津島善子は何故「ヨハネ」を捨てたがったのか? 「ラブライブ!サンシャイン!!」

この記事は

「ラブライブ!サンシャイン!!」の考察記事です。
ネタバレあります。

第5話「ヨハネ堕天」

5話初見時で最も衝撃的だったのは、「普通の高校生に憧れる善子」が描かれた点に尽きます。
「そういう子なのか。面白いな」と率直にそう感じたのです。

5話を見る前までの善子像は「ヨハネ」以外の何物でも無かったからです。
ちょっとイタイコスプレをして、厨二病的な言動を繰り返す良く居るキャラなのかなという解釈でした。
なので、「それを否定したい自分が居る」というのが新鮮に映ったのです。

では、何故善子にそのような一面を持たせたのでしょうか?

Aqoursとヨハネは同一視出来る

一般人がアイドル活動をするというのは、大きな決断が必要になります。
それが例え、スクールアイドルだとしても、同じ事です。
この「決断」を最も重く描かれたのが4話に於ける花丸でした。

体力に自信が無い花丸。
スクールアイドルには向いていないと決めつけていた。
けれど、ちょっとの憧れがあり、確かな好きという気持ちがあった。

逡巡の後、ルビィを始め千歌達の後押しで、その決断をしました。
「一番大事なのは出来るかどうかじゃない。やりたいかどうかだよ」
千歌の言葉はとっても良いですね。
花丸にとっては最も心が軽くなる言葉をくれたんじゃないかな。
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さて、何故決断が必要なのかと言えば、「日常」とは異なるからです。
一般の学生とスクールアイドルの間には確たる境界線があり、一般学生の「日常」とは異なるセカイがスクールアイドル達の前には広がっています。
普通だったら体験できない・体験しない出来事が待ち受けているのですから。
そんな「非日常」が待ってるので、決断が必要になる訳です。
体裁こそ「部活」という括りになっていますが、通常の部活動とは明らかに異なる活動が待ち受けているのですから。

さて、善子は、そんな二面性を既に抱えていました。
ネット上を中心とした「堕天使ヨハネ」という「非日常」と普通の高校生「津島善子」という「日常」を。
善子がスクールアイドル活動を行うハードルは、非常に低かった訳です。

「アイデンティティ」である「ヨハネ」を認めて貰える分、ダイヤの顔色を窺っていたルビィよりも決断は容易だったんじゃないでしょうか。

結論は既に書きましたが、つまりは、Aqours参加をより自然に描く為に「ヨハネを否定し、普通の高校生に憧れる」一面を持たせたのだと考えられます。

まとめ

何れにせよ、この一面を持たせる事で、善子のキャラに厚みが出たのは間違いありません。
「日常」と「非日常」の間で揺れる善子は、見ていて面白くて、そして可愛らしい。
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また、Aqours加入後、より「ヨハネ」であり続ける彼女の姿も自然に描けていたと感じます。
Aqoursが非日常だからこそ、自分の非日常の面を出しているのですからね。

千歌達が「善子」ではなく「堕天使ヨハネ」を勧誘したのは、同じ「非日常」だから。
善子の複雑な一面のお陰で、5話の物語も綺麗に収斂していました。

「ヨハネ」を捨てたがるというワンアイディアは、非常に大きかったのだと改めて感じた次第です。

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