この記事は
「仮面ライダーSPIRITS」と「ウルトラマンSTORY 0」の考察記事です。
ネタバレありますのでご注意下さいませ。
はじめに
バトル漫画を描く際、必要なのは犠牲を描く事だと考えます。
物が破壊された。人が殺された。
規模がデカければデカい程、戦闘の大きさ、悲惨さを演出できるし、敵対する敵キャラの強さや残虐性を引き立たせる事にもなる。
そんな犠牲の中でも最も効果的なのは、主人公の身近なキャラクターの死ですね。
主人公との絆が深ければ深い程、悲劇性は高まり、緊張感が増します。
キャラの死が必ずしも必要だとは思わないのですが、バトル漫画を盛り上げる要素としては定番の展開。
で、ここに2つの漫画があります。
「仮面ライダーSPIRITS」は、石ノ森章太郎先生が遺した不朽のヒーロー・仮面ライダーシリーズを題材とした漫画。
作者は「俺たちのフィールド」の村枝賢一先生。
現在は「月刊少年マガジン」にて連載中です。
もう1本は、円谷プロが生み出した永遠のヒーロー・ウルトラマンの前日譚を描いた「ウルトラマンSTORY 0」。
「スーパードクターK」の真船一雄先生が熱筆されています。
講談社の「テレビマガジン」公式サイトでクライマックスが描かれております。
どちらも講談社が刊行していた「月刊マガジンZ」にて始まった漫画であり、共に有名すぎる「原作」を持つという共通点があります。
この2作、バトルを物語の軸に据え、しかしながら、有名な原作を持つが故の縛りを持っているんです。
仲間の死を描けないという縛りです。
仮面ライダー1号・2号が、カメバズーカと共に爆死してしまった。
ウルトラマンが宿敵ゼットンに斃されてしまった。
実際に原作では、ウルトラマンも仮面ライダーも最低一度は「死」やそれに程近い形での敗北を喫しています。
けれど、その度に復活を遂げているんですよね。
「仮面ライダーSPIRITS」は、そんな原作の延長線上の物語。
たった一度だけ映像化された「仮面ライダーZX」に村枝先生が肉付けして膨らませた作品です。
「ウルトラマンSTORY 0」は、原作の前日譚であるから、この時点でヒーローを殺してしまうと原作に繫げる事が出来なくなります。
両作品とも原作である特撮ドラマと同じ世界観で描かれている物語です。
故に、こういう原作に矛盾してしまう展開は出来ないのです。
一度死を描いても、最終的に蘇らせれば問題無いのかもしれませんが、バトル漫画での生き返りは色々と難しい面を孕んでますからね。
兎も角、「死を描けない」縛りを持っているものの、だけれど、本当に犠牲者を描かないとバトル漫画としてはちょっと物足りなさも感じるところ。
この問題を、しかしながら、両作品とも巧い事クリアしているんです。
それも、原作の持ち味を見事なまでに活かしながら。
「仮面ライダーSPIRITS」の場合
昭和ライダーシリーズには、欠かせない2つの支援組織が登場してました。
1つは、少年仮面ライダー隊。
団体の名前こそ違えど、その時の主役ライダーの後方支援を目的に結成されたちびっ子組織。
「ライスピ」には、彼らの成長した姿が描かれています。
こういった隊には所属はしていないものの、ライダーの後方支援をしていたかつての仲間達も同様に出てきております。
でも、彼らもまた原作から登場しているキャラクター。
無暗に犠牲にするわけにはいきません。
今回の論考の焦点からは外れます。
もう1つが、警察組織ですね。
FBIやインターポールなども絡み「アンチショッカー同盟」やら「デストロンハンター」。
バックが実在する巨大な組織です。
作中に登場した滝や佐久間以外の人物ならば、「犠牲者の対象」に成り得ます。
そこで登場したのが「Saving Project Incorporate w/h masked Rider on ImmorTal Soul」。
通称”SPIRITS”です。
「V3」に登場した元デストロンハンターの佐久間の指揮の下、滝を隊長とした10の部隊で構成されている本作オリジナル組織。
本作の敵であるバダンに復讐を誓う傭兵や元軍人からなるこの組織は、恰好の「犠牲者」集団なんです。
漫画の主人公であるZXを支援する第10分隊以外の分隊は、作中でほぼ全滅させられました。
武器さえあればタダの人間であっても再生怪人を屠れる事が描写されているけれども、それでもバダン勢の力は、素の人間には及ばないんでしょうね。
10人の仮面ライダー達の死を描く事が出来ない。
彼らを支援してきた原作に登場したキャラクターも同様に殺せない。
ならば、殺しても問題無い集団を作れば良い。
更にいえば、それなりの戦闘能力を有している事にすれば、それを倒した敵の強さをも強調できる。
じゃあ、新しいオリジナルのライダーを作れば良いとなりそうですが、これもアウトですね。
あくまでも「原作リスペクト」の心。
原作に出て来ないオリジナルの仮面ライダー…しかも、敵に斃されるためだけのライダーというのは有り得ません。
「仮面ライダーは死なない」のだから。
そこで、荒くれ者集団の登場。
SPIRITSの登場にはこうした一面もあったと思います。
(本来の登場意図は、滝が言うように「仮面ライダーの能力には遠く及ばないが、魂だけは共にありたい」であるとは思いますけれど。)
ですが、このSPIRITS。
「武器さえあればタダの人間であっても再生怪人を屠れる」という点が、一部のファンから反感を買う事にもなってます。
第10分隊の面々(特にゴードン)が中々憎々しい性格をしているからというのもあるのでしょうけれど、「タダの人間が再生怪人を斃せるのは嫌だ」という想いがあるようです。
なんか分かります。
やっぱり戦闘員なら兎も角、怪人レベルは仮面ライダーにしか倒せないで有って欲しいとは思いますね。
でもですね、これは良いんです。
というか、こういう設定で無ければダメなんです。
ここが、この作品の「原作の持ち味を見事なまでに活かした犠牲者造り」の肝であると考えるからです。
ライダーマンを活かすSPIRITS
ポイントはズバリ、ライダーマンですね。
7巻の感想でも書きましたけれど、「ライスピ」に於けるライダーマンというのは、「右腕だけが改造された状態の人間」という設定です。
JUDOの体を再生させる為の「仮面ライダー計画」からも外れている、ただ一人の仮面ライダー。
唯一人間の仮面ライダーなんです。
そんな彼ですが、当然怪人を斃す能力を有しております。
カセットアームという右腕の機能を変幻自在に変化させる武器を以て、襲い来るバダンの怪人軍団を屠る。
カセットアームの威力と彼が”着る”スーツの性能に因る部分が大きいとは思うのですが、それでも「人間が怪人をやっつけられる」訳です。
SPIRITSもインターポールの科学力が集結されているであろうスーツに身を纏い、恐らく対バダン用に特化した特殊な武具を配給されているんでしょう。
装備的にはライダーマンと大差無いはず。
そんなSPIRITSが怪人を斃せないという事にすると、ライダーマンが怪人を斃す説得力が落ちてしまうと思うんですね。
「ライダーマンは仮面ライダーだから特別」という事にはせずに、ライダーマンの人間らしい部分を強調し、かつ、説得力を付随させる為に一役買っている。
SPIRITSというやられ役には、そういう存在意義もあるんじゃないでしょうか。
今後、第10分隊にも犠牲者が出て来るものと推測されます。
これまで描かれてきた彼らのドラマが、そのまま悲劇性を高める事にもなるでしょうし、クライマックスに向けて戦闘の苛烈さ・バダンの強大さを改めて示してくれる可能性が高い。
ファンから嫌われるのも分かりますが、それでも今作にとってはSPIRITSという集団は色々な意味に於いて欠かせないのかなと。
「ウルトラマンSTORY 0」の場合
「仮面ライダー」同様「ウルトラマン」にも主人公のウルトラマン達を強力に後押しする組織が出てきてました。
科学特捜隊、地球防衛軍、MAT、TAC、ZAT、MAC。
宇宙人や怪獣から地球を防衛する目的で結成された地球人だけの組織ですね。
基本的な骨子として、地球人の体を借りたウルトラマン達はこういった組織の一員となり、日夜地球を侵略する敵と戦う事になります。
ですが、何度も書くようですが、この漫画は「原作であるTVシリーズの前日譚」です。
「仮面ライダーSPIRITS」とは大きく異なる点であり、基本的に原作に登場したキャラクターは登場させる事が出来ません。
勿論登場させる事が出来ても犠牲者には出来ないのですが、そもそも登場させられない訳です。
そこで、今作ではもっと原作の設定に着目。
「仮面ライダー」は無暗に増やせない理由がありました。
が、「ウルトラマン」は違います。
人口太陽の影響によって超人と化したM78星雲・光の国の人々。
その全てが「ウルトラマン」と呼べる存在だからですね。
ここは本当に巧いんです。
原作の設定を自然と活かしているんですよね。
光の国の人々全員が全員、戦闘が出来るという訳では無いものの、それでも多くの「ウルトラマン」が生まれている。
で、原作に出てきたウルトラマンを殺す事は出来ないので、原作に登場していないウルトラマン。
即ち本作オリジナルのウルトラマンが多数登場しました。
ウルトラマンゴライアン。
ウルトラマンザージ。
ウルトラマンドリュー。
ウルトラマンカラレス。
ウルトラマンフレア。
等々。
彼らオリジナルのウルトラマン達は、本作の序盤から登場し、原作のウルトラマン達に負けず劣らずの活躍を見せていたんです。
当時の僕は、そこがちょっと理解できていなかったんですよね。
なんでオリジナルのウルトラマンに、こんなに見せ場を用意してるんだろう?と。
不思議でならなかったのですが、長編「暗黒宇宙編」に入って漸く納得したんです。
「あ〜。彼らは”やられ役”だったのか」と。
この長編に入っても、オリジナルの彼らの活躍は目覚ましいものがありました。
時には初代マンやセブンなど原作のウルトラマン達を凌駕する見せ場があり、大いに活躍していたんです。
そんな彼らも、星間連合幹部らの前に次々と散って行ったんです。
描写的には、本当に初代マンやセブン。
実力No.1とまでされているゾフィーをも上回るんではないか。
少なくとも同等レベルだよねと思えてしまう程の実力を発揮していたオリジナル戦士達でしたが、それでも敵宇宙人に敗れ去っていく。
初期から描いてきた蓄積があって、ドラマ的にも、敵の強さの誇張的にも素晴らしいまでの効力を発している。
今作は残念な事に、最終回が間近となっております。
終盤に立て続けに死んでいったウルトラ戦士達が、彼らの戦いの凄まじさを表現しており、より盛り上がってきております。
終わりに
「ウルトラマンSTORY 0」が間もなく最終回だと知り、悲しくなったので記事を書く事としました。
どちらの作品も原作へのリスペクトに溢れた作品です。
原作の良さを活かし、かつ、1つのバトル漫画として十分な迫力と緊迫感を生み出している。
この記事に書いたことは僕個人の一見解に過ぎませんが、他にも多くの素晴らしい工夫があるんじゃないかな。
そういうのを探しつつ、読むのもまた面白いんじゃないかと思います。