大事な1巻の絶大な吸引力 「進撃の巨人」の構成の妙

この記事は

「進撃の巨人」考察記事です。
第1巻に注目してみました。

第1巻は大事

月刊誌連載でここまで爆発的なヒット作を送り出したのは、「鋼の錬金術師」以来になるのかな?
少女漫画にまで視野を広げれば、他にもありそうですが、週刊誌連載以外ではなかなかに珍しい現象ではないでしょうか。

特に発行部数の少ないマイナーな雑誌に限ると、口コミやメディアミックス等で「ある程度巻数を重ねてから」大ヒット漫画へと成長して行く傾向が強い様な印象を受けます。
発行部数が少ない故に、第1話掲載時。若しくは第1巻初版発売時から爆発的な売れ行きを見せるというのは、とっても少ないんじゃないでしょうかね。
コアな漫画ファンの実数はそれ程多くないでしょうから、彼らだけにウケても「大ヒット」にはなりにくく、「にわか」*1層にまで広く浸透する必要があります。
「ジャンプ」等購読者数も発行部数も多いと、この広まり方も速く、故に「連載後すぐに大ヒット」となり易いのですが、マイナー雑誌だとこの速度がどうしても遅くなってしまう。

「進撃の巨人」は、しかし少々異例のスピードを誇っていたようです。
1巻の発行部数は4万部。
発売は2010年3月の事で、その後僅か9か月後の同年12月には2巻累計100万部を突破したという記録があります。

進撃の巨人 : 最新巻が初の初版200万部突破 1巻の50倍超、「ワンピ」に続く快挙  MANTAN WEB

「進撃の巨人」は、10年3月に発売されたコミックス1巻の初版発行部数はわずか4万部だったが、口コミで人気を集め、同年12月にはデビュー作としては異例のスピードで累計100万部(1、2巻)を突破。

とはいえ、「第1巻発売後」に「口コミ」で”徐々に”人気を上げていったのは確か。
スピードこそ異例ですが、雑誌連載で注目され始めたというよりかは、コミックス発売後に広まっていったタイプと見て問題無い筈です。
(コア層には、雑誌連載時から高い注目を集めた故のスピードヒットではあったのでしょうが、この辺の事情は僕自身知らない事なので割愛)

こうして考えてみると、第1巻ってとっても重要な位置を占めてきます。
通常「読んだ事の無い作品」を読んだ時、「続刊を買うか買わないかの判断」はどこでするものでしょうか?

人それぞれではあるでしょうけれど、僕の場合はやはり「1巻の面白さ」になります。
もっと具体的に言えば「1巻を読み終わった時点で、続きを読みたいと思うかどうか」。

アニメやドラマで作品に触れ、既刊をいっきに買い漁る事も珍しくはありませんけれども、多くは「はじめの1巻」のみに手を出すパターンではないでしょうか。
そこで気に入れば、2巻3巻と読み続けていく。

発行部数の多い雑誌での連載漫画は、第1話掲載時点で注目を集めやすく、1話単位で「続きを読ませたい」と思わせる構成が重要になってくる。
逆にマイナー雑誌連載漫画は1話単位での引きも勿論重要ですけれど、それ以上に「コミックス単位」で「続きを読ませたい」と思わせる構成が大事なのではないか。

前置きが長くなりましたが、「進撃の巨人」はそこが抜群に凄い点かなと思うのです。

エレンが主人公じゃなかったの?

マンガボックスで4話まで配信されていたんですね。
この配信で改めて「進撃の巨人」を読んだのですが、これもう編集部分かった上でやってるよねって感じ。
5話以降は配信されずに、続きはコミックスでねということなんですが、何故4話で区切られたのかと言えば1巻が4話まで収録されているから。
早い話が第1巻丸ごと配信されているという事ですね。

で、気づけたんですけれど、1巻の引きが凄すぎ。
「え、え?」
「どうなっちゃうのこれ?」
ってところで終わってる。
↓こんなリアクションを取っちゃうくらい。

(「なんだってー」でググるだけで大量の「MMR」関連画像がヒットするこの時代が大好きですw)
続きが。2巻以降の内容が超気になる締め方をしてるんです。

個人的に最も気になったのは「エレンが主人公じゃなかったの?」という点。
ここにミスディレクションが多く含まれていた…と勝手に思いこんでしまったのも、惑わされた一因(笑
どういうことかというと、主人公が誰なのか、イマイチ分からずに初読時に読んでいたんです。

何も知らない頃、僕はこの作品の主人公を「超大型巨人」だと思っておりました。
1巻の表紙にもでっかく描かれてるし、象徴のように何かと宣伝で使われていますし。
実は良い奴で、ポジション的には「鉄人28号」みたいな感じかなと想像していたんです。

全然違った訳ですけれども。
1話を読み終わってからは、視点が常にエレンなので、彼が主人公なのかなと認識を改めたのです。
2話以降もそれは変わらず、エレンの視点で物語が綴られていっている。
何より主人公らしいキャラクター性とドラマを備えていたから、そう考えるのは自然でした。

そんなエレンが4話の最後に。
1巻の最後に「殺されてしまう」訳です。
そりゃ「なんだってぇぇぇぇぇ」ってなります。
ドラゴンボールがあるような世界観じゃありません。
死者は生き返らない。
なのに、主人公と思っていたキャラクターが死んでしまった。

「主人公と考えていたキャラは、実はそうじゃありませんでした」という構成の作品だってあります。
「進撃の巨人」もそれに倣った作品で、主人公は別にいたんじゃないか。
やっぱり超大型巨人が主人公ポジションなんじゃないか。(巨人側を軸とした作品なのではないか)
それとも、ミカサが主人公だったのか。
色々な事を考えて、考えて、答えが出ずに、気づいたら2巻を読んでいたというね。
(初めて読んだのがネットカフェですので、買った訳ではありません。)

誰が主人公なのか?
エレンは何だったのか?
個人的に続きが気になった要素がこれでした。

そう思わせられる程、エレンが立っていたからなんです。
エレンのドラマ性って、これまた2巻以降を読ませたいと思わせる原動力ですね。

死の持つ効果を最大限に活かしている

死の扱い方って大事です。
意味も無く死を描いてもその効果は薄く、死の意味がデカい分それなりの見返りが無いと取り入れる必要性って無いです。

では、死にはどのような見返りがあるのか。
1つは、恐怖心ですね。
敵の恐怖(敵の強さ)、死そのものに対する恐怖。
そういうのを植え付けられます。
モブキャラの死は、巨人の恐怖心・残虐性を読者に植え付けるには十分でした。

もう1つは悲劇性を「生き残った者」に植え付けられる点。
エレンには、この点が作用していました。
大事な人を殺されたという復讐心を見せて、エレンを主人公キャラに押し上げていたのかなと。

「大事な人」って簡単に書きましたが、これは結構大切な部分でもあります。
「エレンにとってどれほど大切な位置にいる人物なのか」をしっかりと描写する必要性があるからです。

例えば第2話でミカサが殺されてしまったとします。
でも、2話まででは読者にとって「ミカサとエレンの仲がどれ程の物か」伝わらないんです。
だから「エレンが巨人に対して激しい怒りと憎悪を向けている」のもイマイチ伝わってこないんじゃないでしょうか。
今ミカサが殺されてしまったら、そりゃ感情移入しまくりで、エレンの気持ちも痛い程伝わる筈ですけれど。

友達や恋人であっても、やはり血の繋がりが無い人物同士の関係性は、それなりの描写量がいると思うんですね。
でも家族には必要ありません。
血が繋がった肉親の死ならば、結果だけでも十分効果的です。
読者にも伝わりやすいです。

カルラ・イェーガー。
エレンの母親。
2話で巨人に食い殺されてしまいます。
非常にショッキングなシーンでした。

彼女の出番自体は非常に少ないんですが、エレンの気持ちは分かるんですよ。
母親が目の前で無残に殺されて、怒り狂わない訳がない。
悲しく無い訳がない。

巨人を駆逐するんだというエレンの志にも強く共感できますし、この悲劇性が主人公としての強さを持たせてもいる。
ああ、エレンが主人公なんだ、間違いないなと確信出来るドラマが描かれていたんです。

1つの死に大きな効果があったと。
で、この確信をぐらつかせてくれたのもまた1つの死なんですよね。

再三書くようですが、1巻終わりでエレンが殺されます。
もう意味が分かりません。
足を食いちぎられ、アルミンを助けた末に巨人に噛み砕かれる。
食われた際に手が捥げて、「こりゃ助かってないな」と断言できちゃう描かれ方。

あれだけの悲劇性を持たせ、読者に感情移入をさせ、彼視点の物語を紡いでいた。
エレン中心に回していながら、その彼を殺してしまう。
本当に訳が分かりません。

この「訳の分からなさ」が最大の引きとして作用してしまったという個人的な感想です。

まとめ

2巻以降では「巨人の謎」そのものに大きくスポットが当たりはじめ、この謎で以て読者を引き続けていると想像しています。
(それだけではなく、キャラの魅力や死が齎す緊迫感等に惹かれている読者も多数でしょうけれど)
しかし、1巻では「主人公だと想わせたエレンを”殺す事”」が強く強く働いていた気がします。

大事な1巻の「続きを読ませたい力」としては、これ以上のものはないかもしれません。

進撃の巨人(1) (少年マガジンKC)

進撃の巨人(1) (少年マガジンKC)

*1:時に揶揄される時に用いられる語ですが、そういった意味合いは排除し、「然程熱心に漫画を読んでいる訳では無いが、漫画が好きな人々」という定義で用いています

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