「劇場版 SHIROBAKO」外連味の無い現在と明るい未来へ繋がる伏線と【ネタバレ感想】

この記事は

「劇場版 SHIROBAKO」の感想です。
ネタバレあります。

当初は物足りなさを覚えた

クライマックスの存在しない映画。
果たしてそれは面白いのであろうか。

語弊を恐れずに言うのであれば、今作は盛り上がるところが一切無い映画でありました。
作中のあおいの言葉を借りるのであれば、「序盤から中盤まではテンポよく進み楽しいのだけれど、それが逆に仇となって外連味の無い終盤になっている。」
まさにこのセリフ(意訳するとこんな感じのセリフでニュアンス等々は異なると思います)通りの映画だったなというのが率直な印象です。

テレビシリーズから4年が経ち、その間ムサニは倒産寸前の状態にまで追い詰められていた…という所から今作は始まります。
元請け(顧客から直接仕事の発注を受けた会社)を行える体力・信頼が無くなり、下請け(元請け会社から仕事を依頼された会社)しか仕事がなく、スタッフも散り散り。
まさにいつ倒れてもなムサニに急遽オリジナル映画の元請けの仕事が舞い込んだところからの勢いは、見ていて楽しいものでした。

なんたって、テレビシリーズでお馴染みのキャラクター達が、1人、また1人とムサニに戻ってくるんですから。
その高揚感、ワクワクは筆舌に尽くしがたいものがありました。
序盤から中盤は、こんな感じでテンポよく進んでいき、迎えた終盤。
やはりテンポよくサクサクと進んでいき、そのまま山場を迎えることなくエンドロールが流れ始めたのです。

あれ?
となりました。
正直ちょっと物足りなさを感じたのです。
テレビシリーズのような外連味もドラマチックさも感じられない、どこかリアル目な作風。
大きなドラマを「敢えて外してる」かのようなストーリーだったからです。

ですが、これは敢えてなのでしょう。
敢えて盛り上がるところをオミットし、「俺たちの戦いはこれからだ」風に纏めてきた。
鑑賞から少し時間の立った今、僕はそう思えるようになっています。

何故、そういう感想に至ったのか、私見を書かせていただきます。

オミットされたクライマックス

今回の物語、盛り上げられるポイントがいくつかありました。
僕が想像するだけでも4か所はあったかな。
1つ1つ挙げてみましょう。

先ず1つ目は、あおいがラインプロデューサーになった件。
プロデューサーというのは、物凄く重要なポジションですよね。
昔の僕は勘違いしてたのですが、監督よりも上の地位に立っていて、作品製作に於ける真のボスであります。

勿論プロデューサーの中でも上下関係はあって、あおいよりも(宮井)楓の方が立場上は上なのだと思う。
それでもムサニの中では、トップ。
木下監督よりも上の立場なのですよ。

制作進行だった入社1年目だった頃から見ると、大出世です。
劇場版のプロデューサーを務められるまでになったのですから。

それなのに、この「抜擢」に至るシーンは特に無く。
ナベPが社長になった頃に、あおいが自然とラインプロデューサーに就いていたのかもですが、エンタメ作品として大々的に取り上げられてもおかしくないシーンだったと思うのです。
なんせ劇場版のラインPですからね。
その大役に燃えるあおいを描けば、物語的にも盛り上げられた筈ですが、実際にはありませんでした。

2つ目は、「げ~べ~う~」からの横やりを迎え撃つシーン。
勿論これはテレビシリーズで木下監督が野亀の下に向かった際のセルフパロディです。
ただ木下監督の時と異なるのは、そこに至るまでのドラマが殆ど描かれていない点。

原作者へ直談判しに行くまでに、木下監督の葛藤と周りの支えがしっかりと描かれていたテレビシリーズ。
比して、今回のあおいは、ミムジー&ロロ(つまり自分自身)にお尻を蹴られて気合を入れられたというシーンのみで、あっさりと敵地へ乗り込んでいき、あっさりと「成敗」しました。
ここも盛り上げようと思えばいくらでも盛り上げられたシーンですよね。
葛藤し、苦しみ、それでも足掻いて、活路を見出そうともがく。
ようやく逆転の目を見出して、覚悟を決めて乗り込みに行く。
葛城と「げ~べ~う~」社長との言い合いシーンに伏線の1つでも張っておけば、さらに盛り上げられたことでしょう。

続いて3つ目は、言うまでも無く空中強襲揚陸艦SIVA」のクライマックスの作り直しのシーンを一切描かなかったところ
僅か2週間でどれだけの苦労があったのかは、空中強襲揚陸艦SIVA」本編映像を見れば一目瞭然です。
アニメ制作の大変さを本当の意味で知らない僕でさえ、現場の過酷さを想像出来ましたもの。
あの規模の変更を行うには、どれだけのアニメーターが過労死すれば間に合うんだろうかと慄きさえしました。
アニメ制作を描いたアニメなのですから、一番のクライマックスになりそうなのに、欠片も描かれていませんでした。

最後4つ目は、ムサニが「復興」したのか否か不明なまま終わった点。
オリジナル劇場版の評価はどうだったのか。
大きな仕事をやり遂げて、アニメスタジオとして再起できたのか。
ハッピーエンドであるならば、映画は大ヒットして、ムサニに人が戻ってきて、新たな作品の制作に入るというところで終わっても良いものでしたが…。
「次回作の構想」こそ匂わせていましたが、そこどまり。
曖昧なまま終わってしまいました。

他にもあったかもしれませんが、このように「クライマックスを作ることが出来た」にも関わらず、敢えて無視したかのような作り。
これは最早意図的であると言わずに、なんというのか。

どうしてこのようにクライマックスを描かなかったのか。
人によって解釈は色々と別れるでしょう。
外連味たっぷりのテレビシリーズと区別し、リアリティに徹したというのもその1つ。
「人生は俺たちの戦いはこれからだ」・「あがいてもがいてこその人生」、そんなメッセージ性を際立たせる為に、フィクション要素を出来る限り省いた結果ともいえるかもしれません。

こういう解釈も納得なのですが、僕は少しだけ違う見方をしています。
やはりこの劇場版も外連味あるドラマがあったのだと。
ただ、そのドラマは、ここよりもほんの少し先の未来にあって、劇場版はその前振りだったのではないか…と。

何故そう感じたのか。
消化されなかった伏線があったからです。

上がり目しかない未来

キーワードは「第三飛行少女隊」。
あおいが初めてデスクを務めたテレビアニメです。
この映画では、この作品に関する伏線がところどころに散りばめられていました。

先ずは冒頭。
ミムジー&ロロによるテレビシリーズのおさらい。
何故冒頭にこのようなシークエンスが挟まれたのかといえば、素直に「ファンへのおさらい」と「新規観客への説明」でしょう。
それは間違いの無いことだと思います。
ただ、それ以外の意図もあったのかなと。

ここではテレビシリーズ後半(第2クール目)について纏められていました。
自然ではあるんですが、それにしても「詳しすぎた」ように感じたのです。

その理由は、原作者・野亀がダメ出しをしているというところからの流れをカットしてなかったから。
「様々な苦難を乗り越えて無事作り上げた」と簡単に纏められたところを、ちゃんと「どのような苦難があったのか」を残していた。
何故かといえば、未来に繋がる重要なエッセンスだからと解釈しています。

次に、「え?」と目を疑いたくなるシーンがありました。
あの「第三飛行少女隊」の第2期が、「あり得ない」アニメになっていたからです。
どう見ても原作準拠とは言えないエロコメディになってしまっていたのだから、テレビシリーズを見て来たファンにしたら驚愕ですよね。

だって、野亀は「口出ししない原作者」ではなく「モノ言う原作者」だからです。
それでムサニは過去に苦しんだと冒頭でもしっかりと説明していたのですから、これは大きな矛盾です。
あの野亀が許可するとは思えない。
何故こんなことが?

「原作者にもどうしようもできないこと」は現実でも普通にあるようですから、そのような野亀にとっては「関与したくとも出来ない悔しい思い」をしたのでしょう。
実際彼は中盤に1カットだけ登場し、悔いていました。
これも伏線。

あとは、ラストカットです。
ムサニのホワイトボードには、制作候補の作品がいくつか羅列されており、その中には「真第三飛行少女隊」のタイトルが。

大ヒット漫画であり、ムサニが野亀に認めさせた第1期。
ムサニ復活を決定づけた作品の「本当の続編企画」です。
他のスタジオが請け負ったエロコメ第2期を「黒歴史」とした「真の第2期」。
その元請け制作を匂わせての終わりは、最早光しか見えません。

空中強襲揚陸艦SIVA」はやはり成功したのでしょうね。
改めて元請けを行える状況になったムサニが、次に「第三飛行少女隊」の続編を手掛けて、今度こそ本当に復活を果たす。
そういった「未来」が、回収されなかった伏線から窺えました。

だとしたら、今作は「外連味のあるドラマの前哨」と言えそうです。
テレビシリーズとは味付けを変えつつ、しかし、その先にテレビシリーズ同様の外連味あるドラマを想像させる。
巧妙なドラマだったのだと思ったのでした。

終わりに

やっぱり「SHIROBAKO」は面白いなと再認識。
群像劇としてみても楽しいし、あおい達5人のドラマとしても見応えがある。

今回の劇場版は、テレビシリーズとは違った味付けなのでちょっと戸惑いましたが、想像を巡らせたら「あぁ、いつものSHIROBAKOだった」と感じられるものでした。
なので、まとめとしては「やっぱり最高だな」でした。

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