだ(本物はどうした)等々のツッコミは野暮というものw
兎も角、本物が”犯人”である明智としてサブローの側近となった時点で、上記の予想の確度は上がったと言えそうです。
でもこれは、「明智光秀犯人説」を採った場合。
別のケースの場合は少々話が変わってきます。
明智犯人説には多くの解けてない疑問があり、本当に信長を殺した犯人かどうかは分かってません。
あくまでも研究結果や物証から「最有力」であるというだけであり、史実なのかどうかが疑わしい部分。
これがこの事件に於ける「歴史の不明」。
で、明智以外の犯人として有力視されているのが天下人である豊臣秀吉ですね。
明智を討った中国大返しが「事前に信長の死を分かってないと出来ない事」と言われていたり「信長が死んで最も利益を得た人物だから」とか。
物証が無い為学説として定着しておらず、事実であった可能性は低い。
とはいえ、この「不明」部分を利用しているのが本作の特徴ではないでしょうか。
秀吉を徹底的に「信長の敵」として設定して、「信長の下で力をつけてから殺す」(意訳)とまで作中で言わせています。
秀吉が犯人なのかもしれない。
だとすると、サブローは未来に帰れずに死んじゃうのかも。
死んじゃう可能性だって十分あるんですよね。
長井新一(警官のおっさん)は30年帰れずに、戦国時代に於いて斉藤道三として戦死するという前例もありますし。
なによりタイムスリップした時は高校生でしたが、どんどん歳を重ねてますから。
本能寺の変の頃は49歳くらいかな。
49歳で現代に戻ってくるとか、悲惨過ぎですよ。
この辺はフィクションなので、どうにでも出来る部分ではありますけれども。
更にいえば、最後まで明智(本物の信長)がサブローの味方である保証もありません。
どこかのタイミングで敵となり、本気でサブロー暗殺に動く可能性だってある。
本物の信長が犯人なのか。
秀吉が犯人なのか。
はたまた、第三者なのか。
サブローは現代へと戻る事が出来るのか。
本能寺で死んでしまうのか。
現在に於いて史実と思われている出来事を早い段階で「そうじゃないかも」と疑わせる仕掛けがあって、最後がどうなるのか読めなくしている。
完全フィクションの他作品同様「最後が気になる」展開になっていて、故にとっても面白く、先が気になるんです。
終わりに
こうして一つの作品を取り上げてみると、他の時代劇(大河ドラマ)も「歴史の不明」を取り入れて、視聴者はそれを楽しみにしているというのもあるのかもしれません。
通説とは異なる説を、説得力を以て描かれると、それだけでワクワクしますよね。
歴史が好きな人でしたらこの感情を少しは理解いただけると思うのですが。
さてさて。
「信長協奏曲」のラストがどうなるのか。
ドラマも原作も面白くて、とっても気になります。
取り敢えず原作漫画は最新刊まで早く読みたいのです。まだ4,5巻くらいまでしか読んでませんので。
その上でドラマを楽しみたいな。
ところでこのドラマ、「ぬ〜べ〜」とか比で無い位原作改変しまくってるんですね(笑
最近は史実すら捻じ曲げ始めて来たので、ちょっとひやひやしながら視聴してますw
まあ、この「史実」というのも「本当にそうだったかどうか」と言われると首をかしげるしかない部分も多いので、これもまた時代劇ならではの楽しみ方なんでしょうね。