「パトレイバーはアニメの中だけのもの」という嘆きから思った事

この記事は

有人型巨大ロボットに関しての記事です。
ネタバレありますのでご注意下さいませ。

「THE NEXT GENERATION パトレイバー/第1章」を見た

「THE NEXT GENERATION パトレイバー/第1章」を鑑賞してきましたので、簡単な感想を。
特別料金1200円の2週間限定特別上映という部分も加味できればと。

本家の「パトレイバー」って殆ど知らなかったりします。
アニメの再放送をちょこちょこっと見たり、DVDでOVA時代の分を見たり。
ゆうきまさみ先生の漫画版の冒頭2巻ほどを読んだり。
そんなものかな。
ここ数年非常に興味が湧いていた作品であり、だからこそ、今回見に行ってきたのですけれど。

結論から言えば、うん。
面白かったです。
但し、映画館で見るべきかと問われれば、迷うことなく僕は首を横に振るでしょうけど。
TV放送を待つか、DVD/BDレンタルで十分です。
映画ってTVドラマと違って、でっかいスクリーン・迫力ある音響を意識した映像を求めてしまいがちです。
でも、「元来映画用に作られていないから」なのかな。
非常に地味でスケールの小さい映像に終始していました。
故に、1200円とはいえ劇場で見る必要性がそれ程高い作品では無いと思います。

とはいえ、決して損をしたという気分はありません。
登場人物に比較的簡単に馴染めたから。
今回の特車2課の面子は原作から数えて三代目という設定。
主人公の名前が「泉野 明(いずみのあきら)」と初代の「泉 野明(いずみのあ)」をもじっていて、性格も似た感じになっている。
他の隊員も同様で、名前と性格を似せている。

これは中々に巧妙。
あくまでも別人だから「アニメ・漫画の実写化に対するイメージの問題」を起こすことなく、しかし、オリジナルを踏襲している為馴染みやすい。
抵抗感を覚える事無く、すっかりと見入ってしまいました。
筧さんの隊長、しっくりきすぎw
そして何と言っても千葉繁さん!!
オリジナルと同様「シバ シゲオ」役を熱演。
作品を引き締めているような無くてはならない存在感を発揮されていました。

で、このシバがレイバーの現状について嘆くシーンがあるんです。
その嘆きがあまりにも衝撃的でした。
掻い摘んで要約すると、こんな感じ。

「今のご時世、無人航空機が飛び交ってる中、未だ有人の二足歩行ロボットに拘ってる日本は、ロボット技術に於いて他国の後塵を拝している」
「有人のロボットなんてアニメの中だけのもの」

…なんか違う。
ニュアンスがちと違う気がしますが、大体こんな感じ。
この台詞に凄く衝撃を受けたんですよ。

有人型ロボットの抱える矛盾

「パトレイバー」が最初に発表されたのが1988年。
作中の時代設定は1990年代後半ということになっています。
80年代から見た近未来には、有人型二足歩行ロボットが完成しているという未来予想図が描かれていた訳で。

しかし実際は、まだまだアニメや漫画の中だけのお話です。
未だに有人型二足歩行ロボットは実現されていません。
厳密に言えばランドウォーカー等実現し製品化に至ってる物もあるっちゃあるんですが、「人型」に限れば出来ていない事になります。
やっぱ色々と難しいんですよね。
その辺の難しさの一部は「Robotics;Notes」等でしっかりと描かれていたりします。
ネックとなるのは、やはり重さになるのかなと。
どんな軽い素材でも、人が乗り込めるほど巨大なロボットを作れば、何トンになるのか…。
それを支えるだけのぶっとい足腰が必要になるし、そんなぶっとい足腰を動かすには、とんでもないエネルギーが必要で…。
更にいえば、「パトレイバー」作中でしっかりと描かれているように乗り心地の問題も残ります。
歩行するだけで激しく上下動するコックピットで操縦を続けるのは、三半規管が相当強くないと難しそうです。
(この乗り心地に関しては、解消する方法もあるとは思いますけれど…)
まだまだSFの中のお話。

なのですが、現実は「有人ロボットを必要としない方向性で研究開発」してるんですよね。
アニメで例えるならば、「鉄人28号」等に代表されるような遠隔操作型。
もしくは、「翠星のガルガンティア」のチェインバーのような自律可動型の開発を目指していて(但し、巨大な物は作られる事は無いでしょうけれど)、小型のモノならば市販もされています。
(チェインバーは基本的には搭乗者を必要とするロボットですが、自律行動も出来るという事で)

そもそもがロボットは「人間の代わり」をさせたいが為に導入される訳で、人の代わりとなるロボットに人が乗り込むという発想は矛盾以外の何物でも無い訳で。
では、どうして人が乗り込むのかと言えば、「ロボットの足りない部分を人間自身で補う必要性がある為」ですよね。
基本的な操作から何から何まで、人が乗り込んで操縦しないと、ただのでくの坊である。
だから人が乗り込んでいる。
「ガンダム」だって「パトレイバー」だって皆同じような理由。
しかし前述のような矛盾から、有人型はこれからもSFの中だけの存在になるのかなと。
ロボットは「人を必要としない技術の粋を集めた物」だから。

これまで全く考えもしなかった、有人型ロボットの抱える矛盾。
それに気づかせてくれたシバの嘆き。
なんだか、ちょっと夢が崩れた思いだったり…。

永遠の憧れであり続ける事

巨大な有人ロボットってやっぱり憧れますよね。
動きはしなかったものの、2009年にお台場で公開されていた1/1スケールのガンダムはやっぱり凄かったですもの。
友人に誘われ、あまり気乗りしなかったものの、実物見たらその余りの凄さに感動したのも良い思い出。
あんなのに乗ってみたい。
動かしてみたい。

そういう人は多いはずです。
有人型ロボットの開発の話題が出ると、ネット上を瞬く間に駆け巡っていきますしね。
興味を持ってる人がそれだけ居るって事なんでしょう。

有人型ロボットは憧れではあります。
その憧れの存在は矛盾を孕んだものであり、単純に「ロマンを求めて」いる技術者や企業しか開発しないんでしょうね。
どう頑張ってもアニメの中のようなスマートで格好良い人型ロボットは出来ないでしょうし。
そう考えると、残念でなりません。

けれど。
けれどね。
「アニメの中だけの存在」でも良いんじゃないかなとも思うんです。

夢って叶っちゃうと途端に価値を失います。
「そんな事無い」って方もいるでしょうけれど、僕はそうなんです。
僕の叶った夢なんて、本当に些細な・ちゃっちいものばかりですけれども、叶ってしまうと過去のモノになっちゃうんですよね。

ただ、この憧れというか夢は、いつまでも夢のままになりそう。
過去のモノにならず、死ぬまで夢のままってなんか良いなと。

そんな何より、過去数多生み出されてきたロボットアニメも決して色褪せず「永遠のSFアニメ」であり続けられる事も大きいですよね。
SFは「実現できない科学技術」であり、実現出来ちゃった時点でSFで無くなります。

今後も「実現できない科学技術」になりそうな有人ロボットが登場するアニメは「永遠のSFアニメ」として、いつまでも古びる事無く見れるのかなと。
これは大きいと思います。
次世代の少年達の夢であり続けられるんですから。

終わりに

作中でシバ班長も「それでも構わない」と肯定しています。
彼も有人型ロボットに夢とロマンを持ち、自分の仕事に誇りを持っているから…。
作中で「過去の技術」である有人型ロボットも、現実に於いてはまだまだ「未来の技術」です。
しかも訪れる可能性が極めて低そうな未来の技術。
そう考えると、とっても悲しいけれど、ロボットアニメがいつまでも少年達の夢であり続けられるのであれば、悲観する事では無いのかもなと。

僕自身おっきい少年の1人として、取り敢えずはアニメの「パトレイバー」を見ていこうかなと思っています。
来年の長編劇場版の前までには全話見ておきたいな。
(エントリ中の現実のロボット研究に於ける解釈はあくまで持論で、間違っている可能性が大です。)

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