この記事は
「HUNTER×HUTNER」で見るパワーインフレ第2弾…になるのかな。
ネタバレありますのでご注意下さいませ。
はじめに
なんだか似たような記事を上げてお茶を濁します。
過去何度かバトル漫画のインフレについての記事を書いてみましたが、今回もまたまた手を出してみます。
そもそもパワーインフレって悪い事なのでしょうか?
結論から言えば悪くは無い。良くも無い。
この辺は読者の好みであるからして、良し悪しで語れる事ではありません。
それぞれの主だった主張を纏めてみれば、インフレ支持派としては「バトル漫画の醍醐味」だから。
主人公も敵もどんどん強くなっていかないとツマラナイという理屈。
否定派は「インフレしすぎると興醒めする」というものかな…。
強さの次元が上がり過ぎて、ついていけなくなるという意見はよく目にします。
ただ、最近はインフレをしないようにしている作品が目立ちます。
「ジョジョの奇妙な冒険」あたりが走りになるのかな???
能力バトル漫画が増えて来ていて、この手の漫画はインフレを抑えるような形になってます。
この傾向はパワーインフレに対する批判の大きさを表しているのでしょうか?
はたまた、パワーインフレとは無関係なのでしょうか…。
果たしてパワーインフレはバトル漫画にとって善か悪か。
必要か不要か。
読者の好みとは切り離して考えてみると、どっちなのでしょう。
インフレを抑えるアイディアの1つとしてのジャンケン
強さのインフレをしている漫画の多くは、RPGと同じ構図を取っています。
真っ向勝負のパワーありき。
雑魚モンスターをしばき倒してレベルを上げたり、武器や防具を買い揃えたり。
RPGでボスを倒す為に必須な「作業」であって、漫画でも同様。
修行をして強くなり、新技を身に付けて、敵との戦いに備える。
この繰り返しが基本となる為に、パワーインフレも際限なく続いていきます。
では、これを抑える手段は何かというと、ジャンケンでしょうか。
グーはチョキに勝つけれど、パーには負ける。
パーはグーに勝てるけれど、チョキに負けて、チョキはグーに負ける。
3つの手が循環して、”最強の手”が存在しない遊びです。
またしてもゲームで見てみると、RPGの中にもこのジャンケンを取り入れている作品があります。
「ポケットモンスター」。
ジャンケンのように、絶対的な「三すくみ」が成立している訳ではありませんけれども、全てのポケモンには属性が付加されていて、属性と技の間には相性が存在しています。
相性が良ければ大ダメージを与えられるし、悪いと無効化される事もある。
レベルがバトルに及ぼす影響は当然あるのですが、この相性をバトルに活かす事で弱くても強い相手に勝てるという戦略性を生んでいます。
これはそのままインフレの抑止効果を生みます。
実例を1つ。
「ONE PIECE」では、悪魔の実の特性(弱点)という形で、取り入れられていますね。
悪魔の実の中でも自然系(ロギア)にほぼ限定されている為、この要素をあまり前面に押し出してはいませんが、内包している事には変わりありません。
スナスナの実の能力者であるクロコダイルは、水分を吸い取るという能力を有している反面、液体を掛けられてしまうと身体を粒子化出来なくなるという弱点がありました。
この弱点をルフィに見破られたクロコダイルは、野望を潰されてしまいました。
また、ゴロゴロの実の圧倒的な力で神を演じていたエネルも、電気を通さないゴム人間であるルフィには大苦戦。
エネルのあの驚愕に目をひん剥いた顔を僕は一生忘れないと思いますw
例を挙げるなら、もっと前面に押し出した作品にするべきですけれど、ごめんなさい。
自分で書いといて他に思い付きませんでした(汗
さて。
能力バトル漫画といえば「HUNTER×HUNTER」もそうですね。
此処で少しこの作品について見てみます。
「HUNTER×HUNTER」はパワーインフレを否定しているのか?
「HUNTER×HUNTER」もまた、パワーインフレを崩した作品です。
単純なパワーバトルは避けられ、念能力というものを設定し、戦術を主眼に置く事でインフレを防いでいます。
僕は様々な理由からこの作品をバトル漫画では無いと考え、何度もこのブログでも主張していて、その記事と被るのですが…ちょっと繰り返します。
(参考:「パワーインフレの扱い方から見直すバトル漫画2 HUNTER×HUNTERはバトル漫画では無いと思う理由」)
インフレを防いでいると言っても、ゴン達はちゃんと成長しているんですよね。
ただ、成長を促す動機が「強い敵を倒すため」ではありません。
これを目的としてる時もありますけれど、ゴンの行動原理は「ジンを探す事」でした。
ハンターになって、ジンを見つけ出す。
この為だけに行動しているんです。
つまり、ジンを探すためには強くなることが必要となって、故にゴンは修行を熟して成長して行っている訳です。
作中では遂にジンに出会えた為、今後本格的なバトル漫画にシフトする可能性を秘めていますが、少なくともここまではバトル漫画ではありませんでした。
インフレを取り入れつつも、しかし、その目的が異なる。
単純なインフレを避けている節が見出せるんです。
こう言う点だけを抽出して見てみると「パワーインフレを否定している」作品とも取れます。
でも、面白いのは、単純に否定しているだけではないところですね。
ジャンケンの話に戻りますけれど、ジャンケンには必勝法なんてありませんよね。
偶然性に支配されたゲームであるが故に、「必勝」する方法はありません。
相手の手を読む。
パーを出すと勝ちやすい。
必勝法は数あれど、どれもこれも確実な手とは言えません。
勝率を上げられる効果はありそうですけれど、それまでなんです。
「HUNTER×HUNTER」でもジャンケン必勝法が出てきました。
ジャンケンを心理戦と捉え、勝率を上げる方法を取っていたのがハンター試験の時。
僕等でも実際に出来る方法です。
次にグリードアイランド編で出て来てました。
相手が何を出すのか。
動体視力をフル動員して、指の動きを注視する。
手の形が決まったら、後出しにならないよう高速でその手に勝てる手を出す。
相手の手の形をギリギリまで見定める事は、若しかしたら一流のプロ野球選手ならば出来るかもしれません。
彼らはコンマ数秒の世界で、投手の投げた球種・スピード・コースを見極めてバットを振っているんですから。
真面目に「投手が投げたボールの縫い目が見える」事ってあるらしいですし。
でも普通は出来ません。
それ以上に無理なのが、後出しにならない様に相手に勝てる手を瞬時に出す事ですね。
一流のスリ師でも無理でしょうし、女性と見れば見境なく飛びつくような遊び人の男でも無理。
あ。でも、ロボットが実現しててクソ笑ったwww
人間の技術力はんぱねえw
ま、まあ、人間には到底真似できない事で、これは強くないと出来ない事と捉えます。
強くなる=スピードが上がるとは一概には言えないですけれど、この定義を真とすると動体視力もまた良くなっていくと思うんですね。
パワーインフレと動体視力の関係は作品によっても異なります。
「DRAGON BALL」とか振り返ると超面白いです。
悟空と天津飯が天下一武道会で再戦した時。
悟空の速い動きに天津飯は3つの目を駆使して対応して、「スピードは上がって無いようだな」と言い放ちます。
しかし、天津飯の動体視力では追えないスピードを悟空が出す事で、この返事をするわけです。
初期の頃は動体視力で、相手のスピードについていっている事を象徴したシーンであり、また、パワーアップするごとに動体視力も上がっていたんではと思わざるを得ないシーンでもありました。
と同時に、このシーンは、動体視力に頼った戦いの終わりを告げるシーンでもあったんですよね。
神様との修行で相手の気を読む事を習得してからは、以降そちらが主体になりましたから。
ベジータ強襲時における悟飯のリアクションが物語っていました。
動きの速い戦闘に目が付いていけず、何が起こってるのか把握できない悟飯にピッコロが一喝します。
「相手の気を追うんだ」と。
1つの作品内で関係を変えている好例ですね。
最初からパワーアップと動体視力に比例関係を持たせてない作品もあるでしょうけれど、ここでは、
強くなる=スピードが上がる=動体視力も上がる
と定義させて頂きます。
こうすると、この必勝法ですが、必ず相手に勝つためには条件が1つだけあるんです。
相手より自分が強い事ですね。
対戦者同士がこの必勝法を用いた場合。
光速で手の形を変え続けることとなり、結果的に手の形を変えるスピードがものをいってきます。
手の動きに動体視力が負えなくなってもダメだし、手を変えるスピードが遅くてもダメ。
このジャンケン必勝法を突き詰めると、パワーインフレを肯定しているかのような解釈が出来ます。
相手に勝つためには、相手を上回るパワーを身に付ける必要性を謳っているかのような…。
突拍子もない解釈かもしれません。
けれど、このように作品を見てみると、1つの作品内でパワーインフレを否定しつつも、反面必要性も説いているように見えます。
終わりに
パワーインフレを完全に排除する事って難しいですし、完全に排除した形のバトル漫画で人気を博する事も難しそうです。
特に少年漫画では、醍醐味として楽しめる要素でもありますしね。
かといって、パワーインフレさせまくると、それを見せる技術が必要となるし、相応の説得力作りも大事になります。
ここを失敗したり疎かにしてしまうと、これまた人気を取り難くなりそうです。
「HUNTER×HUNTER」は、結構絶妙な塩梅で成り立っているのかもしれませんね。
能力バトルを取り入れる等、様々な点でパワーインフレを抑えつつも、要所ではしっかりとインフレを取り入れている。
どちらも大事な要素なんだよというメッセージも(半ば強引に)読み取れますし。
善か悪か考えると言いつつも、善でも悪でも無いという答えはかなり半端かもしれませんけれど、改めてそう感じざるを得ません。
読者の好みと切り離して考えても答えは同じになるというのが僕の結論ですね。