この記事は
アニメの作画監督についての備忘録です。
中身はいつも以上にすっかすか。
はじめに
作画監督についての個人的な忘備録。
というのも、ちょっとした疑問があったので。
アメリカの制作方式が面白い
wikipediaで調べて、色々と面白い事を知りました。
箇条書き的な書き方で記します。
一般的にアメリカではキャラクター別にアニメーターを割り当てることで同じキャラクターの絵柄がばらつくのを抑えているのに対し、日本ではカットごとにアニメーターを割り当てる。
アメリカでのアニメ制作は、そんな風になっていたんですね。
これなら確かにキャラクターの崩れは殆ど無さそうです。
ただ、滅茶苦茶大変そう(汗
主人公格を割り当てられたアニメーターさんとか、超しんどそうですね。
なんとなく制作時間に余裕があって初めて成り立つ方式な気がします。
1人作監
中には作画監督自身が一人で全ての原画を描いているケース
「1人作監」と言われているものですよね。
これ、どうなってるんだろうと昔から不思議でした。
大勢の人達で作る事で成り立つアニメーションを、たった1人でこなす…。
とんでもなく筆が早いんでしょうけれど、ちょっと想像できないんです。
もはや超人技にしか思えない程です。
僕が知るのは「DRAGON BALL」の青嶋克己さん。
特に強く印象に残っているのは第51話「海底のガードマン」。
この回も青嶋さんの1人作監回。
「レッドリボン軍編」ですね。
海底で悟空とガードロボが激戦を繰り広げるバトルメインの回なのですが…。
すんごく迫力があって、本当にお1人で全原画を担当されていたとは思えない程で…。
心からスゲェと思えた回でした。
「鉄腕アトム」と作監
1960年代前半の東映動画で確立されたもので、初めて作画監督システムにより制作されたのは1963年の東映動画作品『わんぱく王子の大蛇退治』である。
これも初耳でした。
流石は老舗の東映動画ですね。
そういえば、作画のばらつきと言えば有名なのが「鉄腕アトム」第34話「ミドロが沼の巻」。
この話数は虫プロ社内スタッフ夏休み確保のための、「鉄腕アトム」でも初めての全面的外注作品でした。
さて、その外注先「スタジオゼロ」とは…。かつて「トキワ荘」でともに過ごした漫画家仲間たちが、手塚治虫氏の虫プロダクション設立等に刺激を受けて結成された「スタジオゼロ」。
そのメンバーは漫画家の石ノ森章太郎氏、藤子・F・不二雄氏、藤子不二雄A氏、つのだじろう氏、アニメーターで「ラーメンの小池さん」のモデルでもある鈴木伸一氏ら。漫画界のドリームチームで制作された「鉄腕アトム」。
さぞかし素晴らしい作品になっているかと思いきや、それぞれの個性を反映した各シーンのアトムは、絵がばらばらに。これには試写を見た手塚氏も無言になってしまったそうです。
今からすると、物凄く貴重かつ「有り得ない程豪華な」お話に映りますが、当時からすればそうじゃなかったのかもしれませんね。
当時はアニメーション制作が確立していなかった時期。
バンクシステム等今では一般的に使われている手法の多くを手塚先生が開発したりと、この「アトム」1期が日本の連続テレビアニメの礎を築いたのは言うまでも無い事ですよね。
だけれど、「作画監督制」というのは無かったんですね。
だからこその第34話が生まれたと言えそうです。
でも、第1期の放送開始はちょうど1963年。
その後丸4年程放送されていたので、もしかしたら途中で作監制を取り入れられたのかも?
さて。
お話は総作画監督に転じます。
総作画監督
テレビシリーズでは「総作画監督」(「作画監督チーフ」・「チーフ作画監督」・「チーフアニメーター」と呼ばれることもある)を設けることもある。
これはテレビアニメは複数の作画班により制作され、話数ごとに作画監督が立つことが多いためである。
複数いる作画監督ごとのタッチの差を補正し、シリーズ全体の絵を統一しながら全体の作画の質を向上させることが目的である。
主にキャラクターデザインの担当者が兼任するが、各話ごとに配される場合もある(もちろん、シリーズ全体ではそれらの役職の人数の方が作画監督のそれよりも少ないのが通例となる)。
作画監督制が普及し、すると、作画監督の個性が目立ち始めましたよね。
90年代とかそれ以前のアニメは、そういうのを楽しむ趣もありました。
何度か書いてますが「DRAGON BALL」シリーズ。
チーフアニメーターだった前田実さん。
前田班に居て、後にキャラクターデザインを担当された中鶴勝祥さん。
個人的には、このお2方の担当回は、群を抜いて素晴らしかったと思ってます。
中鶴さんが作監された回は非常に少ないんですけれどね。
それと「名探偵コナン」の青野厚司さん。
原作の青山先生も認めるほどの「原作に忠実な画」を描かれていて、それを追及されていたアニメーターさん。
先日アニマックスの無料放送でたまたま青野さん作監回を見たのですが、改めて見ても「上手すぎる」の一言。
個人的に「コナン」に帰って来て欲しいスタッフの筆頭です。
最近、大島美和さんも「コナン」に帰って来てる感じなので、青野さんも一緒に戻って来て欲しいです。
ああ、話が逸れましたが…。
「コナン」の話に入りたかったのです。
かつては「コナン」も回によって作画にばらつきが目立つ作品でした。
キャラデザは
須藤昌朋(第1話 – 第355話)→
とみながまり(第356話 – 第504話)→
須藤昌朋、山中純子(第505話 – 第576話)→
須藤昌朋(第577話 – 第626話)→
須藤昌朋、牟田清司(第627話 – 第680話)→
須藤昌朋(第681話 – )
という変遷を辿ってます。
一時期須藤さんが「コナン」では映画専任になっていた時期を除いて、氏が作画チームのチーフと考えて良いと思われます。
で、作画監督の個性が出ていたのが第504話まででしょうか。
…子細に見て行けば、もう少し前後するかな?
まあ、大体2代目のとみながさん時代までですかね。
この辺までは、「作監の個性を楽しむ」視聴法が可能でした。
「今回の絵は好き」とか「ちょっと好きじゃないかな」とか、毎回楽しむ感じ。
予告で青野さんっぽい回が流れるだけで歓喜してたりもしてましたねw
で、そんな流れ(?)が変わりました。
はっきりと「統一されるようになってきた」感を覚えたのが第505話からです。
ちなみに、第505話以降監督に就任したのが於地紘仁さん。
この回を境に、メインスタッフが大きく交代した時期ですね。
「総作画監督」という役職はクレジットされていませんが、明らかにそんな役職が置かれたかのような感じに。
ただそれでも、変わったばかりの頃は、作画監督による個性もまだまだあったかな。
この時期に一番好きだったのが増永麗さん。
初期から関わっている方で、作監は345話(2時間半SP)以降。
ちょうど505話も担当されていました。
今では広中千恵美さんと交代されて、広中さんチームの作画マンになってしまいましたが、この頃は一番好きだった方ですね。
こういう「〇〇さんが”一番”好きだった」という感想が出る時点で、まだまだ作画が統一されきっているとは言えないかもしれませんが…。
まあ、505話から徐々に変わっていったと感じております。
今では、割と統一感が浸透してきた感じが致します。
作画に拘る方が見れば、毎回全然違って見えるのかもですが、僕レベルでは大きな差は感じられないかなと。
先日の放送で700話に達した「コナン」君。
作監の個性を楽しむ時代と絵に統一感を持たせる総作監時代とを同時に楽しめる稀有な作品かもしれません。
1人作監&総作監?
ようやく本題です。
作画監督は、作画スタッフの絵をキャラデザに準じるように修正する役職。
とはいえ人間なので、絵のクセが作監ごとに出る。
そこで、そんな作監達の絵を更に修正する総作監という役職が生まれた。
ここまでは理解できるのです。
ですが…。
先日見ていた「変態王子と笑わない猫。」。
普段僕はスタッフクレジットを注視しておりません。
作画とか演出とかに特に拘りとかが無いから。気にならないので、見ないんです。
(と言いつつ、「コナン」の作監だけは未だにチェックしてしまうというw)
なので、本当に偶然なのですが、第7話のクレジットを見て不思議に思ったんです。
7話の作監は木本茂樹さん。
作画wikiには
J.C.STAFF所属。
作画スピードが速いようで、数多く仕事をこなすので、作品数が多いJ.C.STAFFには欠かせないアニメーターである。
とあります。
「超電磁砲」とか「禁書目録」等でお名前を見かけたことがある気がします。
んで、この回の作画スタッフ(第一原画、第二原画込で)は木本さんを含め17名。
16人(正確には14人?)の絵を木本さんが「作画監督」として修正された事が見て取れます。
ここまでは分かるんですが、この回総作監も木本さんとクレジットされていたんですよね…。
作監として木本さんが修正した絵を総作監として木本さんが修正したんでしょうか?
謎です。
うん。
詳しい人にとっては謎でも何でも無いんでしょうけれどね。
単に「総作監」という役職をクレジットしていただけかもですし、何よりもこういう表記は珍しくないみたいですし。
「変猫」だけでも1話で都築裕佳子さんが同じく1人作監&総作監をされていますしね。
少し気になったという事で。
終わり
半分以上「コナン」作画語りになっている気が(汗
き、きのせいだとおもう…。
本当に些細な事から興味を持って、ちょこっと調べてみた今回。
アメリカの制作方式の件とか面白い事を知れて良かったです。
そういえば、作画といえば「サマーウォーズ」を思い出しました。
BDのスタッフコメンタリーで、キャラクターがお辞儀する作画を評して、「この作画は超難しい」と仰っていて。
正直何がどうして難しいのかがちっとも理解出来なかったりw
これ聞いた時分から、「自分には到底理解も習得も出来ない神の領域」だと判断しました。
知れば知るほど奥が深くて面白いんでしょうけれど、語るには相当な知識が必要な分野なんでしょうね。
僕には無理かな…。
単純に「原作絵に近いかどうか」とか「自分の好みかどうか」位のレベルでしか判断できないので。
そんな訳でこの記事もそんなレベルで書いちゃいました…。
以上、備忘録でした。