この記事は
「STAND BY ME ドラえもん2」の感想です。
ネタバレあります。
「嫌い」だった予告編
予告編を初めて見た時、酷く落胆しました。
結婚当日、のび太が逃げた。逃げた逃げたのび太が逃げた。
延々と繰り返されるのび太の逃亡。
感動を煽るような構成。
ただただつまらなそうであり、そして、コレジャナイ感がありました。
「ドラえもん」は決して感動路線を行く漫画ではありません。
基本的にはギャグであり、ちょっとした冒険譚であり、すこしふしぎな漫画なのです。
そういった笑いとドキドキの中に、何気ない瞬間を切り取った涙がある。
あくまでも主観ですが、僕の中の「ドラえもん」像はこれなのです。
露骨に「泣き」をアピールする作品ではない。
だからこそのコレジャナイ。
感動を全面に出した予告編には1ミリもそそられませんでした。
何を今更ですね。
1作目の予告で主張してたらまだしも、2作目では本当に今更だと自分でも思う。
「ドラ泣き」は今作の代名詞ですからね。
結論を言おう。
感動ごり押し映画なのでは決してなかった。
原作の名エピソード「おばあちゃんのおもいで」をベースにオリジナル要素をふんだんに盛り込み、笑いと冒険を交えた長編映画になっていました。
一言で言えば「滅茶苦茶面白かった」のです。
伏線回収が丁寧
大長編(普段の劇場版)のように何者かと戦うとか不思議な世界に行くとかではありません。
過去と未来を行き来した「ドラえもん」の日常範囲の中での大冒険。
それでもしっかりとした面白さを感じたのは、丁寧な伏線の回収があってこそでした。
今作は、複数の時間を行ったり来たりするから、どことなく「魔界大冒険」を思い出しました。
僕好きなんですよ、「魔界大冒険」。
冒頭でのび太が発見したのび太とドラえもんにそっくりな石像。
家の外に置いていた石像は、夜中になると家の中にあり、しかもポーズが違っている。
再び外に置いておくも、翌日には消えていて…。
いきなり提示された謎が終盤で明かされるという構成は、今作にも通じるものがありました。
大量の0点のテストをママから隠そうと慌てふためくのび太とドラ。
その中をとうめいマントを身に着けたドラえもんが現れて、何やら道具を持って机の引き出しの中に戻っていく。
この場面を見てた僕の顔はにやけっぱなしでした。
直前に何かに打たれて倒れたのび太の行動と併せて、「ちょっと未来のドラ達」にハプニングがあったことは明白。
一体何が起こっているのかとワクワクしました。
この伏線もしっかりと回収されるわけですが、個人的に特筆したいのはタイムトラベルに付きまとうパラドックスに関してです。
現実ののび太が5年前に飛んで、おばあちゃんと出会い、とある約束をする。
約束を果たすべく15年後に飛ぶと、入れ違いに今度は結婚当日の青年のび太が現在へと行ってしまう。
現在ののび太とドラえもんは、時間旅行をした青年のび太を探す冒険へと出る訳ですが、終盤まで常に付きまとっていたのが「青年のび太の無知さ」なのです。
青年のび太にとって、自身の行動は、経験済みのこと。
実際に何をしていたのかという詳細はまだしも、自分の冒険の顛末は知っていてしかるべきなのです。
当然です。
青年のび太の過去には、現在ののび太がいて、現在ののび太は青年のび太を追っていたのですから。
それなのに青年のび太は、何も知らない。
小学生のび太が自分の代理で結婚式の途中まで出ていたことも、その後自分が無事に式に出れたことも知らない。
子供の頃のことだから、忘れちゃったのかなと思ったのですが、あまりにも都合が良すぎます。
「未来の結婚式当日の自分の逃避」なんて大事件、忘れるものでしょうか。
インパクトが強くて、忘れようにも忘れられない記憶になると思うのですよ。
でも、青年のび太は知らない。
ここが引っ掛かった。
と、同時に「子供のび太は、青年のび太と同じように15年後に逃げるのだろうか?」という疑問も湧きました。
青年のび太が不安に感じたことが杞憂であったことは、顛末を見届けたドラえもんが教えてもおかしくありません。
その上で、成長したら同じ「過ち」を犯すのは、やっぱり変だ。
けれど、15年後に逃げ出さないと、そもそも今回のお話は起きなかったこととなる。
鶏が先か卵が先か。
有名なジレンマが僕の脳内を支配しましたが、「SFものではないから、些事として触れられないだろう」と勝手に諦めていたのです。
違った違った。
まさか2度もわすれん棒を利用してくるとは。
中盤で一度使っていたので、二度は無いと勝手に決めつけていました。
下手な理屈を捏ねずに、偶々というところもポイントかな。
一連の記憶を忘れさせる理由は思いつきませんから。
軽い描写でパラドックスにも答えを出してくれた。
痒い所をしっかりと掻いてくれる脚本でした。
変わる町並みと変わらない人の心。
本筋とは関係のないところで、町並みの変化に笑えました。
現在の町並みは、昭和後期のような感じ。
原作連載時の町並みと言えばいいのかな。
その5年前は、ザ・昭和初期。
アスファルトの舗装路は無く、家垣も板。
電柱も木だったような。
あまりの変わりように愕然としましたw
さて、現在から15年後。
作中では1990年代っぽいですが、絵に描いたような未来都市。
携帯電話だけは現実世界が勝ってましたが、それ以外は「これぞ未来都市」。
科学技術の発展具合が異常です。
普通に考えればあり得ないほどの変化ですけれど、これまた良い様に解釈しちゃいました。
町並みが劇的に変わったように、時間というのは人をも大きく変えてしまう。
良くも悪くも。
ジャイアンとスネ夫は良い例と言いたいですね。
「パパの伝手を頼って(結婚式の会場を)用意したんだ」という青年スネ夫のセリフは、この映画で一番感動したところかもしれない。
ラジコンすら貸してくれなかったあのスネ夫がのび太の為に、パパに頼ってまで素敵な場を用意してくれてた。
何気ないシーンなのかもですが、凄く良かった。
閑話休題。
兎角、町も人も変わっていく中で、不変でいるのび太の「異質さ」が際立ってました。
今も昔ものび太はのび太。
しずかが惚れ込んだ理由がしっかりと強調されていたと感じたのです。
町並みの変化に関しては、ほぼほぼ原作通りなので、この解釈はあくまでも僕の独りよがり。
終わりに
ドラえもんの道具って「それ、使用用途無さすぎるだろ」とツッコミたくなるものも多いですが、「タマシイム・マシン」ってなんやねんwww
使いどころが限定的過ぎるw
この作品の為だけに作られたオリジナルかと思いきや、ちゃんと原作の道具なんだよなぁ。
のび太の結婚当日はオリジナルエピソードなので、この道具の使い道も当然今作オリジナル。
しっかりと原作を読み込んで、道具をセレクトしてるところは仕事が丁寧ですよね。
原作とオリジナルを混ぜ込んで、大満足の長編に仕立てられた脚本に、今回は心から感服いたしました。