この記事は
「シュガー・ラッシュ」の感想記事です。
ネタバレありますのでご注意下さいませ。
はじめに
ディズニー映画「シュガー・ラッシュ」を鑑賞してきました。
ネタバレなしで感想を書いていきます。
短編映画「紙ひこうき」
まずは、同時上映作品であったこちらから。
モノクロの無声映画であり、完全にセルアニメかと思いきやコンピュータアニメーションとの融合なんですってね。
制作手法はさておき、正直ディズニーの実力はやっぱり世界最高峰と思わせるには十二分なアニメでした。
無声映画であるからして、基本的に台詞がありません。
字幕が出てくるわけではなくて、本当に絵だけで物語を説明しているのです。
だから、肝心の絵が(動きが)駄目だと、まったく持って楽しくもない作品になるのですが、この短編は違いました。
台詞なんかなくても、物語に引き込む力がアニメーションから伝わってくる素晴らしい映画でしたね。
気持ち悪いくらいにぬるぬる動くのは、どうやらCGの効果みたいでしたが、セルアニメとの融合具合が素晴らしく、手書き風にしか見えないところもGood。
「青年と女性のひょんな出会いから始まる小さな奇跡のラブストーリー」
言葉にすると有り触れた物語。
ですが、それが素晴らしく感じる位にアニメーションの楽しさがカバーしてくれる作品でありました。
本編「シュガー・ラッシュ」
結論から先に書きますと「メチャクチャ面白かった」の一言に尽きます。
なんだろうね。これはアイディア勝ちですよね。
ゲームセンターの筐体に繋がっているコンセントと電源タップを「中継基地」にして、様々なゲームのキャラが各ゲーム間を行き来しているという設定がまず面白い。
こういうのは「トイ・ストーリー」とか「ナイトミュージアム」とか。
既存作に幾度となく使われてきたアイディアですけれど、きちんとそこにオリジナリティを組み込んで、昇華されているんですよね。
ゲームキャラって、基本死んでも生き返ります。
主人公なら、「命」を複数個与えられていますし、例えGAME OVERになっても、リセットすれば元通りになる。
これは悪役にも言えることであり、だから、彼らは「筐体が廃棄されない限り無敵」とも言える。
ただし、これは「自分のゲーム内で死んだ場合のルール」であって、「他人のゲーム内で死んでしまうと二度と生き返れない」なんてルールも自然に思えます。
他人のゲームに侵入すれば、もうそれは単なるバグですから。
バグを生き返らせるプログラムは最初から存在してませんしね。
夜、人が見ていないところで動き出すというお馴染みの設定にゲームならではの枷を与えて、オリジナリティを出されているのが面白いと思えました。
で、本作はこのルールの下に描かれておりました。
他人のゲームに侵入出来るけれど、その”世界”での”死(ゲームオーバー)”は、本当の”死”になる。
他人のゲームに入っている間は、自分のゲームにいない事になるから、これが人間に知られると「故障」扱いを受け、最悪筐体が破棄されてしまう。
(筐体が破棄されると、キャラクター達は中継基地である電源タップに逃げることが出来ますが、「失業」扱いになってしまうのがまた面白いw)
この2点をドラマを盛り上げるための要素としながら、それでいて只管に楽しくポップでキュートなノリに仕上げていて、見ていてちっとも退屈しない。
程よい緊張感の中、最初から最後まで一瞬で駆け抜ける爽快感を味わえました。
ヒーローに憧れる悪役とバグ扱いされる少女の友情物語を軸に、恋愛、バトル、冒険、悲哀とハリウッドらしいエンタメ要素をぎゅうぎゅうに詰め込んだ夢いっぱいの映画でしたね。
伏線に気づけるかどうか
決して子供向けでは無いと思わされたのが、この点。
この映画のヒロインであるヴァネロペ。彼女は自分のゲームである「シュガー・ラッシュ」内でバグ扱いされて一種の迫害を受けていたりします。
時折彼女を構成するプログラムにノイズが入り、体がちらついて見える事が原因です。
この映画は、彼女の救済もテーマにしていると思われるのですが、それには彼女が本当にバグ=「シュガー・ラッシュ」に存在してはいけないキャラなのかどうか突き止める必要があって。
これに気づける伏線が冒頭に出てきてたりします。
確か、映っていたと思います。
そして物語全体の謎を解くためのキーワードが、作中で頻出する「ターボする」という言葉。
ゲームセンターの筐体に繋がっているコンセントと電源タップを「中継基地」にして、様々なゲームのキャラが各ゲーム間を行き来しているという設定を巧みに利用したシナリオであり、ここから数珠繋ぎ的に考えていけば、ヴェネロペの事も物語の謎も解ける仕掛けになっていた気がします。
ついつい楽しい画面に目を奪われがちになる映画です。
カメオ出演している実在ゲームのキャラクターも多くいて、それを探してしまうというのもあります。
けれど、そこをグッとこらえて、画面に隠されたヒントを見つけて作品の謎にいち早く迫るという見方も出来るし、それはそれで楽しく鑑賞出来る気がします。
「ゲームならでは」の絵作り。
短編「紙ひこうき」でぬるぬる動くことを実証しているディズニー。
当然今作は3DCGアニメなので、この点は保障されていますけれど、一部「ぬるぬる動かない」キャラクターが出てきます。
「ぬるぬる」どころか「かくかく」しているその動き。
これは「昔のゲームのキャラクター」に見られる動きで、昔のゲームならではの動きを再現しているんですよね。
芸が本当に細かいな〜と。
「フィックス・イット・フェリックス」のゲーム世界観ではさらに、ドット絵を再現。
キャラの動きだけではなくて、背景も全てカクカクしているw
こういう細かい点も、ゲームの中の世界観を描いているということを忠実に守っていて好感が持てます。
何より3DCGとゲーム世界って相性が抜群ですね。
最近は本当に技術が進歩して、3DCGがぐんぐん手書きアニメに近づいていって、違和感なく見れるようになりましたが、まだまだ手書きの方が色々と”上”だと個人的には思っています。
しかし、これを考慮に入れても、この映画だけは、手書きアニメでは決して描けないと思わせるほど3DCGならではの良さが際立ってるように見えました。
3DCGと題材の相性が本当に良かったんだと思います。
ゲームはコンピュータで作られているので、当たり前っちゃ当たり前なのですがw
まとめ
大人が見ても、子供が見ても楽しめる作品であると思います。
老若男女問わずお勧めできますね。
実はディズニーのアニメ映画をしっかりと見たのは「トイ・ストーリー」以来だったりします。
「トイ・ストーリー」に感じた興奮を再び今、この作品で味わえて、見に行って良かったと心から思えております。
そうそう余談めいた事ですが、作中の日本語表記、どうなっていたんでしょうね。
ヴェネロペのカートに書かれた文字とかヴェネロペがラルフにプレゼントしたメダルに書かれた文字とか。
アップになると日本語で書かれていて、最初違和感に気づけなかったのですが、よくよく考えると不思議w
アメリカ映画なのに何故英語ではなくて日本語だったのか。
最初「日本用にこのシーンだけ作り直した」のかなと思ったものの、画面が引くときちんと英語表記になっているので、違うかなと。
てか、上映する国毎に作り直すなんて普通はしないですしね。
あれも、字幕の技術の一つなのだろうか…。
なんにせよ凝っていたし、自然に見れるという意味でも素晴らしい演出だったなと思いました。