この記事は
「新仮面ライダーSPIRITS」第6巻の感想・考察記事です。
ネタバレありますのでご注意下さいませ。
スーパー1編の位置づけ
どうも感想を巡っていますと、やはり評判がイマイチのスーパー1編。
原因は長い事にあるのでしょうか。
まぁ、確かに長いです。
3巻終盤から続いていますからね。
これまでのテンポから鑑みると、これは否定しきれない事実。
でも、それだけ重要な位置を占めているからと僕は思うのです。
という訳で、6巻感想を中心としたスーパー1編を考えてみます。
バダンシンドローム
このスーパー1編には大きく2つのテーマが込められていると考えます。
その1つがこれ。
バダンの竜が見せる絶望のビジョン。
超強烈なうつ病を強制的に発症させられていると考えると分かりやすいのかもですねw
これには個体差があり、しかして罹った人間は死を望むようになってしまう。
言葉は悪いですが、廃人のようになってしまうという恐ろしいモノ。
これをどうにかしないといけないのが、作品全体の課題の1つ。
その”答え”を描いているのがスーパー1編。
先ずは沖自身をバダンシンドロームの罹患者にしたのが僕は凄いと思います。
こうして、無理矢理にもバダンシンドロームへの対抗措置を講じる必要性を出したのですから。
もし沖が罹っていなければ…。
この問題はいくらでも先送りできました。
でも、これ以上は先に延ばす事は難しいと思うのです。
残すところ東京のデルザー&ショッカーだけで、残りの組織は既に先輩ライダーが壊滅させました。
この東京編は、恐らく最も盛り上がる場の1つになる事でしょう。
描かれるであろうと僕ですら想定出来る「見せ場」がヤマほどあります。
最終決戦直前という事もあり、風見の再変身への道程や結城の戦線復帰。
これらは絶対に描かれるでしょうし、何より10人ライダーが集結する可能性が極めて高い。
ストロンガーまでの7人と因縁のあるデルザーが魂付きで再生されている以上、この因縁の再戦だって描かれるかもですし、それこそ枚挙に暇がない程。
考えるだけでワクワクします。
ただでさえ過剰気味の東京編にバダンシンドロームの件までツッコむと、印象が薄くなってしまう恐れもあります。
なので、このタイミングなのですよね。
そうなると、では何故沖なのかという事になる。
別に他のライダーでも良かったのではと。
それもちゃんとこの6巻で説明されていました。
バダンシンドロームの発症原因は、人間の神経に埋め込まれた恐怖のプログラムであると。
その人間体の神経を全て持っている唯一のライダーが沖であったから。
結城やアマゾンが該当しない理由は、別の記事に書きました。
簡単に繰り返させて頂きますと、100%オリジナルの神経を持っていないからですね。
確かに他のライダーに比べれば、結城もアマゾンも人間時の神経は多いかもしれない。
だから十分に罹る危険性はあったと思うのです。
でも、罹る・罹らないには個人差があるのですから、罹っていなかったとしても何ら不思議では無い。
沖だって罹らない可能性もあったし、そういう展開にも出来た筈ですが、それを出来なかった(と思われる)事は上で書きました。
この沖がバダンシンドロームに罹患した事に掛けて、もう一つのテーマをも描いていると思っていまして。
ライダーシンドローム
結局は、バダンシンドロームの答えはこれに帰結する筈ですよね。
「ZX」唯一の映像作品で、暗闇大使を屠った10人ライダーの技(?)が、このライダーシンドローム。
映像では10人が円陣を組んで「ライダーシンドローム」と叫んでいたくらいですので、技と呼べるのかも自信が無いのですが(汗)
兎も角、これを拡大解釈した「ライダーシンドローム」というのがバダンシンドロームから人々を救う事になる筈。
で、それすらこのスーパー1編には盛り込まれていると思うのですね。
これまでも多くの人々でその兆候を描いていました。
スカイライダー編の千弘。V3・ライダーマン編の麺太郎たち。
X編のコンラッドを入れてもいいかもですし、アマゾン編のマサヒコもそうかな。
あとは、スーパー1編のハルミらジュニアライダー隊。
皆ライダーの魂を目の当たりにした人々。
彼らは誰一人バダンシンドロームに罹っていません。
唯一チョロが怪しいですが、彼は例外という事でw
ま、まぁ、やはり個人差はあれどライダーに接した人々はバダンシンドロームを跳ね除けている訳で。
ルリ子が分かりやすく言葉にしていました。
「人間、万事塞翁が馬」と。
ねぶたが青森限定で効く可能性も描かれていた以上、この言葉は的を射ていると考えられます。
罹患者が希望を見出しかける描写がありましたから。
これの日本全国版&パワーアップ版がライダーシンドロームなのでしょうね。
人々が「仮面ライダーがバダンをやっつけてくれる」と希望を抱く事で、自らの内面からバダンシンドロームを克服する。
その姿が、このスーパー1編で描かれるテーマなのだと信じています。
ねぶた部や目黒隊長がバダンシンドロームから立ち直る姿が描かれるはずだと。
バダンシンドロームの解明と克服。これがテーマの1つ。
ライダー魂(スピリッツ)
2つのテーマが込められていると書きました。
そのもう1つがこれかと思います。
ライダーである沖自身が克服したバダンシンドローム。
沖が何故変身できたのか…。実はよく分かりませんw
これはまぁ次巻で描かれるかと思います。
(現時点で6巻収録内容と連載最新話は同じだったりしますwなので、この先はまだ誰も知らないという)
ただ、仮面ライダーの魂みたいなのはやはり色濃く描かれていたと感じます。
彼らは機械なのではなく、やはり人間なのだと。
沖が変身出来なくなった事は、バダンシンドロームであり、突き詰めると恐怖心なのかな。
そうなのかと思います。
ライダーだって、普通の人間と同様に恐怖心を持っている。
人によってはその事を「弱い」とか「格好悪い」とか感じるのかもですが、僕はそうは思いません。
人間ほど弱くて、恐怖に脅かされている生物はいないと思っているからです。
下手に知能を得て進化してきたから、色々な恐怖を知りました。
病気、天変地異、犯罪等々。
様々な恐怖の対象を生み、または知り、それでも人は生きているんですよね。
若造が知ったかぶっていますけれど、でも、誰だって恐れている事はある筈。
どんな些細な事でも。他人には理解できない事でも。
常になんらかの恐怖と戦っているんじゃないでしょうか。
僕なんか「将来の不安」と毎日のように戦っていますものw
もうね、自分の先が見えなさすぎて本当に怖いw
それはさておき。
だから、ライダーだって同じだと思うのです。
V3・ライダーマン編で村雨自身、その恐怖と戦いました。
力を出し切れない事から生じた死への恐怖。
風見やオヤっさんによって恐怖を克服した村雨。
不器用ながらも、今度は村雨自身が恐怖と戦う先輩にその事を伝えようとしていたのではないでしょうか。
力を出し切れなくても、変身出来なくても、それでも生きるために戦う事。
生きる為にもがけば、悪に必ず打ち勝てる。
クレイジータイガー戦で変身を解除し、武装を捨てた意味はコレなのかなと。
沖がこの戦いを見ていなかったので、村雨が沖に対するメッセージを込めていたとは思えないですが、根っこにあったのはこういう精神なんじゃないかなと。
ライダーシンドロームに繋がる精神。
性能に頼るのではなく、自らの強い心(気持ち)さえあれば、悪に屈することは無い。
物凄い精神論ですが、昭和ライダーに確かに根付いていた考えな気がします。
風見から村雨へ。そして沖にその事を思い起こさせて、変身を可能とさせた。
バダンシンドロームを打ち破った。
「全神経によって”気”を操り 精神を 肉体を 強固なものとする」
赤心少林拳の極意とも掛かっていて、沖自身の物語にも繋がっている。
非常に面白くて、奥の深いエピソードなんじゃないかなと。
僕は思っております。
考えすぎかもですが、そうじゃないと思わせてくれて、実際その通りとなるのがこの作品だと思います。
連載で追っているとページ数の少なさも相まって、非常にゆるゆるに感じるこのスーパー1編。
これは僕自身感じている事なので否定はしません。
でも、とっても重要なエピソードなのではないでしょうか。
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