「りゅうおうのおしごと!」第7巻は人生に抗うオッサン達に捧げる応援歌

この記事は

「りゅうおうのおしごと!」第7巻の感想記事です。
ネタバレあります。

はじめに

GA文庫は電子化が早くて良いですね。
17日に電子版が配信されたので、早速読みました。
今回は「りゅうおうのおしごと!」第7巻の感想になります。

清滝鋼介の生き様が詰まってる

読者が中高校生主体のライトノベルは、基本的に若者にスポットが当たりがちです。
可愛い女の子とか格好良い男子とか。
仮に大人にスポットライトが当たっても、当の大人は、渋かったりして誰からも格好良いと思われるような描かれ方をされます。

そんな中、今回スポットが当たったのが、清滝鋼介。
主人公・八一の師匠です。
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この師匠、「誰が見ても格好良い」というキャラクターではありません。
1巻では、八一に負けて将棋会館から外に向けて放尿したりとコメディリリーフとしての出番も多く、「格好良い」とは縁遠いキャラです。
今回も醜態とまではいいませんが、老害と評されるには事足りる姿を見せています。
鏡洲に叱責され、目が覚めるまでは同じオッサンとして痛々しかったのは事実です。

ただ、これ以降が普通のオッサンとは違っていました。
いや、オッサンとか関係無しに格好良かった。

――将棋とは生きることの全てである。
一般人からすると、理解しがたい思考かもしれません。
けれど、八一達からすると至極普通で、彼らの物語を読んでいる僕含めた読者には、納得出来るものです。
それ程説得力のある熱い生き様がこの「りゅうおうのおしごと!」の棋士達からは伝わってくるのです。

そんな棋士にとって、順位戦というのは、「社会」そのものなのでしょう。
理不尽なこともあれば、偶然によって報われることもある。
努力を蔑ろにされることもある。
良いも悪いもひっくるめて、人生すべてが掛かっている。
清滝鋼介もそんな社会に翻弄されてきた。

だからこそ、苦しくても、辛くても、最低でも、泥臭くても前を向く。
勝利を目指す。
生きる。

そう、生きる為に戦っているんです。

今の世の中、生き抜くのは大変です。
辛いことも多く、挫けてしまうこともある。
僕なんてほぼ両足棺桶にツッコんでいるような状態で、お先真っ暗です。
社会経験も積んでないし、技能を持っている訳でも無ければ、精神疾患という重荷まで背負ってる。
この先、生きていけるのか不安で仕方ない。

清滝鋼介にとって、順位戦降級というのは、まさにそんな状態に近かったんではないかな。
彼の年齢を考慮すれば、もっとどん底の状態かもしれません。
最新研究には付いていけず、体力も落ち、勘も鈍ってきた。
上がり目の無い状態で、降級は死を意味していたでしょうから。

死を受け入れて楽になれれば…。
そんなことを考えてしまうのは、悪いことなのでしょうか。
人間は弱い生き物です。
そういう風に考えたって悪くはない。

悪く無いけれど、そんな状態に抗って、必死に生きようともがく姿というのは、やはり尊いって思うのです。
誰にでも真似できることじゃないから素直に格好良い。
スマートな生き方とは言えないかもだけれど、人生もがけるのって素晴らしい。

人生に抗うオッサン達に捧げる応援歌

大人になればなるほど、変にプライドが高くなります。
オッサンになった僕にも分かります。
上司が年下だったら嫌だし、タメが高い地位にいると自分の現状と照らして、惨めで泣きたくもなります。
頭は固くなり、変に意地を張ってしまう。
これは性格とかではなくて、「生きてきた時間」が自然とそうさせてしまうのかなと。

オッサンが、若者に頭を下げることがどれだけ大変な行為なのか。
清滝鋼介が自分より低位の研修生に将棋の教えを乞うことかどれだけ自尊心に反する行為なのか。

若者には理解できないかもしれない。
惨めだと笑う人もいるかもしれない。
けれど、その大変さが、重さが理解出来ればできるほど、潔くて格好良いんです。

部下や年下に教えを乞うことは格好悪く無い。
諦めて、投げ出す方が格好悪い。
必死にもがいて、勝利を目指す姿勢の方が格好良い。

清滝鋼介の生き様は、オッサンにとっては「もがいてでも生きろ」と背中を押された気分になりました。

終わりに

あとがきを読んで、とても辛かったです。
白鳥先生の小説を読んで、元気を貰っている人間がいる事を知って欲しい。
それが先生に伝わらなくても…。
そう思って感想を書きましたが、ちょっと何言ってるか分からない感じになりましたw

えと。
清滝鋼介格好良かったぞというお話であり、とても感動したという結論です。

りゅうおうのおしごと! 7 (GA文庫)

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