この記事は
映画「信長協奏曲」の感想記事です。
ネタバレありますのでご注意下さいませ。
はじめに
いや、面白かった!!
出色の出来!!!
堂々たる完結劇で、文句なしの映画でありました。
羽柴秀吉をしっかりと描き切っていた事が、この面白さの最大の要因であったんじゃないかな。
「かもしれない」と思わせるほんの些細なリアリティ
歴史ファンタジーは面白い!!
けど、とても難しい題材。
フィクションの度合いをどれだけ入れ込むか。
否。フィクションにどれだけ真実味を持たせられるか。
これが肝要なんじゃないかな。
ところで僕は今作をTVドラマ⇒原作の順で楽しみました。
アニメは当時見ようとしてはいたのですが、1話を見逃した時点で諦めちゃったんです。
んで、原作漫画の既刊を一通り読むと、歴史への興味がぐんぐん湧き出てくるんですよ。
織田信長がどのような人物で、どのような功績を残してきたのか、高校までの教科書レベルの知識(現役から退いて長いので、今やそれ以下になってるかな。時間は残酷w)しか持ち合わせてない僕。
やはり知りたくて、wikipediaに頼る訳です。
すると、調べれば調べるほど歴史に嵌り、作品に嵌る。
全く知らなかったのが「サブロー」との関係。
信長の通称の1つが三郎。
どうも元服名が「織田三郎信長」だそうで。
これには驚きました。
歴史を齧った事がある程度の人でも知ってる位の「常識」なのでしょうけれど。
面白い良く出来た作品は、しっかりと歴史を知ってる作者が描いてるんですよね。
まあ、当然と言えば当然なのでしょうけれど。
サブローが信長と入れ替わったから、三郎と呼ばれ、それが後年に元服名という形で伝わったのかもしれない。
こういう「かもしれない」というちょっとした・ほんの些細なリアリティが生まれている。
歴史を扱う上で、完全なフィクションにしちゃうのも作劇上の1つの方法だと思います。
けれど、今作はあくまでも史実(勿論細部で史実を無視してる部分もありますが、大筋は史実をなぞっている)を基本としています。
だから、作中に入れ込んだフィクション要素に(ほんの少しでも)リアリティを持たせて、馴染ませるというのは大事。
(タイムスリップが可能な世界観の時点で「有り得ない」のは承知の上での「有り得そう」)
話を戻しますと、「信長協奏曲」最大のフィクションは、やはり未来人サブローの存在。
そのサブローの最後をどうするか?
これが作品最大の焦点というか、僕にとっては魅力でありました。
史実通り信長に成り替わったサブローが本能寺で果てるのか。
はたまた生き延びて、ひっそりと戦国の世を生き抜くのか。(義経=チンギス・ハーン説よろしくw)
未来へと帰還するのか。
色々と想像出来ましたが、非常に納得いくものでありました。
その納得を生み出したのが、秀吉。
そう。
秀吉を徹底的に復讐鬼として描き切った事こそが、今作最大の勝因。
秀吉が「サブローを殺そうと考える動機付け」
実際の所、本能寺の変は未だ多くのミステリに包まれています。
光秀は何故信長を裏切ったのか?
その動機が先ず分かっていません。
だから、黒幕がいたのではないかなど様々な説が生まれています。
その中の1つにあるのが、羽柴秀吉黒幕説。
信長の死を聞いた秀吉が光秀を討つべく200キロの距離を10日間で走破した中国大返し。
この中で、沼城から姫路城まで70キロの距離をわずか1日で撤収した点が「不自然」とも考えられているとか。
事前に信長の死を知り準備をしていなければ不可能だったという推論です。
この説を裏付けるものは何一つ無く、あくまでも数ある説の中の1つ。
今作ではこれを採用。
で、ただ秀吉を黒幕にしただけでは無く、今作の特徴である「サブローと信長(光秀)顔そっくり」を絡めている。
正直TVドラマ時に光秀がサブローを裏切ったのを見て、「えええええええええええええ」と思いました(笑
そこまで原作から変えてしまうと、いよいよタイトルの意味も失うんじゃなかろうかと。
然しながら今回の映画を見て、凄い納得。
光秀の心情も理解出来るものでしたし、命を救われての変心からの脅しによる本能寺の変への道程。
全てが「黒幕秀吉」を立たせているものであり、光秀の裏切りをしっかりと史実に溶け込ませていたと感じました。
何故光秀は信長を裏切ったのかという歴史の謎に対する今作ならではのアプローチがちゃんと「有り得そう」というリアリティを以て描かれていました。
とはいえ、大事なのは秀吉が「サブローを殺そうと考える動機付け」。
本能寺で復讐の相手である本物の信長(光秀)を殺害した時点で、「復讐を果たした」としてもおかしくはありません。
わざわざ顔が似てるだけのサブローまで殺そうとする理由付けが大事になってきます。
秀吉はサブローが自分の直接の復讐相手では無いことは分かっていた訳ですからね。余計に大事になる点。
本能寺で再び本物と偽物の入れ替わりを描いた以上は、「光秀を討つ」という史実に則る為にもドラマ上どうしたって必要になってくる点です。
TVシリーズの振り返りが終わってからの冒頭。
物語は突然燃え盛る村での虐殺シーンから始まります。
秀吉の過去。
信長を殺そうとする動機となるシーン。
このシーンを何故映画の最初に持ってきてるのか?
観客に「どれだけ秀吉の信長への憎悪が深いのか」を植え付ける為なんでしょうね。
中盤で「意味も無く(秀吉の村に)火を放った」と光秀から聞かされ、怒りを新たにしてるシーンを入れ込んだり。
何度も何度も執拗に光秀の身体に刀を突き刺したり。
極めつけは
「お前が守ろうとした者全てを殺す」
という意味合いの分かり易い憎悪の台詞を吐かせている。
このように全編に亘って復讐鬼・秀吉像がしっかりと描き込まれておりました。
台詞でもあったように「一族郎党、部下や大事な者まで含め全てを殺すまで、俺の復讐は終わらない」と言わせるほどの深い深い復讐心。
これがあったからこそ、わざわざサブローを追うことが自然な描写となっていたんです。
サブローは、光秀が自分の命を掛けてまでも守った命なのですから。
(信長と顔の同じ)サブローを光秀に仕立てて、主君の敵討ちという大義名分を与えて史実との辻褄も合わせているのが憎らしいじゃないですか。
フィクションをさも自然に…史実なのではと思わせる事に成功し、納得いくラストまで運んでいる。
その最大の功労者が秀吉であり、彼を徹底的に復讐鬼に仕立てた事である。
僕はそう感じました。
ハッピーエンド
切なくも爽やかなハッピーエンドだったんじゃないかな。
実の所死んだら元の時代へ戻るというのは予想できた筋でした。
史実に則り(信長が死に)、かつ、現代へ戻れるという矛盾するイベントをこなすには、これくらいしか無いですので。
「そういう終わり方だったら最高だな」という希望が叶ったのも面白かったとした理由ではあります。
帰蝶からのビデオレターという思いも寄らなかった飛び道具がラストをより一層素晴らしいものへと昇華していたのは嬉しい誤算でしたけれど。
この最高の終わりへと持ってきてくれた功労者は僕は秀吉だと思っていて。
彼の描き方がぶれずにいたのが良かったですね。
どんな説得にも耳を貸さずに、復讐に走る。
光秀がサブローがどんなに嘆願しようと、復讐を止めようとしても動じずに初志貫徹する。
そこが良かった。
だけれど、ただの復讐鬼で終わらせなかったことで、サブローをも立てている。
帰蝶がサブローに伝えていたように、「平和への橋渡し」を秀吉が果たしていたんですよね。
サブローが願う平和な世の中。
戦の無い世。
サブローが最期に秀吉に説いたその想いを、秀吉はちゃんと継いでいたんだなと。
サブロー亡き後も…秀吉が没した後も”帰蝶が生きている”ことが証左。
あのビデオレターが存在している事が、秀吉が想いを受け継いだ証拠となっているんですよね。
あんなに信長の大事な人は皆殺しにするとしていた秀吉が、信長最愛の女性を生かしていたんですから。
信長の後を継ぎ、復讐を捨て太平の世を目指した。
更には家康に継がれて、江戸幕府という形でそれが成った。
(江戸時代を平和な世とすると語弊もありますが、「太平の世」と評されているのは事実ですし)
サブローの信念がしっかりと形となって成就したというのが分かるこれ以上無い程珠玉のラスト。
帰蝶や仲間たちとの別れは切ないけれども、現代へ帰れて、主人公の想いが遂げられたと分かるのですからハッピーエンドと言えます。
サブローというフィクションを活かしきって、サブローの信念を後の世代へと受け渡した。
秀吉がもう1人の主人公だったのかもしれませんね。
非常に素晴らしい映画でした。