この記事は
「Q.E.D.-証明終了-」の感想・考察記事です。
ネタバレありますのでご注意下さいませ。
はじめに
4か月に1回のお楽しみ。「Q.E.D.-証明終了-」第44巻が先日発売されました。
描き下ろしの「Question!」が面白かったですね。
“犯人”はまあ、今作を読み続けたことで身に付いた「勘」で何となく読めましたけれど、やっぱりこういうお話は個人的に好き。
人の死なないミステリーの真骨頂というか。
ラストがとびっきりに明るくて、読後感が非常に清々しくて。
さてと、この記事は巻の前半「チューバと墓」に着目してみます。
大コマの演出効果
漫画の演出として、コマ割りがあります。
詳しくないので詳細に関しては割愛させて頂きますけれど、ここでは大コマについてのみ書いてみます。
と言っても、やはりあまり詳しくないのでググってみました。
大コマの演出効果にはどんなものがあるか。
一番印象を与えるコマです。
場面の変化や時間を長く見せる手法です。
「きゃんばすのーと」さん http://sagisou.sakura.ne.jp/~sakuchin/nori/06/29.html
大コマは、重要度や注目度が高いものを描くときに使います。
「神戸大学漫画研究会」さん http://home.kobe-u.com/manken/report/repo/003.html
2か所ほど紹介しましたが、まあ、想像通りの応えに辿り着いてホッとしております。
その作品(回)で最も見せたいシーンや状況説明なんかの為に使われているようですね。
その大コマですが、どの大きさの物を大コマと定義すればよいのか。
ここでは、取り敢えず、1ページ全体を使っているコマと2ページ見開きのコマを「大コマ」と定義させて頂きます。
「チューバと墓」を見てみますと、このエピソードには5か所大コマがありました。
一つずつ見てみます。
1か所目は、2ページ目。
探偵同好会3人の全身が描かれたコマです。
これは表紙を兼ねている為、特に意味は無いと考えます。
敢えて考えるならば、同好会3人がメインを張るエピソードですと言う意思表示でしょうかね。
2か所目はこの2ページ後。
酔っ払って寝込むサラリーマンと刑事、そして同好会3人。
彼らを中心に周りを埋め尽くすギャラリーという、大きく引いた構図のコマ。
このページの前まで「殺人だ」と主張する同好会達のセリフが、いつも通りのお騒がせであることが分かりやすく印象的に伝わるコマ…のように感じました。
状況を俯瞰で見せてくれている為、騒動の大きさが分かりますし、この後に続く6代目顧問の先生の大激怒も納得出来ます。
この2か所目の大コマは、場面説明を効果的に見せる使い方…なのかもしれません。
一寸余談ですが、この顧問の先生、6代目なんですよね。
正直この「6代目」という情報は不要です。
無くても問題無いのだけれど、この情報があるお陰で、同好会がどれだけ学校に教師にこれまで迷惑を掛けて来たのかが想像できるので面白いですw
過去5人の教師が投げ出してきたのでしょうね〜。
本筋に戻します〜。
3か所目は見開き。空の廃工場内部を描いた大コマでした。
十字架とチューバケースに注目が行くような描かれ方がされていました。
詳しい事は後述〜。
4か所目に行きます。
刑事たちが十字架の下を掘り返し、奇妙な”ガラクタ人形”が出て来て…。
このガラクタ人形がアップで描かれていました。
これは話の流れから、「死体発見か」と思わせておいてのページを捲った直後の大コマで、強く印象に残るコマになってましたね。
ガラクタ人形がどこか不気味で、死体に似た怖さがあったので、余計に印象深かったです。
ここで大コマを使われたのは、トリックの為だと考えます。
詳しくは書けませんけれど、このエピソードのトリックは、衆人の注目を一点に集める事が肝となっていました。
「死体があるかもしれない」工場内で、怪しかったチューバケースと十字架。
前者にはチューバしか入っておらず、後者が最も怪しい場所となり。
その下を掘り返してみると、人型に模したガラクタが出て来て…。
人の形をした物が出てきた以上、誰もが一瞬は「死体が出た!!」となりますよね。
その場にいた刑事たちは死体を探していたのですから、余計に。
だから、この大コマは、「作中のキャラ達が、掘り返されたガラクタ人形に注目していた」という見方が出来るようになっていたと考えます。
そういう演出意図があったんじゃないかなと。
真偽は幾ら考えても不明なままなので、次に行きますw
最後5か所目、クイーンが燈馬君に「(大人しく事件が解決するのを待つ事は)でも それは私のやることではありません」と言い放ったコマ。
燈馬君が本格的に事件に乗り出す切欠となり、また、このエピソードでも大事な意味を持った言葉。
一見すると何の変哲もないセリフで、大コマにする必要性が見えないのですけれど…。
でも、これが「Q.E.D.」という”ミステリ漫画”の特徴なんだと思うのです。
3か所目と5か所目の大コマについて検証します。
ミステリ漫画らしい大コマの使い方
先ずは、3か所目の大コマ。
これは、ミステリを軸とした今作ならではの大コマですね。
ミステリ漫画で、重要なシーンって何か…というと、先ずは何より真相究明シーンでしょうか。
真犯人の正体が判明した瞬間だったり、トリックが解明された時だったり。
最も盛り上がるシーンで大コマが使われる事がよくあります。
「Q.E.D.」では、例えば第35巻の「クリスマス・プレゼント」とかとか。
犯人が誰か分かったシーンでは、大コマが使われております。
もう一つは、状況説明のシーンですね。
事件の状況を説明する為に、大コマが使われる事がしばしばあります。
第37巻「殺人講義」等で一時期よく使われていた「現場見取り図」だけを描いた大コマなんか分かりやすいですね。
今回の大コマの3つ目がこの意図で使われていたと考えます。
上にも書きましたが、このコマで分かる事は明確です。
廃工場内で人を隠せるスペースは、チューバケースと十字架の墓の下の2か所しか無いという事実が描かれている点ですね。
つまりは、この2か所さえ潰せば、死体を隠すスペースは存在しない事になります。
実際その過程が描かれ、謎が深まる様になっていました。
とはいえ、このコマに描かれていない部分に死体が隠されている可能性は否定してはいけませんよね。
ミステリの常として。
天井なんかは描かれていないから、読者の一部は、そういう点に不信感を抱くかもしれません。
けれど、これも後々「天井もダメよ」という提示がなされる事で考えが潰される事となって。
まあ、上手い事お話の流れも出来てますよね。
ミステリ漫画だけの使われ方とは言いませんけれど、ミステリ漫画らしい大コマの使い方と言えるのかもしれません。
重要なメッセージが込められた大コマ
さて、普通のミステリ漫画の枠に収まらないという事が提示されていると感じるのが、5か所目の大コマなんですよね。
このセリフ、本当に何の変哲もないし、大コマにする必要性も見出しにくかったりします。
なんで、大コマにするんだろ?と思わずにはいられません。
「でも それは私のやることではありません」だけが台詞のコマを大コマにすることって、他の漫画ではなかなか見られないと思うのです。
何度も書くようですが、本当に普通のシーンの普通の言葉だから。
でも、大コマにするには理由が有る筈。
そこで、このエピソードのテーマみたいなものは何だろうかと考えました。
最も描きたいメッセージ的な。
思ったのは、ラストで対比されたクイーンと犯人の生き方の違いこそが、このエピソードのメッセージなのかなと。
自分の信念を貫き、自分を信じたクイーンは、燈馬を事件に関わらせる事で見事”成功”を納めました。
逆に今回の犯人は、自分を信じきれず、大事な物を捨てたことで大きな”失敗”をした。
選択を迫られた時、自分のやりたい事をやり通すことの大切さみたいな事が描きたかったことなのかなと。
とすると、クイーンの大コマ時のセリフは重要になってきます。
このエピソードのメッセージそのものだと思うから。
「でも それは私のやることではありません」
テーマを体現したセリフを吐いたコマを大コマに用いるのは、今作の特徴の一つかなと。
ミステリって、突き詰めるとパズルなんですよね。
だから、突き詰めれば突き詰めるほど読み物として非常に味気ないモノとなってしまう。
それを避けるために、動機等犯人のドラマ面を濃くしたり、縦軸となる物語やラブコメを主軸の一つにしたり。
様々な工夫をされていると思うのですが、「Q.E.D.」に於いては、毎回何かしら伝えたいテーマが込められていると思うのですね。
ラブコメ要素は無いとは言いませんし、犯人の動機に関するドラマも薄いとは言わない。
けれど、それら以上に、一つのテーマを元に組み立てられている印象が強くて。
それを強調すべく、そのエピソードで大事なセリフなどは大コマで見せているのかなって。
37巻の「アニマ」とかもそうかなと。
「でももう…疲れちゃったの」という大コマで描かれたセリフが、このエピソードの全てを物語っている構成になっていて。
上のセリフなんかも、別のエピソードで使われていても、何とも感じないんですよね。
「疲れちゃったの」とか言われても「ああ、うん」としか言えないというかw
でも、「アニマ」では、重い意味を持ってくる。
全エピソードに共通している事では無いんですけれど、大コマに注目すれば、そのエピソードで加藤先生が伝えたい事が見えてくるのかなと思います。
まとめ
台詞量がどうしても多めになりがちなミステリ漫画に於いて、今作は比較的台詞が少ないと思います。
だから、コマ割りもゆったりと取れていて、だからこそ大胆に大コマが使えるのかもしれません。
いや、大コマを使いたいから台詞量を抑えているのかもですが…。
どちらにせよ、この漫画に於ける大コマの役割は殊更大きいのかもしれません。
まあ、グダグダっと書いてみましたけれど、本当にそうなのかは分かりませんけれども。
それと、大コマにした意図が見えないものも中にはあるんですよね。
30巻「犬の茶碗」の見開きとか。
そう言えばこの時期、食べ物を中心として、てんで重要には思えないセリフが書かれた見開きが多かったような…。
この記事を書く為に、改めて見返して考えたのですが、ちっとも分からなかった。
僕には分からない深い理由が隠されているのか。
それとも、特に意味は無いのか。
それすら分からないので、上に書いた事も全然的外れも良い所なのかもしれません。
ただ、こういう考えも出来るのかなという感じで…。今回は締めます。
Q.E.D.証明終了(44) (講談社コミックス月刊マガジン)
- 作者: 加藤元浩
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2013/02/15
- メディア: コミック
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