最強の鬱アニメ「サザエさん」
「サザエさん」を見ると鬱になる。
先ずもって、その放送時間が拙い。
日曜の午後6時半。
放送が終わると、途端に日曜が終わった気になる絶妙の時間帯。
翌日からの事を考えるだけで鬱になる。
そして内容だ。
「サザエさん」というのは、現実の四季の移り変わりを敏感に反映している。
時代こそ懐かしき昭和のままであるものの、季節は現実世界と共に移ろいでいるのである。
例えば。
もう少しすると、そろそろカツオが夏休みの宿題に追われて、ヒーヒー言うお話が放送される筈。
それを見ると忘れたい事を嫌でも眼前に突き付けられるのだ。
夏休みの終わりを。
忘れたいはずの宿題の山を。
そうして、鬱になる。
アニメには、夢や希望を求めがちだが、「サザエさん」にはそれが通じない。
意外とシビアなのだ。
あの世界では、どんなに頑張っても歳を取る事が無い。
所謂「サザエさん時空」という不思議な時間軸を採用している。
故に隣の伊佐坂家の甚六さん(アニメでは「じん六」)は、何時まで経っても浪人生。
例え彼が何千・何万時間勉強し、東大に楽に入れる学力を身に着けたとしても、彼は絶対に受からない。
だって合格しちゃうと、「サザエさん時空」の為矛盾が発生してしまうから。
とはいえ、磯野家の隣人は彼ら現在の伊佐坂家で3代目。
キャラの入れ替わりなどは普通に起こっている為、甚六さんが大学に受かった所で「矛盾」など無かったことになるのでしょうが。
それはさておき、どれだけ努力を重ねても届かない夢はある。それを思うと鬱になる。
人生の一部のような作品
まぁ、ネタですが…。
とはいえ、上に書いた事って昔は結構思っていた事だったりします。
特に2つ目。
現実のイベントを取り上げる事の多い作品だけに、見ていて現実を思い出す事もしばしば。
学生時代なんて、アニメを見て軽く欝になることも多かったですね。
宿題の事もそうだし、テストに長期休みが終わるという事。
嫌なイベントを想い出させるようなお話も多かったですから。
最近と言ってももう何年も経ちますけれど、深夜アニメを中心に「日常モノ」なんて呼ばれる作品が数多く生まれていますが、日常レベルはやはりこの作品が群を抜いていると感じます。
深夜アニメの日常アニメって、メインキャラの殆どが女子高生だったりします。
僕はこの通り男なので、女性の日常って非日常なのですよね。
だから、描かれている出来事自体に共感できることはあっても、どこかファンタジーを見てる気分なので、自分の状況を垣間見て・重ねあわせる事って無いんですよね。
その点、「サザエさん」で描かれている磯野家は、日本の家族構成(と言っても昭和初期位まで)の見本市。
今でこそ核家族が殆どですけれど、まぁ、まだまだ通用する構成だと思うのです。
タラちゃんを起点とすると、両親がいて、祖父母がいて、叔父・叔母がいる。
ペットなんかもいたりして、本当に日本のどこにでもいそうな家族の有り体な日常を描いたホームドラマ。
自分により近い人々を描写している分、非常に身近に感じる。
また、子供の頃から見ていたというのが大きいのだと思います。
長年、それこそ小学生時代からずっと見続けたから、「サザエさん」自体が自分の日常の一部になってしまった。
だから、作中で描かれた事で軽く鬱になるというか…。
僕にとって最も身近なアニメなのだと思います。
15年位まともに見てませんが。
まとめ
今後も「サザエさん」は身近な存在であり続けるのかもしれません。
そう思ったのが先日拝見した「チャラ男登場にタラちゃんいじめ…最近のサザエさんに「異変」」という記事。
この中でメインライターの雪室俊一さんのコメントが出ていましたが、それらを要約すると以下の様になるんじゃないかと捉えました。
「時代と共に作中の背景も進んで行くけれども、根底に流れる精神は原作のまま」
「昭和」という時代を尊重しつつ、かつ、おかしくならない程度に今を反映させていく。
創意工夫をしながらも、これからも身近な磯野家を描かれていくんだと勝手に確信しております。
今の子供達が磯野家をどう感じているのかは分かりません。
ただ、見て育てば、きっと自分の日常の一部のように感じるんじゃないかな。
特に見なくても困らないけれど、見れなくなっちゃうと困る。そんなアニメになるのかなと。
今は本当にたまにしか見てませんが、見ればあっという間に時間が経つし、世界に入り込める。
非常に自然に視聴出来る稀有な作品。
僕にとっての「サザエさん」は、そういう存在。やはり僕の日常の一部になっているのだなと感じます。