はじめに
「ALWAYS」シリーズ、「永遠の0」、「STAND BY ME ドラえもん」。
数々のヒット作を撮った山崎貴監督の最新作はあの「ドラゴンクエスト」。
「ドラゴンクエストⅤ 天空の花嫁」を題材としたフル3DCGアニメーション。
RPGと言えば「ドラクエ」というくらい僕の中では大きな位置づけをしているゲームだけに、この映画も期待半分・不安半分で鑑賞してきました。
感想になります。
望んでない大仕掛け
前述の通り、「5」を下敷きとして、長編映画の尺に収まるように構成された脚本は、粗こそ多いんですが「ドラクエ」らしさを多分に含んだものになっていたと思います。
大魔王ミルドラースとの戦いこそ、とある理由(後述)によってありませんでしたが、原作ゲームのストーリーをほぼほぼなぞる様な形でしたし、ドラクエモンスター達もしっかりとCGで再現されていましたからね。
音楽も原作通りすぎやまさんのを使用してましたし。(ただ、音楽の使い方は、凄く下手だったと思う。下手と言いますか、ゲームを意識し過ぎていて、映画の使用方法では無かった)
ただ1つ大きく気になったのが結婚イベントでした。
少年時代序盤をスキップしたせいで、「5」の大きな特徴の1つである結婚イベントが非常に無味乾燥なものになってしまっていました。
リュカがフローラにプロポーズをしておいて、ビアンカへ心変わりしたことも最悪でしたが、なにより彼彼女らの恋心に全く感情移入できなかったのです。
圧倒的な描写不足。
出会いを原作ゲーム風のテロップで「省略」しただけなので、出て来たばかりのフローラやビアンカがリュカに惚れてるのが先ず分からない。
かつてリュカが死んだと聞かされた際、父親が心配するほど泣きはらしたというフローラが、何故老婆に変身してまでビアンカに譲るような真似をしたのかも理解できない。
ヒロイン2人は知り合いのような言動を見せていましたが(少なくともフローラはビアンカを知っていた筈)、その出会いの描写は皆無。
パパスの死、ヒロインとの結婚、「天空の勇者」である息子の活躍。
親子3代に亘る壮大な叙述詩の中でもキーとなる3つの出来事のうち、その大事な1つを蔑ろにしていた感がとっても気になったのです。
そうして迎えたクライマックス。
ゲマを斃し、いよいよミルドラースが復活するかと思われた瞬間。
副題である「ユア・ストーリー」の答えが判明しました。
同時に、結婚イベントの「ぞんざい」な扱いの理由にも納得いったのですが…。
正直唖然としました。
あちゃ~って感じです。
少年時代をスキップしたこと。
主人公は基本ビアンカ推しであったこと。
恋愛のれの字も無い無味乾燥さの理由。
もう1つ加えれば、倒したモンスターの処理のされ方(血を吹いて倒れるなどではなく、小さなブロック状になって霧散する)も伏線だったのでしょう。
鳥山先生のキャラクターデザインが採用されなかったのも「ドラクエを原作とした別のゲームだったから」という解釈すれば良いのかな?
鳥山先生のことは兎も角として、他は全て納得する答えが用意されてはいました。
だけどさ、これは無いです。
主人公は「ドラクエ5」を題材としたVRマシン型ゲームをプレイしていた普通の高校生だった。
あの世界は、ゲームでした。
こういった仕掛けをやりたいのであれば、その意味をしっかりと魅せてくれないとですよ。
自らをミルドラースのような存在と語るバグ(?)は誰が何のために仕込んでいたのか。
なんか説明されてましたが、全く脳に入ってきませんでした。
すらりんの存在も誰の仕込みなのか不明でしたし、作品全体として結局何が言いたかったのかも理解できず。
「ドラクエの映画です」として宣伝してきた映画が、「ゲームのドラクエをやってる高校生の映画だった」のですよ。
それだけで「ドラクエの映画」として見に来た客に対する「裏切り行為」なのですから、変化球を投げ込んできた意図を納得させてほしかったのです。
主人公と同様「ドラクエ」を愛した「あなた」が「リュカ」となってドラクエ世界を楽しむ映画とでもしたかったのでしょうか。
試みとしては面白いとは思うのですが、もし本当にこういう意図があったのであれば大失敗していたと思います。
仕掛けが僕の中では大不発だったため、非常に残念な映画として記憶に刻まれちゃいました。
終わりに
ゲマのCGデザインが突出して良かった。
禍々しさが溢れていて、全体的にフィギュアみたいなCGアニメの中で、雰囲気が出ていたと思います。
見どころはモンスターだけ…。
見終わった今、未見の人に勧める場合は、僕はこう言うんじゃないかな。
繰り返しちゃいますが、非常に残念でした。