声優の演技は舞台俳優の演技に似ている
宮崎駿監督が専属声優を嫌いテレビ俳優を起用するようになって以降、様々な劇場用アニメで俳優の起用が目立ってきました。
「ドラえもん」、「名探偵コナン」、「クレヨンしんちゃん」、「ポケットモンスター」等の定番アニメも積極的にゲスト声優を起用していますよね。
その中でも、やっぱり下手な人と上手い人が居る。
俳優・女優さんでも、上手い人は専属に負けず劣らずの演技をする方もいるし、逆に、聞くのもつらいという程の方もいる。
何故、そんなに差が出てしまうのか?
要因は様々でしょうけれど、1つに舞台経験があるかどうかが関係していると思っています。
これは当ブログでも幾度と同じ話をしてきましたが、舞台俳優の演技の仕方と声優の演技の仕方は似てるというのが持論です。
舞台では、遠目のお客様にも伝わるように、日常よりも大仰に動作をし、聞き取りやすいように声の抑揚を大きくしています。
アクセントをハッキリとさせ、台詞1音1音を大切に喋っている。
声優も同じで、声だけで表現しないとならない為、抑揚・1音の大切さを大事にしています。
故に昔から舞台俳優との掛け持ちが多いのでしょう。
声優の演技は、いかに大袈裟に芝居を出来るかにかかってると言ってもいいかもしれません。
ラノベの場合
ラノベはキャラが命だと聞いたことがあります。
僕はそんな事も無く、物語だってちゃんと大事な要素だと思っているのですが、どうも一般的にはキャラ萌え出来るかに掛かっていると思われているようです。
そんな折、最近僕はとあるラノベを読んでいます。
タイトルは出せませんが、コメディですね。
登場キャラが少ない割に、キャラが立っておらず、いまいち話にのめり込めなくて楽しめないのです。
読んでいて、ああキャラ萌えって大事だなと痛感してるところなんです。
キャラ萌えと言えば会話のキャッチボールが楽しいかも含まれるのでしょう。
某ラノベの場合は例えばこんな感じ。
「私が先頭を行くから、君が後衛をやってよ」
「いやだよ、私がやるよ。」
「もう2人とも、そんなことで喧嘩しないで。私に采配させてよ」
「いやだ、私が特攻するんだもん」
「私が!!」
「わ~た~し~!!」
3人の登場人物がいて、途中から度の台詞を誰が喋っているのか分からなくなるんですよね。
何故か?
一人称が3人とも「私」で統一されているから。
他に語尾等に特徴を持たせられていないから。
文章が上手い人が書けば、ちゃんと字の文を的確に挟む事で、こういうことがない様に進めるんですが、ラノベの場合、こんな感じの会話劇が延々続く事もある。
勿論全てのラノベがそうだとは言いませんが、今読んでるやつはこうなんです。
だから、結構辛い。
絵で表現される漫画やアニメとは違って、たまにイラストが挿入される”だけ”のラノベ。
基本は文章でキャラを表現しないといけません。
故に、漫画以上に強烈に、アニメ以上に印象に残るように、キャラクターを工夫しないといけないんと思うのですよ。
先程の会話をちょっとだけアレンジしてみます。
「私が先頭を行くから、君が後衛をやってよ」
「あんたには十年早いよ。アタイが務めさせてもらうよ」
「もう2人とも、そんな事で喧嘩は止してくださいまし。わたくしに委ねてもらって構わないのですよ」
「いやだ!!君たちには任せらんない。私がやるの」
「アタイが!!」
「わたくしが!!」
リアリティとか忘れちゃうんですよ。
言い回しおかしいとか一人称変とか思ったら負け。
これがキャラ付であるし、ラノベの登場人物って、こういう大袈裟感でOKなのだと。
あとは作家の腕前ですよね。
「あんたには十年早いよ。アタイが務めさせてもらうよ」とか言っちゃう子のバックボーンを自然に作れるか否か。
「もう2人とも、そんな事で喧嘩は止してくださいまし。わたくしに委ねてもらって構わないのですよ」みたいなどこぞのお嬢様っぽいキャラ付にした理由を説明できるか。
そういう部分でキャラクターを掘り下げて、立たせる事が作家の腕の見せ所。
つまるところ、台詞1つとっても特徴が出せるような大袈裟な作り方で丁度良い塩梅なのでしょう。
終わりに
字の文が無くても誰が喋っている台詞なのか分かるようになると、そのラノベに嵌った証拠。
キャラを愛している証左と言えるのかもしれません。