この記事は
歴代「週刊少年ジャンプ」漫画のライバルに焦点を当てた記事です。
ネタバレありますのでご注意下さいませ。
ライバル
少年漫画にとってライバルは必要不可欠な要素である!!
そう断言しちゃっても良いでしょう。
そこで今回は、ライバルにスポットを当てて「WJ」の人気漫画3本を振り返ります。
と、その前にライバルとは何ぞやという事を先に書かせて頂きます。
ライバル(rival)は、同等もしくはそれ以上の実力を持つ競争相手の意味。
好敵手(こうてきしゅ)、宿敵(しゅくてき)と和訳されることがある。
好敵手とは
実力に過不足のない、ちょうどよい競争相手。
であり、宿敵とは
かねてからの敵。年来の敵。
となります。
1つの言葉から、2つの意味を異にする単語を想像する辺り、和訳って適当だなと思います。
適当というか、それだけ”言語の変換”は様々なニュアンスの違いで差が出るのでしょうね。
ようするに「ライバル」と一口に言っても、その意味する部分は異なってくる。
これを念頭に置いて、3作品を振り返ります。
「DRAGON BALL」悟空とベジータ
さて、この漫画のライバル関係というと、やっぱりこの2人でしょう。
始めこそ完全に敵同士であった2人。
しかし、下級戦士である悟空に負け、プライドをズタズタに切り裂かれたベジータは、その後悟空を超える事を生きる目標として掲げていきます。
バトル漫画では、良くある図式です。
主人公に負けた敵キャラが、ライバルとなるというのは。
「DB」でも、ヤムチャ、天津飯、ピッコロときてベジータで4人目のライバルキャラですね。
中でも最も「ライバル」というものを描き切っていたのが、このベジータ。
追いついたと思っても、常に1歩も2歩も先を行く悟空。
不甲斐無い自身への怒りで超サイヤ人に変身したかと思いきや、バビディに操られてまで悟空との決闘を望んで。
ベジータの行動原理は、常に悟空ありき。
悟空に勝つことしか考えてない訳です。
その中で、悟空が何故強いのかも考えたのでしょう。
結論として「守るべきもの」がいるから強いと考え、だからという訳では無いのでしょうけれど、ベジータもまたブルマとの結婚を経て、守るべき存在を手に入れます。
しかし、この考えは違っていました。
原作最終盤。悟空と純粋ブウとの最終決戦を見ていて、彼は悟りました。
それだけでは無いんだという事を。
「勝つために戦うんじゃない。絶対負けない為に限界を極め続け戦うんだ」
悟空というのは、一度倒した相手に遺恨は残しません。
それはベジータに対する態度からも窺えます。
仲間を殺され、自身も殺されかけたというのに、ナメック星で再会した時も平然としている。
というのも、神龍(ポルンガ)の力で仲間が生き返る事が分かっていたからではありませんよね。
だってあの時点では、それは分からなかったのだから。
最後に純粋ブウに投げかけた言葉もそう。
決して「過去の敵」を憎まない。
悟空は強くなる事しか望んでないんですよね。
強くなるための切欠として敵がいて、一度その敵を超えてしまうと前しか見ないのでしょう。
故に、悟空からはベジータをライバル…宿敵とも好敵手とも見做していなかった可能性が高い。
一度雌雄を決した時点で、超えてしまった存在だから。
それが悟空のスタイルで、だからこそ、ベジータを殺すような事はしなかった。
ベジータの一方的なライバル視だったのかもしれない。
それを漸く悟ったのかもしれない。
しかし、それでもベジータは悟空を認めました。
ベジータはライバルキャラとして突き詰められた存在であり、彼の魅力が漫画全体の面白さを何段も上に押し上げていたと言えます。
ベジータにとって悟空とは「自分以上の実力を持つ競争相手」だったと言えそうです。
「SLAM DUNK」 花道と流川
のちに終生のライバルといわれる2人の出会いであった
このナレーションが「SLAM DUNK」という作品を象徴していたのかなと。
花道と流川が「ライバルになるまでを描いた漫画」。
だから、劇中の殆どは花道が一方的に流川をライバル視していただけでした。
最初は恋敵でした。
晴子に振り向いてもらいたいが為にバスケ部に入って、晴子の想い人ということで、流川を目の敵にしていた。
やがて、バスケットマンとして成長した花道は、流川がどれほど凄い選手なのかを知ります。
初心者の中は分からないモノですからね。
「なんだかすごい」「上手い」という感想は持てても、「どれだけ凄いのか」は同じプレイヤーで無いと分からない。
故に花道がバスケットマンとして一人前になった証左として、流川の存在は描かれていました。
豊玉戦。
ベンチから流川のジャンプシュートを客観的に見た花道は、ようやく流川の凄さを知りました。
この時は気づいてなかった理想のジャンプシュート。
2万という途方もない数のシュートを練習してきたからこそ、花道は流川のジャンプシュートの凄さを知った訳です。
この瞬間から、花道は流川のプレイを目で追うようになります。
ここまではあくまでも一方的なライバル視。
その関係性が変わったのが劇中最後の試合となった山王工業高校との死闘でした。
背中を痛めながらも、無理をして試合に出続ける花道。
持ってるド根性を振り絞り、ラインプレイを連発。
試合も残り1分を切り、花道から流川へのパスが通る。
流川はこれを決めて、山王を逆転。
勝利かと思われたものの、再逆転を許す。
残り8秒。
走る花道。
しかし、花道へのパスは山王の全力ガードで通らず、流川に最後のパスが渡る。
ドリブルで相手コートまで切り込む流川は、そのままシュート態勢へ。
そんな流川の耳元に届く、花道の独り言「左手は添えるだけ」。
初めて。
初めて流川から花道にパスが届く。
これ。
これですよ。
山王工業との試合を通じて、2人がやってライバル関係になった瞬間ですよ。
試合終了後の無意識のハイタッチ。
リハビリ中の花道に見せびらかすように流川はジャパンのユニホームを披露したり。
完全に2人はライバル関係と呼べる存在になっています。
花道と流川、終生のライバル。
その関係性にまで辿り着くまでの物語が「SLAM DUNK」の全てでありました。
「NARUTO-ナルト-」 ナルトとサスケ
非常に特殊な関係だったのがこの2人。
花道・流川と同様に、基本的には、この2人もナルトが一方的にサスケにライバル心を燃やす関係でした。
サクラを巡る恋敵という点も似ている。
しかし、特殊なのはサスケが抜け忍になってからでしょう。
里を抜けた時点で、最早敵となったはずのサスケを、しかし、ナルトだけはライバルとして連れ戻そうとやっきになります。
なにをそこまでと思ったものですが、しっかりとした理由がありました。
境遇が似ていたから…。
九尾の人柱力として孤独な人生を歩んできたナルト。
両親もおらず、誰からも相手をされず、唯一心を開いてくれたのがイルカ先生だけでした。
一方のサスケも家族がいるだけで、孤独を味わってきました。
兄・イタチには満足にかまってもらえず、父親に気に掛けて貰えない。
他人として放っておけなかった。
ライバルとして、親友として。
基本的にはずっとサスケの方が実力的には上で、その点に於いてもナルトは常に追う側でした。
追いつけ追い越せで力をつけ、遂にサスケとの最後の対峙で追いついた。
ナルトはサスケというライバルがいたからこそ、強くなれたし、サスケがいたからこそ、独りじゃ無かった。
戦いを終え和解した2人は、ライバルとしても親友としても一層の絆を深めたのですよね。
競争相手というだけではなく、内面まで掘り進めた好例の関係でした。
「ONE PIECE」 ルフィにはいないライバル
ジャンプの漫画には悉くライバルがいて、切磋琢磨する相手がいる事で強く強くなっていく。
しかし、ルフィにはライバルと呼べる様な存在が今のところ存在しません。
存在しない理由としては、「必要が無いから」なのでしょう。
ルフィもそうだし、ゾロもそう。
自分よりも格上の憧れの大人がいて、彼らに認めてもらう為、勝つ為に力を研いでいく。
また、ルフィが力を求める理由も「強くなる為」というより、「仲間を守るため」なんですよね。
エースを屠られ、これ以上大切な仲間を失わない為に力を求め、力を付けた。
もしも、今後ライバルと呼べる存在が現れるならば、海軍からでしょうか。
スモーカーが筆頭だったのですが、彼はその関係から降りた感があります。
なので、現時点での最有力はコビーかなあ。
ルフィを目指して強さを身に付けたコビーならば、ルフィのライバルとしての素質は十分あります。
いずれ更に力を付けたコビーがルフィの前に立ちはだかる日が来るのでしょうか。
終わりに
そういえば今の「ドラゴンボール超」は、ベジータと悟空のライバル関係を改めて強調した作りになってますね。
原作までの「悟空の方が常に1歩先に居る」という訳では無く、対等な存在としてベジータが描かれています。
ここら辺、ベジータの相当の努力が窺えますし、悟空もそんなベジータを改めてライバルと認めている節がある。
一度ベジータが悟空を認めたからこそなのかもしれませんね。
切磋琢磨し合うという意味で、正真正銘のライバル関係になっています。
ライバルと一口に言っても、作品によって描き方が様々で面白いものです。
ライバル関係に焦点を絞って作品を振り返ってみると、また違った面白さに出会えるのかもしれません。