はじめに
漫画やアニメに出て来る天才達。
作品によっては「ん?」と思う事も多くて。
誰でも思いつきそうな事を言って「天才だ〜」と周りから囃し立てられて悦に入っているキャラとか。
とはいえこういうのは作品の対象年齢でも変わってくるし、いちいち突っかかって見るものでも無いとも思っています。
まあでも、気になるものは仕方ないですよね。
さて。天才というと、分かりやすいのはミステリ漫画の主人公達でしょうか。
法医学から雑学まで広範囲な知識を武器にして、これに持ち前の洞察力と発想力を絡めて事件に挑むコナン(新一)。
知識こそ人並みですが、祖父との生活によって培われた探偵としての素質をもとに、やはり人並み外れた洞察力と発想力を以て謎を解き続ける金田一ハジメ。
難解な殺人事件の謎を解く事で、頭の良さを描いていますが…。
中でも「Q.E.D.-証明終了-」の燈馬想は図抜けて天才に見えるのです。
他の名探偵達と比べても殊更変わった描写がある訳では無いのです。
強いて挙げれば、高学歴でしょうか。
僅か10歳でマサチューセッツ工科大学(MIT)に入学したという驚異の経歴の持ち主という点は、異彩を放っていると言えますね。
しかし、「だから」では無い。
僕が、天才だと感じる理由は他にあります。
ハジメの見せ方
と、その前に、ハジメに関して少しだけ。
金田一少年と言えば、「IQ180」というのが一つの代名詞ともなっています。
180という数字に何か意味があるという訳では無く、「非現実的過ぎず、かといって、簡単には出せない値」として設定されただけと公式ガイドブックには書かれていたと記憶しています。
実際IQ180の人は殆ど存在しないらしいです。(全くいない訳では無い)
現在の知能指数(IQ)の算出法では160が最高らしいので、この数字はどんどん「非現実的」なものになっていくのかもしれませんけれども。
さて。
知能指数とは、必ずしも頭の良さを示す指標では無いという事。
あくまでも「賢さを示す指標の一つ」であり、正確性に関しては疑問符が付く事は間違いない。
実際ハジメは、学校の勉強はからきしという設定です。
上にも書きましたが、知識量も一般的な高校生と遜色ないように見えます。
事件中に知らない事を見たり、聞いたりしたら、誰かに聞いたり・本で調べたりなんかして覚える訳です。
で、そうして増やした知識が事件の解決に結び付いたりするのですが…。
学力は駄目だけれど(真面目に取り組めば、相応の成績は収められる)、事件では驚異的な推理力を発揮する。
それがハジメの天才としての表現手法。
そんな彼をより天才に見せるようなキャラが「探偵学園Q」に登場します。
「探偵学園Q」は「金田一少年」の天樹×さとうコンビ(敬称略)によるミステリ漫画ですが、この中に同じくIQ180を有するキャラクターが登場しています。
三郎丸豊。
ハジメとは違い、現役東大生。なので学校の勉強は恐らく凄く出来るのでしょう。
しかし、三郎丸は推理が全く出来ないのです。
Qクラスという、作中登場する探偵養成学校の最上位のクラスへの入試試験では補欠合格。
Qクラスの次に高位のAクラスに在籍するも、すぐにその下のBクラスに転落。
脇役のギャグキャラという事もあってか、一切の活躍も無く、ただただダメっぷりが描かれていただけなのです。
あくまでも結果論ですが、三郎丸の存在がハジメの天才性に磨きをかけているんですよね。
「IQ180」というのは、単純に「凄い(天才)」と思えてしまう設定です。
でも、ハジメが天才なのは「IQが180もあるから」というだけでは無いんだよと言う事が、三郎丸を見てると思えてくる。
知らない事を知ろうとする好奇心だったり、小さい頃から鍛えられた洞察力だったり。
そういった部分での差が「名探偵ハジメ」と「迷探偵三郎丸」に出ている。
そう思ったりします。
こういうのも、ある種の「天才の見せ方」なんではないでしょうか。
短い本題
本題に入ります。
燈馬君が天才に見える理由。
事件を解決しているから?
違います。ミステリ漫画の主人公であるから、事件を解決するのは当たり前ですしねw
高学歴だから?
確かに、学歴を高く設定すれば「天才」に見せるのは簡単です。
でもその学歴に見合った描写が無ければ説得力が生まれません。
コナンとは違った方向性で(主に数学・物理等理系の知識)マニアックな知識量を有する燈馬君。
それを披露し続ける様を見れば、これは「天才に見せる手法」として該当します。
ただ、このレベルで留まる「天才」キャラならば、いっぱいいます。
燈馬君は一味違うんですよね。この一歩先を行っている。
先程事件を解決するのは当たり前と書きましたが、ちょっと訂正させて下さい。
「普通の事件」を解き続けるのは、当たり前だと思うのですが、「Q.E.D.」で扱う事件は「普通」で無い事が多いのです。
数学や物理等の専門的な用語や数式…。
これらが深く関係した事件が多いのもまた今作の特徴と言えます。
これが重要なんです。
専門用語でも、ちょっと調べるだけで、誰でもある程度の説明は出来ちゃいます。
今やググれば大抵のことは分かりますしね。
研究しなくても、wikipediaから転載して論文をでっちあげる…なんて事も可能なのが今の世の中。
(それで卒業できるかどうかは知らんけれども…。)
でも表面を知っただけですと、それを噛みくだいて(分かりやすく)説明したり、それを用いた応用には対処できません。
こういう事は、”知っているだけ”では出来ない事で、”理解してない”と出来ない芸当なんですよね。
「オイラーの法則」、「デデキントの切断」、「ケーニヒスベルクの橋」等々。
事件の中心にこれら専門知識が要求される物事があって、これを解決するには相応の知識と、これらに対する理解力が必要。
飄々とこういう「普通で無い」事件を解き続ける燈馬君は、だからこそ天才に見えるのです。
また、事件を通じて、専門的な事を分かりやすく説明してくれるのも天才だからこそ。
「レッドファイル」では経済学を、「立証責任」では裁判員裁判を。
物語を読んで、なんとなくレベルでも知識を得られる。
ミステリは簡単に天才を描き出せるジャンルであると考えます。
ただ、この作品はそれだけで満足せずに、より天才に見えるように工夫が施されている。
(意図的なのか、結果論なのかは分かりませんけれども、)
事件を解決する事で、深く広い知識とそれを使いこなすだけの能力があると分かるようになっている。
だから燈馬君は天才に見えるのです。
まとめ
そもそも作者の加藤先生が凄いんでしょうね。
建築科を専攻し、学生時から科学の本を愛読していたらしく、故に専門書の表面をなぞっただけでは書けない物語を構築できるのも、好きだからなのかなと。
ミステリ漫画の公式ガイドでは、「金田一」でもそうですが、よくお勧めミステリ小説の紹介コーナーがあったりします。
「Q.E.D.」でも当然そういうコーナーが設けてあるのですが、扱いが小さいというか。
「オススメ科学図書BEST10」の方が、前の方に載っているというw
こんなところからも、この作品が他のミステリ漫画と一線を画しているという証左なのではないでしょうか。
専門にして高度な事を深く理解していないと解き難い事件を天才少年が解決する物語。
それが「Q.E.D.-証明終了-」という作品なのだと思います。